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大正天皇の誕生日に記念日が無いのは、何故でしょうか?
暗黙の了解で、直近「三代の天皇」の誕生日は記念日になっています。
11月3日(文化の日)は、明治天皇誕生日。
4月29日(昭和の日)は、昭和天皇誕生日。
上皇陛下は、御存命なのでありません。
今上陛下は、2月23日が天皇誕生日です。

ちなみに、大正天皇の誕生日は、8月31日です。
あくまで「暗黙の了解」なので、決まりではありません。
しかし、明治~令和で、崩御された天皇の記念日が無いのは、
唯一、大正天皇だけです。

何故でしょうか?
不思議に思い、質問しました。
深い意味は、ありません。

A 回答 (2件)

大正時代には、8月31日と、10月31日の2回も


「天皇誕生日」の休日があった。
これは、大正天皇が病弱であった為、天長節は酷暑を避けて、
2ヶ月後の10月31日に行っていたから

もともと現行の「日本国憲法」によって制定された「
国民の祝日に関する法律」にも
「歴代天皇誕生日は、必ず祝日として残す」
なんて、決め事どこにも明記されているわけでは無いからです。

大正天皇が崩御された時の軍事政府が、
「国民に早く大正時代を忘れさせて、強い皇国日本を取り戻し、
昭和新天皇の威厳を誇示したい!」
として、祝日から 省いた

なんて 説もあります
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この回答へのお礼

Thank you

回答ありがとうございます。
大正天皇が病弱だった事は知って居ます。
ただ、分からないもので、大正天皇は皇后以外の女性と
結婚する制度を嫌い、側室制度を廃止したと聞いています。
この時代にしては、先進的な考え方の天皇だったと思います。

そして、明治天皇が皇后(正室)との間に子供がさずからず、
側室の「柳原愛子」との間に産まれたのが、後の大正天皇です。

大正天皇は、皇后との間に4人もの男子を授かりました。
「昭和天皇、秩父宮親王殿下、高松宮親王殿下、三笠宮親王殿下」。

確かに、明治末期~大正~昭和初期は、ずっと戦争が続いたので、
天皇を担ぐ「軍部」にすると、困ったのでしょうね。

お礼日時:2020/10/17 16:38

大正天皇は、1879年8月31日が誕生日でしたが、子供の頃から、もともと病気がちで、体が弱かったので、天皇陛下に即位されてからは、天長節は酷暑を避けて、2ヶ月後の10月31日に行っていました。

けれども、誕生日は、あくまで8月31日なので、その日も「天皇誕生日」として、休日となりました。 というわけで、大正時代には、8月31日と、10月31日の2回も「天皇誕生日」の休日がありました。 

大正天皇が在位中の、1914年7月28日から第一次世界大戦が起こって、1918年11月11日に終結しました。 その結果、ヨーロッパ諸国では、次々と革命が起こり、また、日本国内でも、「大正デモクラシー」という言葉に象徴されているように「君主制政治」がゆらぎ始め、時代は「民主政治」へと以降し始めて行ったのです。

・・・というわけで、大正天皇が崩御された時の軍事政府が、「国民に早く弱い天皇の大正時代を忘れさせて、君主制を強化しよう!」と考えたので、大正天皇誕生日である、8月31日は平日となってしまいました。

大体「日本国憲法」によって制定された「国民の祝日に関する法律」でも、
「歴代天皇誕生日は、必ず祝日として残す」なんて、決められているわけではありません。 平成天皇誕生日の12月23日だって、祝日として残すなんて、全然まだ未定なのです。 これからも天皇制は脈々と続くわけで、もし歴代天皇の誕生日は必ず祝日にすると言うようなことになったら、日本のカレンダーは祝日だらけで、真っ赤になってしまいます。
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この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます。
質問に記載していますが「直近三代」が建前。
時代が進めば、四代以降は平日に戻せばいいと思います。

お礼日時:2020/10/17 16:41

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