【大喜利】【投稿~11/22】このサンタクロースは偽物だと気付いた理由とは?

§ 1 ヒトの定義から入ります。

その昔 土地を囲ってここはおれのものだと宣言したと想定してみた場合 人間ということに関して前提とするべき公理に ふたつあると考えます。

 (α) 主戦論を採るヒト:奪い合い・競争としての社会交通

 (ω) 非戦論を採るヒト:ユヅリアヒ。奴隷の状態にさえ甘んじる。
       したがって競争し奪い合う交通人は 社会というヤシロ
       の神棚(お二階)に祀っておく。(国ゆづり)


§ 2 ここから《権力》が生じますが これにもふたつの型があると見ます。

 (あ) 第一次の権力関係:
      ユヅリアヒの人間どうしにおいて――ということは ごく
      ふつうに自然本性としてのヒトどうしの間においても―― 
      まなざしを相手に上からそそぐ者とそしてこれを受ける者
      とに分かれる場合。

      この場合には そのまなざしの上下関係が 互いにみとめ
      あっている自生的な性格のものと
       
      そして一方が《アース(接地)役》を務めるかたちとなる
      ようにそれが必ずしもよいことだとは思われない人為的・
      人工的な性格のものとがある。

 (い) 第二次の権力関係:
      第一次の《自生的な性格のもの》からにせよ《人工的な性
      格のもの》からにせよ そのまなざしの上下関係を社会制
      度として固定させようとして出来たもの。

      身分関係。さらには その身分の世襲制。 

      特には 社会を《市民スサノヲ圏と公民アマテラス圏》と
      の二階建ての構造として固定する国家における身分制度と
      しての社会力学的な交通関係としての構造。
      (その中で一階と二階とのあいだで流動性が保証されてい
      る社会のあり方も 現実的ではある)。


§ 3 階級ということ

(α)の主戦論を採るヒトが築く(い)の第二次の権力関係は 明らかに社会階級の関係として二階建てを成り立たせている。ヒトが品(クラス)ないし課税対象物として分けられ扱われる。

(ω)の非戦論を採るヒトが築く同じく(い)の第二次の権力関係は そのような階級関係を包み込んだ二階建てに成ると捉えられる。どういうことか?
 
言いかえると 非戦論によって服従の関係をえらんだそのことが すでにヒトの品による区分を飲んだかたちとなっている。

ぎゃくに言えば そこで身分制が強固にかたちづくられそれを保守する社会的な圧力が加えられたとしても もともとそのような社会力学は織り込み済みである。

ゆえに――そうとうきびしいことだけれど―― そのお二階のえらいさんよ 気の済むまでご自由におやりなさい そのあと どこかでその二階へのアマアガリについて反省し人間にお成りなさいと心のどこかで言っている。

(α)の主戦論派にもとづく階級関係においては その新しい階級と古いのとのあいだで回転(レヲ゛リューション)が演じられる。


§ 4 世界史的存在としての《一人ひとりとしてのわたし》

経済行為の形式ないしその社会的な制度として 資本主義は――あらゆるモノ・コトを商品として巻き込み その商品をつうじて交通するというよそよそしい形でではありながら 世界中のすべての人びとをやはり巻き込み一面ではその一様な形式による互いの交通を遠慮なく普遍的に行なわせるゆえに―― ヒトを世界史的な存在とすることとなった。

この資本主義――第一次の勤勉と第二次のガリ勉とから成る――の世界史的な展開の中で 階級の回転が行き着くところまで行き着き(つまり もはやいくら革命をやっても堂々巡りであると分かったところまで行き着き)
社会の神だなに祀られたお二階さんの王様ごっこがやはり行き着くところまで行き着くなら(――つまり もはや人民よユヅルことはこれ以上してくれるな われもユヅル側になってみたいわいと言い始めたなら――) (α)主戦論および(ω)非戦論それぞれの形式に分かれつつ自己形成してきたホモ・サピエンスは その潜在能力を全部出し切ったと言える地点に来るのではないか?

しかも 階級支配体制やお二階さんごっこ体制といったそれぞれの思想に真っ向から対立する民主制というかたちをすでにわれわれじんるいは採っている。

このふるいニンゲンは ほろびる。と思われます。

にんげんの前史を終えて後史――どんな?――に入ると見てよいのか?
そう見るのが ふさわしいのかどうか?
 
われらが《あたらしいひと》とは どういう存在か?
《どんでん返し》は どう起こるか?


よろしくご教授ください。

A 回答 (43件中11~20件)

#32



私の思いですよ。優等であれば良いというわけではないのです。社内は密室ですから、何が行われようが上司は保身が図れることがわかった上で、パワハラを働いたのだとも思えます。

終わった話ですがね。

つまり、学生時代まで、学校的エリートっていうのは、現場では最も不評を買うのです。

それを熟知しつつ、私の配属を決断したコマツ人事にまんまと引っ掛けられたのだと思われます。
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この回答へのお礼

言っちゃわるいが 非常に低い確率で後輩をいろいろ面倒見てくれる先輩もいることはいます。


配属の初めの初めからパワハラが始まったというのは ふつう尋常の話ではない――というのが ふつう一般の見方だと思います。


つまりこういった或る程度常識となった知見をもいちおう考慮して 論は立てたほうがよい。わたしがいま指摘する問題ではなく ご自身がそういう配慮をして見解を述べ進んだほうがよい。と思いますねぇ。

お礼日時:2021/06/07 05:16

#31



人間誰しも傲慢ですからね。傲慢だということは自戒せねばなりません。もう、古い人間なのでしょうかね。

私は。
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この回答へのお礼

★★ (№31) 私は自己評価として、薄汚れた罪人だとの評価です。

☆ この自己表現は 優等生の――どちらかと言えば 余所行きの・表向きの――修辞技法が入っているかと わたしには思われます。


いや それはホンネだというときには 世間受けのためのアマテラス語技法に流されているのではないかと。

この場合のアマテラス語用法というのは 科学語や人格語なる普遍語というよりは 世間体に寄り添うような言葉遣いであり 心理的に人びとの気持ちの中にすんなり受け容れられるような一般語法です。

お礼日時:2021/06/06 21:15

他者が私をどう思うのかは、千差万別なのでしょうが、



私は自己評価として、薄汚れた罪人だとの評価です。
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この回答へのお礼

せっかく人に生まれて来ているのにですか?

お礼日時:2021/06/06 20:55

#30


人間が戦う理由って、基本的に他者の像は自分の像なんですね。

ですが、自分のことは自分で愛せにくいから、他者と戦うのだと思うのですが。

必ずしも的中しているとは限りませんが。

人間って、向上心はあるので、いつまでも過去の自分の像に我慢できなくなるとおもえるのです。すると、他者が益々許せなくなるとおもうのです。

自分に対する嫌悪感を他者にぶつけてるのではないか、と。
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この回答へのお礼

不正を愛する者は 自分の魂を憎むそうです。

お礼日時:2021/06/06 20:54

おとなになってからの正義は戦争大義にもなるので、大問題なのですが。



鉄人28号 op Youtube
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この回答へのお礼

▲ (イザヤ書 64:5-6 ) ~~~
あなた(=神)は喜んで義を行い、
あなたの道にあって、
あなたを記念する者を迎えられる。

見よ、あなたは怒られた、われわれは罪を犯した。
われわれは久しく罪のうちにあった。
われわれは救われるであろうか。

われわれはみな汚れた人のようになり、
われわれの正しい行い(=正義)は、
ことごとく汚れた衣のようである。
~~~~~~~~

☆ 義も――義人ヨブという言い方はあったのですが / 人を赦す権能が人間には必ずしもあるのではないのと同じように――すべて神によってはたらくと受け取っています。

お礼日時:2021/06/06 18:20

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「われらが《どんでん返し》」の回答画像27
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日本人像も変貌しましたが、武道などでは、不動の心を重んじるのであって、迷いの心は相手にスキを生じさせるので、美徳だとはされていないはずです。



つまり、話が一貫しないというのは、組織によりけりですが、武道であれば、あまり関心した話ではありません。
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この回答へのお礼

永遠の現在なる過程――大いなる自然史過程――に 不動心も迷いも美徳も悪徳もいろんなものが つまっています。

お礼日時:2021/06/06 13:46

米国人から観た日本人像ですが、甘えの構造は、米国人に分析されている可能性が・・・・。

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この回答へのお礼

ええ。そして 土居健郎の《甘えの構造》理論一般も おもしろいです。

お礼日時:2021/06/06 13:44

貴殿ほど、哲学に造詣が深いという担保があっての発言だと思われます。

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この回答へのお礼

永遠の現在 の感覚が身について来たかも知れませんし ただのまぼろしかも知れません。

まぼろしではないかと うたがって欲しいとも思います。これは 甘えです。

お礼日時:2021/06/06 13:33

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