アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

戦国時代において、武田信玄や大友宗麟など大名が出家する例は多々ありますが、調べてみるとどちらも出家時点ですでに妻帯しており、子もいます。
妻帯禁止が解かれたのは明治からだと存じていますが、戦国時代においてはどうだったのでしょうか?

A 回答 (2件)

戦国武将としての生活は頭を剃る以外は変わらないです。



武田信玄は出家後に子供をもうけています。
武田信玄は出家した事を外交的に政治利用して、比叡山を焼き討ちした織田信長を討伐するための大義名分として権僧正の地位を得て上洛作戦に臨んでいます。

また上杉謙信の場合は、家臣団の内紛が出家の原因であるとされ、出家により家臣をまとめる為だと言われています。
謙信は、妻帯者ではなかったのですが、出家前の上洛時には、かなり女性と遊んだようですね。

このように戦国時代の武家・武将の場合は、出家してもほぼ生活は変わらずでした。

ただ出家させられる場合、北条氏直や真田信繁(幸村)や古くは源義経のような場合、時の権力者から排斥される意味で、僧侶とし現世の権力と断ち切り幽閉生活とする強制的な出家もありました。
ですが、信繁や義経はその後に脱走し還俗して、武将として活躍していますよね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
寺院的には妻帯したまま出家するというのは問題なかったのでしょうか?
その頃には僧侶の妻帯は許可されていたのですか?(一向宗を除く)

お礼日時:2020/06/06 23:42

戦国武将になると、寺院はあまり関係がないです。



剃髪して仏の道に入ると宣言しても、その領地領民家臣を纏めて、時代を生き残っていかなければならないです。
その目的の為に、出家して仏の加護を得るということもあります。
出家して、俗世と関係を完全に断つわけではないです、戦争をしたり女性と子をもうけて統治する国や家を外敵から守り、国を安泰にしなければならないです。
そのために、上杉謙信にしても、武田信玄にしても、他の戦国大名でも、
更に昔に遡れば、平清盛も後白河法皇も、出家した後、その権力を維持して更に権力を拡大するために寺社を統治や外交で利用です。

宗派にはよるのですが僧侶でも、織田信長と激しく対立した石山本願寺の顕如は、公家から正室を貰っていますし、
大きな寺社勢力は、信仰のために仏教に帰依する訳ではなく、俗世の権力闘争の為に信仰を利用してることが多いですね。

俗世の権力には関係ない人物ですが、室町時代の一休宗純も妻がおり子がいました。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!