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昔の人達はどうやって人口を調べていたのですか?どの程度知ることができていたんでしょうか。

A 回答 (5件)

江戸時代は、今の戸籍謄本にあたる「人別帖」で


かなり正確に分かったそうです。
人の移動のたびに履歴を次の村に書き送っていたらしいですから
人の出入りもちゃんと把握していたようです。
もちろん、誕生や死亡も村役に届けなければいけなかったようです。
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昔・・・・・とは?



一応「庚午年籍」という戸籍簿・人口調査のような記録もありますからね
とは言え、今の国勢調査のように全員に記載して貰うようなレベルではないですが

トップダウンで『君んところの情報を記録して提出しなさい』という指令を
順に下ろしていって、その結果を逆に上に上げていった
そんな感じですね
かなりいい加減な部分も有るようですが、参考資料程度にはなるでしょう


時代が下って、戦国頃になってくると戦力確保の必要性もあって
各地で検地が行われるようになります
実際に農地に赴き測量した上で、その耕作担当者に関する情報を収集する
それを集めて○○村の情報とか○○郡の情報という形で結果が残ります
こちらは、強制力のあるものなのでそれなりに信憑性はありますが
農民主体の調査なので、農民以外になると・・・・・

江戸時代にまでなると、町人に関する情報も寺請制度の中で収集されていきますが
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飛鳥時代とか昔ですと、現在でも各地に残る地名で、府中と名の付く場所が有ります。


これは都から離れた地域を、朝廷の管理下に置くための出先行政機関のあった所です。
私の隣町も府中と名が付いてますが、その行政機関があった事を証明する当時の資料が博物館に有ります。
やはり現在の戸籍抄本に近い物があった様です。
その行政機関跡の隣は、大國魂神社が有ります。
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国を成すにはある程度は人数を把握しておく必要がありますからね。

日本では弥生時代あたりに何戸くらいあるかは押さえていたようです。
中国では漢の時代に5000万人だったかな、と言われています。これが三国志の時代になると500万人と1/10くらいに激減したようです。これは戦争で死んだだけでなく、土地を捨てて逃げた人たちが沢山いてカウント外になったためのようです。
カウント外という意味では日本でも(多くは無いですが)サンカなどと呼ばれる人たちが明治時代ごろまで居たようですね。

そういえば現在でも中国は、一人っ子政策で戸籍をもたない人達が1000万人単位で存在しているとか言われていますね。
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日本では、戦国時代に、兵を集めるためにかなり正確なデータがあったようです。

秀吉の時代に、刀狩りで、農業人口はしっかりと把握。江戸時代は人別帳。ちなみに駆け落ちの語源は、この人別帳から名前を抹消=欠け落ちるからだとか。

新約聖書によると、イエスが旅先の馬小屋で産まれたのは、人口調査のため、エルサレムに行く必要があったからとか。
旧約聖書によると、古代イスラエルで行政主導の人口調査がたびたびおこなわれてたようです。兵隊になる成人男子中心ですけど。
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