電子書籍の厳選無料作品が豊富!

かつて、東ドイツの中にベルリンがあり、東西に分かれていました。そこにベルリンの壁ができたのですが、なぜベルリン市内1周つくらなかったのか。壁のないところからは西側には亡命できないなにかが、あったのでしょうか。

A 回答 (5件)

私も同じ疑問をもちました。

下記URL参照。東ベルリンをぐるりと囲んでたらしいです。

参考URL:http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=683663
    • good
    • 2
この回答へのお礼

同じ疑問が先にあったのですね。ありがとうございます。東ベルリンではなく西ベルリンを囲っていたのではないのでしょうか。

お礼日時:2005/01/13 21:40

たしか、建物の壁面がそのまま壁代わりになっていた所や、川を挟んで東西が分かれていた所もありましたねぇ。


もちろん国境警備兵はいますし、封鎖されていました。壁代わりになっていた建物の床下を掘って、たくさんの人が一度に脱出した事件もありましたね。
    • good
    • 2

下記のようなデータになっていました。


西ベルリン-東独間の約半分には壁があり
約半分は金網(普通の国境)だったみたいですね。
「壁+金網=西ベルリンを囲む長さ」になっていなけど・・・

-------------------------------------------
西ベルリンを囲む長さ 155,0キロ
(うち東西ベルリン間 43,1キロ)
(西ベルリン-東独間 111,9キロ)

コンクリート製の壁 106,6キロ(高さは3.5-4.2メートル)
金網         66,5キロ
    • good
    • 2

え?


壁は西ベルリンを網羅する形で形成されていたと思うのですが。。。
参考URLを見て下さい。

「壁のないところ」というのは基本的になかったはずです。(金網などはありますが)

完全フリーの場所などあるわけないと思いますが?

私の知識不足でしたらごめんなさいm(_)m

参考URL:http://www.mauer.jp/info/info01.html
    • good
    • 2

ベルリンの壁は街中に国境があったので、


高い壁が必要だった訳です。

東ベルリンと接する以外、東ドイツと接する
部分は原野だったので、普通の柵のような
国境だったのでしょう。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!