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あるナ形容詞が同時に名詞である場合は、名詞として使いたかったら、後ろに「さ」を付ける必要があるかどうか分かるようになるにはどうすればいいんですか?例えば、辞書によると「健康」も「丁寧」も名詞としても形容動詞としても扱われていますが、私が知っている限り「丁寧」だけで名詞になれなくて「さ」を付けなくちゃいけません。他方で、「健康」自体がすでに名詞として使われることができて「健康さ」は不自然に聞こえるので「さ」を付けません。

つまり、聞きたいのはこの2種類(「さ」を付けなくちゃいけない派vs付ける必要のない派)を易々区別する方法はありませんか?あるいはケースバイケースアプローチを取って少しずつ慣れるまで吸収するしかないんでしょうか?

A 回答 (6件)

「ナ形容詞」(国文法では「形容動詞」と呼ぶ)の存在を認めない学者は「名詞」+「だ」と考えるくらいだからその名詞の部分を取り出せば、「名詞」になるはずですが、そうはいかないケースが多いですね。


 「健康」はそのまま「名詞」。「丈夫」は「丈夫さ」。その区別は主語として使えるかどうかが、一つの方法です。「健康が大切だ」と言えても、「丈夫が大切だ」とは言わない。「静かが必要だ」「穏やかがある」はない。この程度の区別はできるんじゃないですか。
「辞書」によっては、品詞を書くとき、「名・形動」と書いているものもあります。「広辞苑」などは「形容動詞」を認めていませんから、「形容動詞」とは書きません。
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複数の問題と誤解が絡み混乱しています。



まず、ナ形容詞という品詞区分が誤りです。

正しくは、ナ形容詞と呼ばれるのは二語で、語幹の部分を一語としなければなりません。そして、これは活用を持たない属性表現の語です。また、同じ形式で名詞となるものもあり、その場合は多義語ということになります。この活用を持たない属性表現の語は<静詞>とでも名付けるのが適切です。従って、「健康」「平和」「華麗」「丁寧」などは<静詞>と<名詞>の二種類があるということです。

さらに、<名詞として使いたかったら、後ろに「さ」を付ける>のではなく「さ」は接尾語で、「おいしさ百倍」「楽しさ倍増」「長さ10m」のように属性表現を量的に実体化して捉えるもので単に名詞として使いたいから後ろに「さ」を付けるのではありません。

量的ではなく、質的な実体把握の表現の場合には「うまみ」「高み」「すごみ」「厚み」「暖かみ」「悲しみ」のように接尾語「み」を使用します。これは形容詞の語幹に付加されます。

これらの意義、性格の相違を無視し、単に名詞という区分で同一視するのは誤りです。

そして、接尾語「さ」や「み」を付加するか否かは量的、質的な把握に意味があるか否かで判断されるもので、「丁寧さ」の場合は量的実体把握の表現であり、「あの店は丁寧が取り柄だ。」の場合は名詞としての用法になります。

このように、まずナ形容詞という品詞区分が誤りであり、「さ」「み」は接尾語として属性を量的、質的な実体把握により名詞として表現するもので、これらを味噌も糞も一緒にして論じるのは誤りで、混乱するだけです。■
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もう少し補足すれば、「ナ形容詞の名詞化」という発想自体が誤りということです。

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「さ」がどんな場合に使われるか、が先です、形容詞、姿・形の中でも程度があるものの程度、の表現に使われます。


大きいさ→大きいといってもピンからキリまで。
単純に名詞化なんて認識していると、とんでもない落とし穴があります・
例 これは箱(名詞)です→、この表現単独で十分あり得る表現です。
  これは大きさ(名詞)です、この表現単独ではありえません。
程度を表す「さ」を使った場合、前後どこかでその程度についての表現が必要になります、具体的な数値から様々な表現があります。
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質問者がどういうレベルの答えを求めているのかによって、答え方がまったくかわってきます。


 そもそも「ナ形容詞」 という言葉をつかっているということは日本語教育関連の方でしょうか。
 一般の国文法では「形容動詞」といいます(「ナ形容詞」 とほぼ同じものと考えてよいでしょう)。学者の中には「形容動詞」を認めない人もいます。「ナ形容詞という品詞区分が誤り」と主張する異次元のSF文法づかいもいます。無視したほうがよいでしょう。

 そんなこんなで、ちゃんと答えるのは難問です。
〈「さ」を付けなくちゃいけない派vs付ける必要のない派〉を簡単に見分けるのは、むずかしいでしょうね。
 詳しくは下記をご参照ください。
【ナ形容詞の名詞化について goo】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12593335976.html

【3】(【3】名詞なのか 形容動詞なのか 健全 安全 偉大〈1〉~〈5〉の〈5〉だけは読んだほうがいいかも)のリンク先の表だけ抜粋します。
 大雑把に言うと、形容動詞的性格の言葉は「さ」が必要。名詞的性格の言葉は「さ」は不要ということになると思います。〈ケースバイケースアプローチ〉を取るしかないでしょうね。
「ナ形容詞の名詞化について」の回答画像5
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<ナ形容詞>という誤りについて



先に、「ナ形容詞という品詞区分が誤りです」と指摘しておきましたが、名詞/形容詞の相違も理解できずにあれこれ回答されている方が見られるので、「ナ形容詞という品詞区分」の何が問題であるのかを簡単に説明しておきます。

<ナ形容詞>というのは国文法では<形容動詞>と呼ばれるもので、主に「華麗だ」「綺麗だ」「平和だ」「丁寧だ」「健康だ」などの終止形が「属性表現の漢語+だ」を一語とする品詞です。この連体形が「華麗な」「綺麗な」と語尾が「ナ」になるところから日本語教育文法では<ナ形容詞>と名付けられたものです。

この定義の何が誤りかといえば、「華麗だ」「綺麗だ」の活用語尾とされる「だろ・だっ(で・に)・だ・な・なら」は助動詞「だ」「な」そのもので、助動詞としての意義を持ち、それ自身一語であるにも関わらず、これを活用語尾とし、語幹とセットで一語とする所に根本的な錯誤があります。

活用とは次に続く語による形の変化を云うもので、活用により意味が変化するのではなく、当然活用語尾自体は意味を持ちません。しかしながら、<形容動詞><ナ形容詞>は語尾が意義を持ち、活用により意味が変化することになります。

このように、<形容動詞><ナ形容詞>という品詞区分は日本語の単語とは何かという文法の根底に反する誤った定義ということです。

名詞の場合には「華麗だ」「綺麗だ」の語幹部分「華麗」「綺麗」だけで、語の定義から外れることからも明らかです。

現在の学校(橋本)文法、日本語文法という形式主義/機能主義的な言語論、文法論の欠陥の表れであり、このような誤った定義から質問のような混乱した疑問が生ずることになります。

この根本的な誤りは、橋本進吉の弟子である時枝誠記により言語過程説として正されていますが、不十分な点もあり学校文法の改革に至っていないのが現状ですが、それで良いというものではなく、科学的な言語論、文法論への変革が必須で、基本的な点は三浦つとむ『認識と言語の理論1~3』『日本語の文法』(勁草書房)他として提示されていますが理解されずに無視されているのが現状です。■
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