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平均寿命というと20世紀以降しか統計がなく、古代・中世日本の寿命については推測するしかありません。
もちろん、現代と比べると大幅に短く、30~40歳程度だったでしょうが、過去の日本は外国と比べて清潔で、戦乱や疫病も少なく、住民がみなごろしにあうようなこともなかったので、同時代の海外と比べると一般に長寿だったのではないかと思いますが、どうでしょうか。

なお、邪馬台国の時代の中国の書物(魏志倭人伝)においては、「人々は長寿で或いは百歳、或いは八、九十歳の者もいる。」と記載されています。

質問者からの補足コメント

  • 他国と比べて長寿だったかどうかを質問しています。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/07/20 19:51
  • ですから、古代・中世の日本人は海外に比べて長寿だったかを聞いています。
    今と比べて大幅に短かったことはわかっています。
    なお書きの魏志倭人伝の記述でなく、その前の質問文にお答え願います。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/07/20 20:47
  • 比較しているのは、同時代の東洋・西洋諸国です。
    また、古代・中世と書いていますので、邪馬台国~室町時代までです。

    そして、寿命を知るには歴史史料以外の方法もあります。
    過去の墓・遺骨を発掘して調べるだけでも、どの程度の寿命だったか分かるでしょう。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/07/20 20:55

A 回答 (7件)

平均寿命というのは、統計的には出産したばかりの赤ん坊の平均余命です。

昔の平均寿命の短い理由の大部分は乳児死亡率の高さで、乳幼児期を経過し、結核に感染しなければ60以上くらいまでは生きます。
長寿に見えたということは、中国の史書が考えているよりも平均的に老人が多かったということでしょう。
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ちなみに神武天皇127、綏靖天皇84、安寧天皇67、懿徳77、孝昭114、


孝安137、孝霊128、孝元116、開化111、崇神119などが当時の天皇の史書における記載年齢ですが、100才を越える数値は何らかの加工を行った数値と考えるべきでしょう。

天照大神:105000年
天忍穂耳神:1794300年
ニニギ尊:318542年
ホホデミ尊:637892年
ウガヤフキアヘズ尊:836042年

こういうとてつもない超巨大数値をそのまま信じろと言われても今の人には理解不能と思いますので、その件での強制はありません。

なお、2倍暦という説を出される方がいらっしゃいましたが、あれは二毛作などを根拠されて古田武彦という学者さんあたりが出した説のようですが、私は採りません。

2で割れば、妥当な数値になると言われてもそんな単純なものではないと思います。

細かい説は省きますが、もっと複雑な換算法があったともいます。

当時においても1年=12か月ということで、暦は作られていたと思います。
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貴方の言う他国とはどこの国でしょうか。

朝鮮・中国ですか。
あの時代もあいまいですね。新羅・百済・高句麗の3国時代ですか。
加羅(任那)加えるべきか。


この時代の人々の寿命で信じられる数値を記す書のほうが少ないというべきです。
史記・三国史記・三国遺事とかいろいろありますね。まあ、これらの国もこれらの史書を基に歴史を組み立てていますね。でも統治者の寿命ならともかく、その下の一般庶民の寿命までは難題でしょう。

古事記・日本書紀があっても、この時代の歴史はきちんと解明されていません。

今の学者は邪馬台国・倭の5王などの歴史について、いつ果てるともない論争中。

あれに決着がつくのは絶望的という気がします。

一体、何百年かければ、決着のが付くのやら。

百家鳴争いや、百家迷走というべきか。

断っておきますが、紀元二六〇〇年は信用できません。

今はいい時代。戦前にこんなコーナーを設けたら非国民でしょうね。
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誇大数値。


平均寿命というよりは一番長生きした人の数値を概数で示したというべきか。
参考に下をクリックしてみてください。

https://tabi-labo.com/276477/lifespan-picture-bo …

その意味で古代の人が、それくらい生きたいなあという希望寿命かなあ。
継体天皇が82才まで生きたという説があるかな。でもこの辺が限界。

なお、問題の邪馬台国ですが、日本全国あちこちに候補地が現れていつ果てるともない論争が繰り広げられていますが、多くはご当地ソング。

大和朝廷以外は相手にする必要はないでしょう。
この回答への補足あり
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大昔は


幼少期に死ぬ確率が高かったと聞きます。しかし、この事を省いた寿命論かもしれません。つまり、平均寿命は短かったと思います。つまり、死ななかった人で高齢者がいたという事でしょう。高カロリーではなかったでしょうから、成人病は少なかったとは思います。

現代は
成人病との戦いは増えましたが、医療は充実していますから、高齢者だけで見ると、違いが少ないのかもしれませんが、幼少期の死亡率は改善されたと思います。
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恐らく二倍年暦での数え方でしょうから、だいたいその半分でしょう。

この回答への補足あり
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卑近の例として山梨県に長壽村がありましたが文明社会の発達から閉鎖社会の中に車などの文化が押し寄せこれに若者が感化され逆さ仏がでる事態となりました


邪馬台国も文明の発展とともに長壽国から現在の状態に変遷してきたのでは思います
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