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あの有名なシーンですが、浅野内匠頭と吉良上野介の一件がきっかけで浪士たちの討ち入りが決まったのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • あと、いわゆる「喧嘩」の内容は何だったんでしょうか(切りつける理由など)

      補足日時:2020/06/17 15:28
  • もうひとつ質問ですが、例え藩主、浅野内匠頭が亡くなっても息子などが後を継ぐということはなかったんでしょうか?家臣をすべてリストラさせる意味はあったんでしょうか

      補足日時:2020/06/17 15:31
  • 勅使の饗応役という言葉が出てきましたが、確かに接待役を任され「式台の上か下か」だけを聞いたのに嫌みったらしく答える吉良殿にも問題はあるけど、そもそも勅使とは誰なのでしょうか

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/06/17 16:14

A 回答 (5件)

https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4922

ここに詳しく載ってます。コピペします。

この刃傷事件は、勅使の饗応役となった内匠頭が、付け届けの不足を根に持った吉良に冷たくあしらわれ、それがもとで起きたと一般的には語られます。事件の少し前、「勅使ご登城の刻限と存じますが、式台でお迎えすべきでしょうか。それとも式台下でお迎えすべきでしょうか」と内匠頭が吉良に尋ねたところ、吉良は冷笑して、「今頃になって左様なことを訊かれるとはもってのほか。その程度の御作法は常日頃からお心がけなさるべきもの。にわかに仰せられるとは笑止千万」と教えませんでした。さらに吉良は、近くにいた梶川与惣兵衛に内匠頭の悪口を散々に言い聞かせ、その仕打ちに内匠頭は堪忍袋の緒を切ったといわれます。

忠臣蔵では、強欲な吉良の非道な仕打ちを描くことで、内匠頭の悲劇を際立たせますが、そもそも勅使饗応役が、殿中の作法を指導する高家に謝礼として付け届けをするのは当然のことでした。それを内匠頭の家臣が、倹約のため相場よりも付け届けの額を減らしたのは事実であるらしく、倹約が仇になったとする見方もあります。また、付け届けの額が少ないからといって、それだけのことで腹を立てて意地悪をするような吉良だったのか。むしろ内匠頭の性格にも問題があったのではないか、という見方もあります。
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刃傷事件がなければ起きないことですからそりゃきっかけになって後々討ち入りが決まったことでしょう。


それ以外二年近くも後に赤穂の藩士が江戸で吉良上野介義央を討つ理由はありません。
この回答への補足あり
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百聞は一見に如かずです、DVD Videoが数多出ていますので、見た方が宜しいですよ。


片岡千恵蔵のが東映のスターが勢揃いなので、観て楽しい・・・
12月には、定番物なので、何処かで放送してたのけど、平成の御世に、なってから放送しなくなったですね。
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ま、そうだけど。


 浅野内匠頭は殿中で刃傷沙汰を起こしたことにより切腹&浅野家はお家取りつぶしという処分なのに、吉良の方はお咎めなし。
 ↑が討ち入り(敵討ち)の原因で背負うなぁ。
「刃傷松の廊下について(過去質からの続き)」の回答画像2
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当時「喧嘩両成敗」というものがあり、お互いが五分五分の裁きを受けるというのが慣習でした。


しかし、この事件では吉良はお咎めなし、浅野は切腹の上御家断絶という裁きが下りました。
もちろんセリフでもよくある「殿中でござる」ってことで、そういうところで刀を振り回した浅野内匠頭が重い裁きを受けて当然ですが、底に至るまでの吉良上野介に寄る「いけず」が何度も繰り返され、恥をかかされたのも事実です。

 で、赤穂藩は御家断絶で、全員「浪人」になります。
浪人になるのは我慢できてもやはり片手落ち(これは現在放送禁止用語ですが)の裁きに対して憤りを感じ、せめて吉良の首を取りたいとのことで討ち入りをするわけです。

 ただ、もうこのことは現代で言うところのゴシップとして「赤穂はいつ上野介を討つのか」とか、「一体いつまでほったらかしにしているんだ」などという世間の目もあり、大石良雄はそれを欺くかのように「討ち入りなどもってのほか」などというようなフリをして、有名な京都先斗町の「一力茶屋」で放蕩を尽くすわけです。そして着実に計画を立てて、見事主君の仇を討ったということですね。
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