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うちの祖父は1939年生まれですけど、祖父が成人する頃にはかなり豊かな日本になってましたか?

A 回答 (5件)

敗戦後の混乱を経て、1950年からの朝鮮戦争特需により、経復興が軌道に乗り始める。


1951年にはサンフランシスコ平和条約で、米国軍政下を離れ、1956年には国際連合に加盟。そしてその頃から戦争のために中止になった幻の東京オリンピックを実現すべく、1964年のオリンピックの招致活動も本格化する。そして見事招致が決定したのが1959年だ。
翌年から池田内閣の所得倍増計画が始まる。
1959年はそういう年だった。今とは比べようもないが、それ以前の貧しさに比べれば豊かさを実感し始めた頃だろう。

当時は通貨の交換レートがまだ1米ドル360円の固定相場制だった時代だ。
今から比べれば、円の交換レートが3分の1以下だった時代だ。パソコンどころか電卓さえない時代だ。家電も品質の悪い製品が浸透し始めばかりで、よく故障していた時代だ。

円の貨幣価値以上に、物質的には、今から見れば、今の貧乏国よりも貧しかっただろう。
しかし、1959年は、オリンピック招致が決まったように、敗戦の焼け跡から立ち直り、世界に向けた再躍進が始まった躍動の原点とも云える年だ。
みなが貧しいとしても、躍動感と未来への希望に満ちた日本であったと思う。昨日よりも今日、今日よりも明日はもっと豊かになれる。そう思える心の豊かさは今の日本よりも遥かに上であったことは間違いない。
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1959年という事ですか?


自然は豊かですね。空爆のなかった地域は。
車なんて走ってませんから、公害なんてのもありません。工場の公害が問題になるのももっとあと。鉱山は色々あったでしょうけど、社会問題視されず。
食べ物も、無理に闇市へ行かなくともそこそこ手に入ったようですから、飢えに苦しむというところからは解放されていたと思います。
でも、舶来物は高くて手が出ませんね。バナナとかパイナップルなんてのは高級品で、メロンなんて言った日には月給かけないと食べられないぐらいです。
風邪で寝込むと、栄養付けろと言って鶏卵を食べられたぐらいです。つまり、普段の食事では鶏卵は高級品です。たまにしか食べられない。
栄養が足らないからと、油をとれ、揚げ物や炒め物を推奨されたぐらいです。今じゃ逆ですがね。揚げ物と言ったって、裏山からとってきた山草とか菜っ葉とかばかり。油が主食みたいな感じです。妖怪か?
初任給が数千円。少し後に3億円事件が起きたわけですが、当時の3億は今と桁違いの価値があるわけです。
TV放送もまだかな?洗濯機も出始めか、脱水機はなく、ローラーを通すタイプですね。車の普及率は村に1台とかそういうレベルです。うちの近所は庄屋(市長)と材木屋の3輪トラックだけ。道はくねくね砂利道ばかり。
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1960年前後だと「もはや戦後ではない」と言いつつも、まだ豊かさを実感するところまでいってないでしょう。


やはり東京オリンピックを挟んで高度成長期に入った1960年代後半以降、お祖父さんが30歳くらいから後ではないでしょうか?
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その生まれで成人というと1959年くらいですよね。



結論を言えばその頃は「豊かな日本」に向かって頑張っている人たちがいた時代です。
その為色んな人たちが死にました。
あの有名な黒部ダムはちょうどその時代で、子供も含めて重労働やトンネル用のダイナマイトの事故で沢山の血が流れたりもしてます。
「黒部の太陽」という映画があるので是非そちらの鑑賞をお勧めします。

それがその1960年代前後のお話です。
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第二次世界大戦直後なのだから 子供の時に豊かな暮らしを経験していない



物資はあるが 心は そんなに豊かでは無かったと 思いますよ
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