出産前後の痔にはご注意!

考古学というか、発掘とかよくやってますよね。土器とか発見したりして。
それで昔の人の生活が明らかになってくるっていうんですが、これが現代の生活に何か役に立っているのでしょうか?結構、多くのお金がかかってるじゃないですか。それに見合う恩恵があるのか、単にロマンだけなのか、埋蔵金が出てくるならともかく、意図がわかりません。
別に考古学好きの方にけんかを売っているわけではなく、単純にお金をかけるからには何かメリットがあるのかなと思って質問しています。
発掘などの考古学による現代社会への恩恵の実例を知っている人教えてください。

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A 回答 (6件)

すみません。

考古学はかじりたてなので、詳しくは分かりませんが、私の考えを書きます。まあ、何故私が考古学に興味を持ったかにつながると思いますが。
古代の人がしたこと、創ったものを調べ、何故創ったのか、何故そのような行動をしたのかを考えることだと思います。この何故が大事で、現在の状況に当てはめて考えると、未来を予想することができます。また、古代人の思想や、技術を考えることによって、現在のものに応用できるなどの恩恵を受けられます。

私の知っていることで例えば、イースター島のモアイは何故作られたか、作った人はその後どうしたのか、等を順番に考えていき、イースター島は孤島なので外部との交流はなかったと考えると、次のようなシナリオが考えられます。
島の人々の信仰心からモアイは作られていました。次第に島の人口が増えて食糧確保のために森を開拓し、どんどん畑にしていきました。しかし、それには限度があったり、生態系のバランスへの影響等で結局、食糧不足は改善できませんでした。人々の信仰心は崩れ、争いが起き滅んだそうです。(←多少違うかもしれませんが、私の概略イメージです。内容は保証しかねます。)

現在の私達も地球規模で考えれば、同じような状態にあると思います。地球全体がイースター島の二の舞にならないように、何かをしなければならないのです。これは、考古学の研究の成果だと思います。何をすればよいのかは、また別の学問の領域ですね。私はこれにも興味はありますが。
このようなシナリオや、古代人の心の動きが理解できるととても面白く、はまりますよ。なるほど、だからこれを創ったわけね。などと研究結果を見て思いますが、研究している当事者は、もっと面白いんでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
仮説を証明する面白さはかなりのものでしょうね
考古学を堅く考えずに推理小説感覚で接してみます

お礼日時:2001/07/25 20:34

考古学が何故必要か・・・



考古学は歴史学、人類学とともに人類の過去を研究する学問です。考古学は1870年代からArchaeologyの訳語として使われています。考古学の研究対象は文字の無かった時代です。その成果としては:

1.人類がアフリカで誕生したことの発見
2.アメリカ大陸の先住民(インディアン、インディオ)は約13,000年前に
ベーリング海峡を渡ったモンゴロイド系の人々の子孫という発見。モンゴロイドは日本人の所属するグループでもある。
3.日本の石器時代末期、約一万年続いた縄文時代があり、その後に続く弥生時代とは人種、文化がことなることの発見。

などが分かりやすい例です。研究が進むにつれて日本の歴史は古くなってきています。これは考古学が想像や類推を許さない学問なので、発掘によって証明されたことだけが歴史として認められるからです。見えない部分、未発見の部分は神話や各地に伝わるお祭りや古くからの民間の習慣(習俗)を研究することにより、ある程度の推察ができます。

考古学は文字の無かった昔の研究だけでなく、過去の人類の歴史を通じて、現在人類が抱える問題に過去の人類はどう対処してきたか、環境破壊、生態系の破壊、戦争、などの解決策を探り、未来の人類が進むべき道(絶望の道かもしれない)を示してくれる学問でもあるわけです。動物のように遺伝子の命じるままに生まれて子孫を残して死ぬだけなら、人類にいかなる学問も必要ありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
「文字の無かった昔」は次代にメッセージを伝えることが困難で、考古学とは
その文字無き(声無き)メッセージを紐解き、現代に活かせればということなのでしょうか。

お礼日時:2001/07/25 20:30

それは結局、


「歴史の勉強をなんでするのか?」っていうところに行き着くと思います。

もし、考古学の発掘とかがまったく無かったら、
歴史の教科書が作れないと思います。
そうすると今度「なんで歴史の教科書作る必要があるの?」ってなって、
「なんで歴史の勉強する必要があるの?」ってなりますよね。

ということは、ものすごい大ざっぱな言い方すれば、
歴史の教科書作るために発掘してる、ってことですよね。
これが「発掘などの考古学による現代社会への恩恵の実例」になりませんか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます
逆説的でおもしろいです

お礼日時:2001/07/25 20:26

僕個人は、美術館に絵を飾る事は充分実用に足りていると思います。

それを見て気持ちが落ち着く人が居るんですから。
あと、非破壊検査などへの応用も話されていますが、「温故知新」という言葉も有る通り、古いことを知ることで、新しいことが見えてくる場合も有ると思います。
たとえば日本人の頭蓋の骨格の形。最近よく話されているようですが、硬い者を食べる機会が減ってきて、このままでは顎が異常に小さくなってしまい、歯並びが悪くなり、それが原因の病気になる人が増えるだろうから、もっと硬い物を食べようと言われていますが、これなどは昔の人の顎の形と比較出来たから注意出来るようになったんだと思いますよ。
昔の人の食べ物を知ることで栄養状態を把握でき、今と比較して、どこが良いとか悪いとか......
まあ勿論、面白くてやっている事の副産物なのかもしれませんが.....
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この回答へのお礼

ありがとうございます
現代人のほうが寿命が長いとはいえ、健康で長生きしてるかは疑問ですからね
昔のほうが健康的だったことを知るのは価値があることですね

お礼日時:2001/07/25 20:23

僕は考古学は門外漢ですが、得てして「研究者」とか「学者」なんて連中は面白いから研究してる、ってのが本音だったりします。


大学の研究の中には「こんなんわかってどうすんの?」っていうのがゴロゴロありますし、一応、文部省etc.からお金を貰う手前「期待できる効果」なんて事を挙げますが、要は「だって、どうなってるか知りたいじゃん!」だったりするのが....。

ビジネス的に言えば会社とかがそれに出資することで
・大発見だったときの「スポンサー」として広告に使える
・教育、文化事業にも貢献している会社というイメージアップが期待できる
・利益として計上すると半分税金で持っていかれるんで、それだったら寄付して上記の効果を期待したほうが良い
なんて「利益」がありますね。
自腹で研究してる側としては、下品な言い方をすれば「道楽に金をつぎ込んでる」わけで、恩恵も何も....(^^ゞ

あ、そうそう、考古学に関して言えば、発掘や発掘場所探しのノウハウが鉱脈探索や非破壊検査の技術にフィードバックやフィールドテストとして役に立ってると言う話を聞いた事があります。
ホントかどうかは判らないですけど。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
スポンサーになってイメージアップ・・・
あざといけど現実的ですね

お礼日時:2001/07/25 20:20

個人的には、考古学というのは実学ではないと思っています。



美術館に絵を飾ることに実用性はないように、
博物館に土器を飾ることにも実用性はないのでは。
そして考古学者というのは画家みたいなものかなあ、と。

知りたい、見たい、と思う人が多くいるから、税金を使ってまで
発掘をしてるのじゃないでしょうかね。

まあ、素人考えです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
知りたいという欲求に応えるのは十分実益がありますね

お礼日時:2001/07/25 20:08

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Q考古学の定義・目的について教えてください。

考古学の定義・目的とはなんでしょうか?
定義・目的をもちいて、今現在を見つめなおす上でどのような効果が考えられるでしょうか?あとひとつ、考古学の魅力について何かお聞かせいただけませんでしょうか?よろしくお願いします。

     「古きをしり、新しきをしる」この言葉がすきなんです。

Aベストアンサー

 
  これは、あくまでわたしの考えで、専門家が見れば、違っているということになるのかも知れませんが、その場合は、訂正を願いたく思います。ただ、考古学の定義などは、専門家でも意見が分かれているのではないかと思います。考古学自身の扱う範囲が広くなって、細分化も起こっているからです。
 
  端的に言いますと、考古学は、広い意味の「歴史学」の補助学、または広い意味の歴史学の代表的一分野・領域だということになります。
 
  それでは、歴史学とは何かです。歴史学とは、端的に、過去を知ろうという学問ですが、過去にどんな事件があったとか、戦争や政治や昔の人などについて知るだけでなく、過去の社会の制度や文化、現代とは異なる構造や文化を持っていた過去の社会の内部で、またそのような複数社会のあいだで、どういう進展や変化があって、その結果としてか、それに随伴してか、何が起こったか、を解明し解釈する学問です。
 
  このようにして解釈され、再現された過去の社会の制度や文化や事象・事件・人物などの経緯を、現代の社会の制度や文化や倫理や思想に対比させて、現代を相対化させる、人間の営みを、過去の社会から現代の社会への、飛躍しつつの連続体であると考え、現代だけで見ていたり、考えたりしていては分からない、「現代の特徴・特性・構造」を理解し研究するの参照するための「過去研究・解釈・再現」の学問が歴史学です。
 
  歴史学では、過去を知り、解釈し、理解し、再現を試みるために、まず、「基本資料」が必要になります。「資料」の年代や信憑性などを吟味する必要もあります。この基本資料を元に、例えば、どこでは、何年に戦争が起こったとか、どこの誰が、ある国で、政治の主導権を握っていたかとか、フランスの人口は、10世紀頃は何人いたのかとか、どういう成文法があったか、またその成文法からすると、当時、どういう犯罪があったか、社会問題があったか、権利について、どういう風に考えていたかなどが、推測されるのです。
 
  基本資料から、何年にこういう戦争が起こった、何年に、誰がフランスの王位についた、8世紀には、ドイツには、どういう国があって、どういう国境があったか、……こういうような、歴史において、ここで何があった、この時はこうであった、という、特定の時間点、空間点における、参照「事実」というものが出てきます。また、社会がどういう姿であったのか、「枠」についての色々な情報ができます。
 
  話を飛ばしますが、基本資料を基にして、色々な事件や歴史の枠についての図式ができても、そこで生きていた人々は、どういう風に色々なできごとや社会の文化やありようを捉えていたのか、よく分からないのが普通です。また、資料では、どうしても分からないことが一般出てきます。歴史学では、ここで「歴史学者の想像力・経験的了解力」というものが問題になって来ます。昔の人が、どういう風に感じ考えていたのかは、現在とは異なるのですが、しかし、人間の行為ですから、現代人との共通性もあるはずです。歴史の資料のあいだから、分からない隙間を、解釈・想像で埋め、全体としての生き生きした「過去の像」を築くことが歴史学者の役割になります。
 
  現在では、多面的に歴史を眺めようとします。歴史の表面に現れる、戦争や政治的事件という、記録によく残っている出来事の記録という相と、当時の社会に属した人のエートスはどういうものであったか、文化はどうであったか、世界観や宗教や思想、人生の意味はどういうものを考えていたのか、こういう考察や解明も必要になります。技術の発展段階なども問題になり、経済的な構造から、歴史のできごとを解釈し、理解しようとする相もあります。
 
  歴史学は、最初は、「文字記録」を主要な「資料」とし、それに、遺跡であるとか、伝承されている物品とか、人間が意味を解釈しないと、それ自身では、人間の「言語」になっていない資料を組み合わせ、過去の再現を試みたのです。
 
  これに対し、文字を持っていない社会はどうするのか、文字記録があっても、失われた場合や、解読できない場合はどうするのか、また、もっと重要なのは、ずっと過去に遡ると、文字そのものが発明されていない時代に辿り着きます。この場合、文字記録は、どう捜しても最初からないのだということになります。こういう場合、「文字記録」を基本資料には使えないということになります。
 
  広い意味で、「文字記録」を資料として頼れない場合は、大きく分けて、「未開社会」と呼ばれる社会の場合と、時代が非常に古いので、そもそも文字が発明されていない、「原始(無文字)時代」と呼ばれる社会の場合があります。未開社会と原始社会は同じようなものですが、未開社会は、一世紀前には、まだ地球上にたくさん残っていたのです。こういう「未開社会」の社会構造や文化や人々の心理を調べ研究しようというのは、「文化人類学」へと分化というか、学問成立して行きます。
 
  他方、原始社会・無文字社会、それも、西欧などなら、西欧自身の無文字社会段階の歴史はどうなるのか、また、キリスト教で関係の深い、中近東などの無文字時代の歴史はどうなるのか、という問題で、「文字資料」以外の「遺跡」とか「遺物」とかを、研究する学問が分化成立します。これが「考古学」の出発だとも云えます。この場合、歴史学の補助学であったのです。考古学が収集し、それなりに整理して枠を造った、遺跡・遺物資料の解釈を使って、過去の歴史を再現するのが歴史学になるからです。
 
  考古学者は、「発掘屋」になった訳で、研究室で、資料を基に、立体的に歴史を分析し総合する作業をするのが歴史学者で、考古学者は、遺跡を掘ったり、遺物を捜し、番号を振って、どの遺跡はどうなてちて、何時頃の時代には、こんな石器が出てくるなどの分類作業を行うのだとなります。極端には、考古学者は、掘り出して来ればよいので、分類作業は、歴史学者が行うということにもなります。
 
  また飛ばしますが、しかし、「考古学」の方法や技術は、どんどん進展した訳で、遺跡の発掘や、遺物の収集、発掘にも、歴史学者と同様のシステム的な情報処理と「想像力」がないと、よい発掘や遺物の発見や定置分類もできないのは明白で、そのことが段々と認識されてきます。
 
  更に、文字記録が残っている時代でも、考古学の方法は有効で、文字記録では分からない色々なことが、文字社会においても、考古学の方法や技術を使うと、新しい資料が得られるということが分かってきます。現代の科学的考古学になると、花粉分析とか、土壌のなかの成分原子の量から、そこにはいまは形が崩れているが、何があったかが分かるなど、「文字記録」以上に多様な情報が、無文字時代も、文字時代も含めて得られるようになっています。
 
  こうして、考古学の扱う範囲は文字時代の歴史学と同じで、基本資料として、広義の遺物を使用するのが考古学で、それでは、歴史学はどうなったかというと、考古学の資料を基に、より精緻に歴史を研究し、その範囲は、無文字時代までも広がっているということになると、考古学が扱っていた範囲を歴史学も扱うことになり、考古学も、文字資料も参照して歴史の再現ということになると、文字記録が、遺物記録か、どちらに主発点でウェイトに違いがあったかで、考古学も歴史学と同じであることになります。
 
  しかし、そういうことを言うと、「考古学」とは何か分からなくなるので、とりあえずは、文字記録以外の資料(主に発掘などで得られる)を収集し、分析し、分類し、解釈し、これらの資料を主に、他の文字記録や、歴史学の成果を取り入れつつ、過去の社会を解釈・想像で描こうとする学問だということになります。「想像」は重要で、文字記録でも、書かれていることの行間を読むとか、他の文字資料との関係を考え、そこから、立体的なイメージを築く能力が必要になるのです。例えば、昔の人は、どうやって石器を造っていたのかは、実験で造って見るのですが、どんな技術を使っていたのか分からないものが多く、石を割ったりこすったりしていると、目的の石器がが再現できることもありますが、あれこれ想像して、こういう方法ではないかと、補助道具とか、力の入れ方とか想像して試すと、そういう石器ができることがあり、石器作製技術を、再現したというか、「再発明」したことになります。
 
  どうやって造ったのか分からない遺物は色々あり、有名なのは、殷の青銅器で、普通は、技術などは、後の時代の方が進んでいるのですが、殷の後の周の青銅器は、かなりお粗末なもので、確か、現代の科学分析で、殷の青銅器を調べても、どうやってああいうものを造ったのか、分からないというのがあります。今の技術で、青銅器を造っても、殷の青銅器のような高度に精緻なものは造れないのです。
 
  あるいは、昔の人はどういう衣服を着ていたのかは、衣服をまとった石像が残っている場合など、その石像に掘られている襞の流れなどを研究し、どういう布を、どういう風に身体に巻き付けると、石像にあるような襞の流れや、衣装の形になるのか、ということを試験して着方などを見いだすのですが、これも想像力が必要になってきます。
 
  長い説明になっていますが、「定義」は、上で述べられていると思います。簡単には、「無文字時代の社会や生活などの歴史を、遺跡や遺物の資料を基に研究する学問」かも知れませんが、最初の「無文字時代」は外してもよいでしょう。また学問の「目的」は上の述べた通りで、歴史学と同じです。狭義の歴史学の補助学問ともなりますし、それ自身で独立して「考古学的方法での歴史学」ともなります。人類の時間を通じてのありようを知り、未来や現在の生活や文化、価値観などに役立てるため、過去の再現を試みるのが歴史学で、その補助学問として考古学があるとも、考古学という特別の方法を持った歴史学があるとも云えます。
 
  >定義・目的をもちいて、今現在を見つめなおす上でどのような効果が考えられるでしょう
 
  人間の「普遍的側面」が明らかになるということでしょう。人間がいかに愚かであったか、歴史の教訓が教えてくれますし、教訓が役に立たないという教訓もあります。また、文字や現代の科学技術に依拠した生活をしている人々に、無文字時代の人々でも、高い文化や、倫理基準を持っていたことを教えることで、現代が、「もっとも進んでいる」という傲慢や独善をたしなめる効果があるでしょう(現代人に、人力で、ピラミッドを造ることなどできないのです。クレーンとかを使えば、造れるかも知れませんが、しかし、石を切り出す技術が、いかに精巧で、また辛抱強さが必要な技術か分かるでしょう。……分かる人にはですが。分からない人は、別に考古学でなくとも、何であっても、自己の認識を高め反省する材料にはならないでしょう)。また、知識や技術の蓄積が、いかに現代人を、物質的精神的にも豊かにしているかが分かるでしょう。
 
  考古学の魅力は、やはり「未知への扉」をいつでも開いてくれる可能性があるということでしょう。常識を覆すことが出てくるので、魅力があると云えるでしょう。トゥタンカーメンの墓の発見にしても、彼の墓は、副葬品などが、当時の歴代ファラオの墓に較べると格段に少なく(誰かが、副葬品を半分以上、横領したという説があります)、墓の規模も、もっとも小さいのですが、それでも、あそこまで豪華であったとは、発見するまで誰も想像していなかったのです。
 
  殷の地下墳墓の発見は、千人規模の完全武装し、馬に乗った司令官や、戦車や、軍装をした兵士など、一部隊がまるまる埋められていたことが分かって、どういう目的で、こんなことをしたのか、それまで先例のないことで、今でも、よく分からないはずです。チンギス・ハーンの墓もどこか分かりませんし、殷の墓は、地下に造り、地上には何の目印もおかず、しかも、殷は、何度も都を移動しているので、多数の殷の墓が未発見で土の下に埋もれているのですが、これはどうなるのか、という好奇心があります。
 
  その他、何が過去にあったか、発見されないと分からない多数のことがあるはずで、何が出てくるか分からないということで、興味が尽きないでしょう(日本人の起源なども、最新の考古学の示すところでは、従来想像していなかったようなことがあります。大規模ビルなどを建築する際、整地段階で発掘を行うと、発掘と研究技術が進んだので、従来は見逃されていた事実が色々明らかになり、この発見は今後も続くでしょう)。
  

 
  これは、あくまでわたしの考えで、専門家が見れば、違っているということになるのかも知れませんが、その場合は、訂正を願いたく思います。ただ、考古学の定義などは、専門家でも意見が分かれているのではないかと思います。考古学自身の扱う範囲が広くなって、細分化も起こっているからです。
 
  端的に言いますと、考古学は、広い意味の「歴史学」の補助学、または広い意味の歴史学の代表的一分野・領域だということになります。
 
  それでは、歴史学とは何かです。歴史学とは、端的に、過...続きを読む

Q歴史という学問を学ぶ意義って?

自分は今は高3の受験生なのですが、最近ふと思ったのです。歴史って勉強する意味があるのかなぁ?って。他の科目には少なからず将来において役に立つような気はするんですよね。国語は文学作品から作者の論理を学んだり、感性豊かな人間を形成するとか、そんな感じだし、数学は、微分とか積分とかっていう具体的なことっていうよりも、論理的な思考で物事を捉えたりで、理科も似たようなところかな、政治・経済はもちろんこの日本社会を生きるのに役立つ知識だし、英語はもちろんこれからの国際化社会に役立つだろうし、これらは全て日本社会を担う人材を育てるのにすくなからず役に立っているのではと思うのですが、歴史はなんのためにあるのだろう?って思うのです。温故知新という言葉はあるのですが、皆さんの意見を聞かせてください。

Aベストアンサー

noginogya君こんにちは。
非常に素直な疑問だと思います。また、質問の構成が論理的なので感心してしまいました。私も高校生のころ同じような疑問を抱えていました。むしろ、疑問も抱かず、物事の意味も価値も考えず葛藤さえ起こさない方が、人生というスパンで捉えれば怖い気さえします。感覚的で好き嫌いという感情だけで物事を捉える薄ぺら人間にならないとも限りません。
 私は、高校時代何故、近代史を教えないのか疑問に感じていました(近代史にも興味がありましたので)。それは後になってわかりましたが。
 さて、本題ですが、日本は教育環境も社会風土も極端に言えば歴史事実の羅列を時系列的に教えているだけのような気がしてなりません。そうした意味では、゛歴史を学ぶ゛であり、教訓として生かす゛歴史に学ぶ゛ではないようです。ドイツの良心と評価されたワイツゼッカー前大統領は「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となる」と、ヒトラー時代の非人間的行為を懺悔して、世界とユダヤ人に対し謝罪しています。このように歴史に学ぼうとしないものは、また同じ過ちを繰り返すことを示唆しています。この言葉は各国の歴史教育の中で近代史を教える際に必ず引用されるほど有名です。
 歴史は古代から現代まで人類が営々と築いてきた、政治から教育、生活に至るまで、人類の文化や英知、知的財産のエッセンスが凝縮されている宝庫と言えます。noginogya君がこのような問題意識も持っている限り、歴史から学ぶことは多いと思いますよ。役に立つ役に立たないという、小さな枠にとても収まらないのも歴史の持つ凄さだと思います。

noginogya君こんにちは。
非常に素直な疑問だと思います。また、質問の構成が論理的なので感心してしまいました。私も高校生のころ同じような疑問を抱えていました。むしろ、疑問も抱かず、物事の意味も価値も考えず葛藤さえ起こさない方が、人生というスパンで捉えれば怖い気さえします。感覚的で好き嫌いという感情だけで物事を捉える薄ぺら人間にならないとも限りません。
 私は、高校時代何故、近代史を教えないのか疑問に感じていました(近代史にも興味がありましたので)。それは後になってわかりました...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む


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