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医者に聞け、て話なんですけど…。

境界例、ていうのは、寂しがり屋さんが
寂しいと言えなくて、その相手に向かって
攻撃する、て感じの病気ならしいんです。

また、自分を攻撃してみたり、自罰と他罰を揺れ動いていたりもするんらしいんです。
例えば、人を殺した人が、直後自殺したりしますが、あんな感じです。

この病はどうしたら治ると思いますか。

A 回答 (2件)

なんだか、文章の全体が間違っています。


DSM-(4)では境界例なんて表記はされていないはずです。
境界例という表現はかなり古い表現の精神疾患です。
詳しくは検索されると良いですね。
境界性人格障害なる概念は人格障害という精神疾患を
否定している精神科医もいますので何をもって人格障害と診断するのか。
それが精神疾患マニュアルDSM-(4)です。
簡単に言えばうつ病でもない統合失調症とも違う中間の精神疾患らしいです。
人格の障害で抑うつもあり、極度の緊張もあり。人により症状は違うと思うのですが。

治し方、一般的に境界性人格障害の治療法は確立していないので
この病名の診断はしないほうが賢明だと思います。

掲示板はわかってほしいなんて思ってません。
わからない人は立ち入らないほうが賢明だと思います。

あ、言っておきますが境界例と診断された人間です。
今の病院は躁うつ病で治療しています。
治る治らないはさておいて、自傷行動も他害の行動もしたことはありません。

参考URL:http://www.deborder.com/

この回答への補足

境界例、古い名前かもしれないけれど、境界性でも、ボーダーラインでも、どちらでも良いと思うのです。
病名は…。

掲示板はわかってほしいなんて思ってません。
わからない人は立ち入らないほうが賢明だと思います。

>意味不明です。

診断は私がしたのではありません。主治医です。
すべてのBPDの人に、自傷等があるわけではないと思いますが、そのような行動に出るBPDの人もいると思います。

私はODも自傷、暴力もあります。

補足日時:2005/01/31 23:09
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こんばんわ。



私はアダルトチルドレン概念(AC)を知るまでは、生まれてから自分に何が起こって、自分がどうなっているのか、全く解らずに、ただ、ただ生き辛い人生でした。 AC概念を知ったときは、全てのナゾが解けたので、肩の荷が降りて3ヶ月くらい毎日泣いていました。

母親(おそらく何らかの人格障害)の情動が普通ではない上に、父親(既に離婚済み)も言葉より暴力という人でした。

で、当然、私もまともには育ってなかったようなので、学校でも社会でも、いつでも、どこでも阻害され、落ち込む立場に追いやられていて、私の半生はメンタルとの闘いのようなものでした。

で、私は病院には行きませんでしたが、境界例にもADHDにも該当するところが多く、とても気持ちが解るつもりです。


まず、alessandraさんは、「気」を信じますか?
先日もリンクでご紹介しました、瞑想法をやっていると「正気」に戻ります。
心と身体、両方の「気」を整えることが出来ます。

頭にのぼせ上がってしまった「気」が下腹部の「丹田」というところに降りるのを体験できるかも知れませんし、眉間に強い「気」を感じることも出来るようになるかも知れません。

早い話「気違い」「気が狂っている」んです。
(誹謗の言葉ではなく、本当に「気」は狂うんです)

この「気」の乱れを修正して、「正気(しょうき)」を取り戻すのが、あの瞑想(心の使い方)なんです。


何にも難しいことはありません。
私達は自分のことを全然知らないんですから、自分のことを「赤の他人」「まったく知らない人」だと想って観察すれば良いんです。

私達は「鏡」がなければ、一生、自分の顔も解らないような生き物なんです。
「鏡」は逆にしか写りませんから、VTR、写真がなければ、今だって、正面から自分の顔を見ることも出来ないんです。
ですから、過去の人類のほとんどは、自分の顔を知らずに生きて、死んでいっているんです。


ましてや、自分の成育歴から、自分に何かが起こって、自分がどうなってしまっているのかは、絶対!に解らないんです。

その【解らない自分】を「私」と名づけて、守ろうとか、幸せになりたいとか、私は治りたりと言っているんです。【解らない自分】のために、ありとあらゆる行為が行われているんです。

だから、おかしくなるんです。

「私」に対する根本的な無知、本能的な無知をなくして、正しく自己認識をすることで、【気付き】が得られますので、心が確実に成長していくんです。

気付きさえすれば人間は成長できるんです。
気付くことが全てなんです。
そうすれば「気」の流れも、修正されてしまいます。

下手な説明ですが、通じますか?


自分のことを「赤の他人」「まったく知らない人」だと想って、新鮮な気持ちで、自己観察してみてください。 この人が何を考え、何を想っているのか? どんな発想に基づいて、どんな行動をしているのか? を客観的に、冷静に観察するんです。

もし、一瞬でも、自己観察が出来れば、その瞬間は、
「平常心」になれている状態です。
「平常心」ほどの正気はありません。

こうやって平常心が育っていけば、余裕が出てきますので、いつでも微笑みが耐えなくなってきます。

長陀乱文、失礼しました。m(_ _)m
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「瞑想」という言葉、最近よく耳にします。
例えば、座禅なども瞑想のひとつにあたるのでしょうか。よくわからないのです。無心になること、と考えれば良いですか。もちろん、雑念もわいてくるでしょうが。
「気づく」ということも、わかるようでわからない。
自分を客観視するということですか。
自分の感情に注意を向ける、という風に考えれば良いのでしょうか。
けれど、感情のコントロールがものすごく下手なのですよ。ボーダーは。
自分は今、どんな感情か理解できていないつもりはないのですが、それが制御できない。
制御する力が弱いのか、感情が強すぎるのか、、、例えば、水道管が破裂してしまったときの水の勢いと説明すれば良いでしょうか。
でも、瞑想など、基本的に-ではないと思います。
それで、すべてが解決するとまではいかなくとも、メンタルヘルスに悪い手法ではないと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/31 23:21

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