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生野眞好氏の「陳寿の記した邪馬台国」NO1、NO2を何度も読み直してみて、、、結論として{やはり邪馬台国なる地域は伊都国に隣接していた、、}と考えているのですが、どうでしょうか?

A 回答 (4件)

記された地図にそっていくと、鹿児島の下辺りの島に上陸するそうです。

そこから九州説が強くもなりました。宮崎県などには古墳がたくさんあり、まだ発掘されていないものもあります。発掘したら、歴史が変わるので、発掘許可が日本からおりないという話もあります。
まだまだ九州説も強いですが、本州の方が環境的にも合ってるといわれています。
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延々と続く邪馬台国論争ですが,最近では古田氏の畿内説と安本氏の北九州説が鋭く対立しましたが,どうやら安本説が有力とされました。


安本美典氏は2003年~2006年に勉強出版から5冊の本を発行していますので参考にして下さい。この一連の本の要約は(1)邪馬台国は北九州(2)卑弥呼は天照大神(3)邪馬台国が東征して大和朝廷になる。神武東征は事実。ご質問の邪馬台国は伊都に隣接していたとなるのが最新の安本説です。私も納得です・・・・。
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九州の筑紫や宇佐から東へ移り大和、、とか。

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考古学的には「畿内説」が有力とされています。


3世紀の土器の流通を見ると地方の土器が奈良地域に集約される傾向が見て取れることや大型古墳が畿内を中心に造営されることからみても妥当性がある、と言われているのです。
魏志倭人伝は、あくまで概要が書かれているのみなので「解釈」すればいかようにでもなるというのは「邪馬台国所在地論争」を見れば一目瞭然です。
おそらく他の人の著作を読めば別の邪馬台国像の方が正しく見えてくるでしょう。
「親魏倭王」の印と卑弥呼の墓が見つからない限り決着はつかないのかもしれません。(それでも「奪われた」「改葬された」と主張も出来る(^^;)
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