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満洲国について1つだけ質問です。

漠然とした疑問で申し訳ないのですが、日本は満洲事変を起こし諸外国を敵に回す危険性を冒しながら、なぜ満洲国を建国したのでしょうか?
満洲国が日本には無い資源大国というのなら話はわかりますが、どうもそうでは無さそうです。
戦時中まで多くの日本人が満州にいたのは知っていますが・・・。
詳しい方がおられましたらご教示頂けると幸いです。

A 回答 (14件中1~10件)

こんばんは!



そうですね…、日本は満州で何をしていたのか?

学校では、教えてくれない歴史の闇があります。

日本は、満州で阿片を栽培し精製して、外貨を稼いでいました。その利権を海外は狙っていました。特に米国は、熱心でした。東京裁判でA級戦犯になっていた、岸信介(安倍首相の祖父)、児玉誉士夫、笹川良一など、CIAとの取引で戦犯を免れ、戦後は日本のフィクサーとして活動した人達は、阿片利権の中枢にいた人たちです。

東京裁判で裁かれた内容の大半は、阿片に関するモノでしたが、その裁判資料を米国が日本から持ち去って封印していた為、ごく最近まで全容が明らかにされていませんでした。
その開示された資料を研究していた、米国スタンフォード大学フーバー研究所の西鋭夫教授が、その研究成果を披露し、満州と阿片、東京裁判の隠された事実を発表しています。

また、書籍では、『阿片王~満洲の夜と霧~』というモノがあり、真相が描かれていますので、関心があれば、一読をお勧めします。

参考になれば、幸いです!(^o^)丿
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満州は元々清国の皇帝一族の故郷だし日露戦争の勝利で日本が支配できる地域なので歴史的に元々あった地域に理想の国を作りたかったから。

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満洲は足掛かり大東亜共栄圏作りが目的、傲慢としか言いようがない、ラストエンペラー溥儀も中国に飲み込まれるのを嫌った、中国大陸は清朝のもの辛亥革命が成功しても中国は日本帝国、蒋介石、毛沢東、軍閥が大陸をわがものにしようと三つ巴の戦い、日本帝国の国際法規を無視した大陸侵略、行けども行けども反日、前線は広がり50万人兵隊を送っても中国人の抵抗はやまない、アメリカ政府の武器援助で泥沼、2.26事件本国では一家の働き手を取られ災害の時は食っていけない娘は売られ売春、下級兵士の窮状を聞いて青年将校が蜂起、昭和天皇が罪人扱いにして失敗、中国を支援するアメリカを攻撃を考案、溥儀は贅沢暮らしがしたいだけの能無し、溥儀が関東軍に転がり込まなければ歴史は変わっていた。

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日本帝国の思い上がり、大東亜共栄圏、日本民族に構想はあっても才はない、無知の極み、俺の母方の家族は満州引揚者、爺さんと弟はシベリア抑留、ソ連軍に侵された女性は多い、森繫久彌(俳優)、大山倍達(空手家)極寒のシベリア抑留で死んだ人は多い、まさに井の中の蛙大海を知らず。

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なぜ満洲国を建国したのでしょうか?


 ↑
日本の安全保障の要だからです

あそこが清国に支配されたら、朝鮮半島も
支配され、日本の安全保障が脅かされます。
元寇は朝鮮半島経由で日本を侵略しました。
それで日清戦争をやり、清国を追い払いました。

そうしたら、今度はロシアが狙ってきました。
それで日露戦争です。
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一部で「植民地政策がおかしいとか」「穀物を略奪したとか」を長文で言っておられる方がいますが、反日で歪んでいない視点からご説明したいと思います。


米を「朝鮮」から略奪したというのは悪意に歪曲です。
朝鮮は米の輸出し自分達の食料は輸入した雑穀を食べました。
彼らは、それの差額で利益を出して、国を富ませようとしました。
これは発展途上の農業国の政策として、今でもあたり前の行為です。
それに当時の日本は米が余っており、略奪する必要などありませんでした。
なので、朝鮮の安価な米の流入に農家は迷惑していました。


農家には 都市労働者と小作農と豊かな自作農の選択肢はあったのは事実ですが、当時の者なら誰でも考える事です。
確かに、政府は満蒙開拓団を送り出しましたが、それを「脅しによる強制移住」とするのは願望による歪曲だと思います。

それに、工業国になるのに、日本の農民を満州に送って農業をさせるでしょうか。



満州は植民地ではありません。
(少なくとも欧米型の植民地ではありません)

欧米の植民地ですが、「資源」や「商業活動」の為に植民地を獲得します。
(植民地を獲得するため「資源」や「商業活動」を重視するのではありません)
そして、そこで働くのは、現地人です。

そのシステムは以下のような、ものでした。
1:単一の作物のみを作らせる。
2:作物を安く買い上げ本国に持って行く。
3:様々な本国の製品を植民地に売りつける。
1により植民地は、自活できず宗主国に依存するしかない。


一方満州ではそのような差別は行わずに、国民として普通に経済活動ができました。
それによって、周囲から日本人を含む様々な民族が集ってきました。
(「王道楽土」と言って「強制移住」させたとか言っている人は、自分で矛盾に気が付かないのだろうか)

No7の満州事変は、そのような王道楽土を侵略から守るためのものです。





このようなテーマでは、必ず幼稚なデマを言いふらす輩がわきますね。
「満洲国について1つだけ質問です。」の回答画像9
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皆さん「軍隊が正しいとか」「国内政治がおかしいとか」を長文で言っておられますが


私は、別の視点からご説明したいと思います。

簡単に言えば日本は「不況」を脱し「先進工業国」となるために「農民」に対して決断を迫ったということです。
一つは「外地」で広い田畠を持ち「豊かな農業経営者」となるか、
もう一つは都市に流入し、「工場労働者」になるかです。それは、財閥の下で低賃金労働者になるということです。
どちらの選択もしなければ「大地主」の下で「小作」として「一生貧乏な暮らしが待っている」と脅しました
米などの穀類は「台湾」や「朝鮮」から略奪まがいで安価に輸入して、結果として日本の農業が弱体化したのです。
一方欧米は、帝国主義的政策で、植民地を獲得するため「資源」や「商業活動」を重視します。
日本のように「農地拡大」が政策ではないのです。ここが日本の植民地政策の不思議なところです。

満州国は「五族協和」な「王道楽土」などと言って、内地の農民を「強制移住」に近い形で
満州で「農地開発」させるために、軍隊は「広い土地」を支配する必要がありました。そこが満州事変の狙いです。
そのうち無責任な関東軍は、自己管理能力以上に土地を求め、多数の農民に嘘の夢を吹き込み
結果として、欧米や中国とも対立するようになり、第二次世界大戦に突入するのです。
戦後、早々と撤退したり武装解除した軍隊は、農民に対して何の策も取れないどころか
最後には残留孤児が出るという結果になりました。政府もそういった意味で同罪だとは思いますが。
満州事変は、北朝鮮の帰還事業にも似た、恐ろしく無責任な策だったと思います。
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このようなテーマでは時系列を無視したり、願望や半端な知識で誤解を捲き散らかす俄かが必ず湧きますね。

満州事変時の日本に大東亜共栄圏という構想はありません。
2・26事件で軍部の発言力は増えたわけではありません。
(天皇陛下が逆賊と評価した者を、国民が支持するわけがありません)
当時は軍と議会は対立しており、軍が独裁できるような状態ではありませんでした。
(独裁をできているなら、開戦までに何度も内閣が交代するはずがありません)
東條内閣は、1941年の開戦がほぼ決定した時期の政府です。
戦時下で軍の発言力が強いのは当たり前ですが、東條内閣は議会と衝突して終戦前に辞職しています。

無知ほど何でも軍のせいにして思考停止する。



>満洲国が日本には無い資源大国というのなら話はわかりますが、どうもそうでは無さそうです。

全く取れなかったわけではないようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E …



>日本は満洲事変を起こし諸外国を敵に回す危険性を冒しながら、なぜ満洲国を建国したのでしょうか?

No4様に同意。

回答
1:満州を独立させることで、国境線を引き支那と分離して、テリトリーを明確にする。
2:1により支那のテロリストを排除して日本の権益と日本人(というか多くは当時日本人だった朝鮮民族)を守る。
3:同様に、南満州鉄道を破壊活動から守る。
4:これらにより、世界恐慌により列強がブロック経済を敷いている当時、日本の重要な市場でもある満州を守る。


日本は日露戦争の勝利により、ロシアから満州鉄道を譲り受け、旅順、大連の租借権を得ました。
同時に、これらの防衛や現地邦人保護のため、満州へ軍隊を置く権利も得ています。
(当時の満州は、清国の政策に拠って住人のいない空白地帯で、更にモンゴルの領有権は中国ソ連も主張しており、日本は国防上の理由から満州を放置できませんでした。)

一方で、当時の支那は清が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態で、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)
彼らは満州にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行ってました。
そして、彼らにはソ連が支援している勢力もありました、日本はその脅威も受けていました。
それによる日本人の犠牲者も出ており現場の緊張は極限状態に達していました。

このような状況に対して、現地の軍は日本政府に増援を求めましたが、
しかし、現地にいない日本国内の政治家は、現場の状態を正しく理解せず、効果的な対策を取らずに、徒に「平和的な解決」を訴えるだけでした。
これらの結果、現地の部隊が自衛のために独断で動したのが満州事変です。

これを侵略と見做したい方がいらっしゃるようですが、
それなら、その原因となった支那の行為も侵略であるはずです。




満州国を国として独立させたのは、以上のような理由のほかに、国境線を引く事で南満州鉄道を守る為でもありました。
(満州事変以前の国境線のままだと、中国のテロや破壊活動から守れません。)

満州国を傀儡政権とかいう意見もありますが、中国に乱立していた政権も清国の後継政権を自称しています。
しかし、彼らの統治は圧政と略奪でしかありませんでした。(満州に人が流れたのはそれが理由です)
そのような彼らが認められるなら、傀儡であっても清国の正当な血統である皇帝であり、治安も良く発展していた満州も認められるべきだと思います。
(というか、満州政権の方がよりふさわしいと思います)

その後、満州国は日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。
「満洲国について1つだけ質問です。」の回答画像7
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緩衝地帯です。


自国領土を戦場としないための地帯。

日本は今も昔も「南下しようとするロシア」が最大の敵性国家です。
偶然にも日露戦争で日本は勝利を得て生き延びましたが
いつまたやってくるかわからない。
なので、朝鮮半島を緩衝地帯として整備した。

ところが、昔のまぬけな政治家が
「整備したのならその資金を回収すべきだ」と
緩衝地帯であるはずの朝鮮半島を日本に編入してしまった結果
新たな緩衝地帯を確保する必要が出てきた。
そこで満州。

当時の満州は他の方が書かれている通りいろいろあって
切り取りやすかった。
そこで実質的に日本軍が音頭とって満州国を設立。

結果、米国などとひと悶着でてきた。
手放せる状態にしとけばよかったのを
開拓団とか送り込む愚策を演じたので後にも引けず
そのままズブズブと大戦争に・・・。

今もそうですが
日本って国は一貫性が無いので、こういうヘマをやらかします。
先鋭化した天才はいても、大局を見通せる輩がいないんです。
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石原莞爾




上記の人名を検索なさってみてください

どちらかと言うと
異様に頭はいいけれども 夢想型の人で
「世の中の多くの人の思惑」
について 深く考える事ができない人でした

次に 本質的な理由に入ります

世界恐慌によって
英仏などの先発組の帝国主義国家は
自国の植民地に 自国の製品が入ってこれないようにしました
これを「ブロック経済」と言います

でも こんな事をされたら
後発組の帝国主義国家の日本は
当然植民地も少ないので 当然市場はどんどん小さくなります

このため 大日本帝国型ブロック経済の(事実上の)植民地として
満洲が必要だったと言うのが
「世の中の多くの人の思惑」
だったわけです
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