ちょっと先の未来クイズ第4問

旧士族の身分の人達の多くは官吏や軍人、教師・学者になったそうですが、官吏とは言えども区郡町村吏の士族の割合は少なかったようです。
これは何が理由だと考えられますか?
地方の役人や政治家などは江戸時代から庄屋や町年寄といった平民の派閥が強くて介入できなかったのでしょうか?
推測で構わないので回答お願いします。

「旧士族の身分の人達の多くは官吏や軍人、教」の質問画像

A 回答 (3件)

江戸時代の武士は、本分としては文官ではなく武官だった。


文官として優れた才能を発揮していた人材は一部でしかない。だから、明治になって軍人や警察官になれたものは、兵法や武芸が優れていた武士であり、学問に秀でていたものは教育機関に就職できたが、基本的には秩禄処分で大半の武士が野に下り、農民になるか、「武家の商法」で破産するか、だった。
そのほか、薩長の田舎侍が幕府を乗っ取って明治政府を創ったものの、田舎侍たちにいきなり中央政府の仕事ができるわけはない。ゆえに、すぐに、野に下っていた幕府の官僚たちを、数多く復活採用している。西郷が下野して鹿児島に帰ったときに、一緒に多くの旧薩摩藩士が行動を共にしたが、国政や外交の実務に長けた旧幕臣たちの姿を見て、惨めな思いをした旧薩摩藩士が多かったこともその一因だろう。

というわけで、中央政府や軍人・警察官と教育機関に元士族出身者が多くなった。町村レベルはお説の通りかもしれない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
武家と言っても平民に成り下がらざるを得ないケースは多かったのですね。

お礼日時:2021/06/04 23:06

士族なら教師だって負け犬だよ。



士官になって当たり前。
それが無理なら博士を目指したり大臣を目指したり郷土の名士になったりしようとした。

ちなみに士官の最低位(少尉)は奏任官6等。
小学校校長はそれより下の判任官。
「吏」は押しなべて地位が低かった。
家格に釣り合わない。
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母方、氏族で家系図では旧華族で親が藤原系の地方豪農の出です。



明治から昭和まで
昔は家督制度で直系は支配します。
まれに分家が1つの街を支配す力を作るまでには時間が足りなかった。

最大の原因は戦争です。 

軍人だらけです。 

そして皆さん亡くなってます。

減った状態で解体されましたので
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2021/06/04 23:05

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