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「師となるべし」は、師となりなさいという意味に捉える事はダメですか?

A 回答 (3件)

もしかして『論語』の「子曰。

温故而知新。可以為師矣。」の箇所でしょうか。
「師となるべし」だけで判断できません。その前後の文脈も必要ですし、漢文の書き下し文ならば、書き下し文ではなく原文の句形も重要です。
「可以為師矣。」(以て師と為るべし)について、「可以」で「~できる、~してよい」となります。書き下し文にすると「以て」と「べし」の一が離れてしまうので、「師と為るべし」だけで考えても良さそうに思えるでしょうが、ここは「可以」で考えなければなりません。
なので、ここは「師となることができる」と解釈し、「師となりなさい」とは解釈できません。
漢文を読むするときは、書き下し文だけで理解しようとするのではなく、原文の句形とその意味とのセットで理解するようにしてください。
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この回答へのお礼

新しい知識が増えました!ありがとうございました!

お礼日時:2020/12/25 11:14

元の文は漢文ですね?


たしか、漢文の「べし」は古文(日本)のそれに比べて原則「可能」というのを意味する、というのを聞いたことがある…ような気がします…。
なので「師(先生・人を指導する立場)になることができるのだ」という訳が適切だと思われます
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2020/12/25 11:14

それは文脈によります。



「べし」には、推量、当然、意思、適当、命令、可能の6種の意味があると言われます。

推量:師となるだろう
当然:師となるはずだ
意思:師となるつもりだ
適当:師となるのがよい
命令:師となりなさい
可能:師となることができる

というわけで、「師となりなさいという意味に捉える事は」、使われている状況によっては可能です。
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この回答へのお礼

便覧に「べし」の意味の例文としてここだけ取り上げられていたので、よくわからなかったのでしょうか?これからは全体をみようと思います!ありがとうございました!

お礼日時:2020/12/25 11:14

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