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先日、カナダでカトリック教会が関与する寄宿舎の跡地で、千人もの原住民の子どもたちの遺骨が見つかったというニュースが報じられましたね。過去の事件はもちろん、現在でも神の名を借りた大規模なテロ事件など世界各地で起きてます。

ふと思ったのですが、人間限定の世界なら、学校の部活から、企業、自治体や国の組織などで、誰かが不祥事を起こすとトップの管理責任が問われますね。

宗教の場合、神の名を借りて行われた大規模虐殺でも、それぞれの宗教団体の中から、神の責任を問うたり、疑問視することって無いみたいですが、どんな理屈を付けて神の責任を回避してるんでしょう?

人間世界のわかりやすい事例で言うと、
下っ端の公務員がどんな事件を起こしても、総理大臣まで責任は及ばないでしょという感じなのかな

A 回答 (9件)

聖域という事にしているのではないでしょうか。



ちなみにですが、この日本においても、可也以前からなのですが、極めて組織的集団連携作業的な遣り方での、極めて大々的な遣り方での、特定個人をモルモット役(生贄役)に使っての、悪魔崇拝儀式が横行して来ているのです。北海道から沖縄までの47都道府県においてです。

もし宜しければ、何かの御参考にはして頂けると思いますので、お時間がある時にでも御覧頂けましたら有難いです。
https://ameblo.jp/pinta-555/entry-12663520670.html
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邪宗、邪教の類は殺して、地獄で罪を償った後に、幾度かの転生で功徳を積み、信徒の子供に生まれ変わるのが、彼らにとっての唯一の救いである。



輪廻転生がないのであれば、このまま邪教の類に連なって、死ぬまで真理を理解できず苦しみ、死後も地獄で永劫に罰を受け続けるよりは、今の時点で地獄へ行き、苦しみの少ない罰を受け続ける方が救いになる。

対象が幼いのであれば、成長し、悪魔の使徒となるよりは、この時点で煉獄へ送り、昇天の道を歩ませるのが救いである。

全て、神様、仏様、精霊様、等の名で示される高位の方々が、間違った法(ダルマ)に囚われている人への慈悲として、与えられたものです。
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AFPの報道だと、1000人ではなさそうです。


https://www.afpbb.com/articles/-/3349079
この学校に在籍していた子どもたち215人の遺骨が確認された
3歳の子どもの遺骨も見つかった

寄宿舎というのがよく分からないですが、3歳児というのはなんでしょう。
一度に最大500人の生徒が在籍し、
1890年から1969年まで、カナダ政府の意向でカトリック教会が運営していた。

80年間に、合計どれだけの児童を受け入れていたのでしょう。10~14歳の5年間の寄宿舎生活だとすると、一度に最大500人の生徒ということは、同年齢は最大100人です。 80年間で最大8000人が寄宿していたというとこでしょう。
215人÷8,000人 ⇒ 死亡率 2.7% = 1,000人中で27人の死亡となります。

ここが、原住民の子どもたちを収容していた施設で、死んだ子の遺骨は、施設内に埋葬したのだと、当時の死亡としては、多くはなかったのではないでしょうか。
「神様には信者の管理責任って無いのですか?」の回答画像7
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十戒には人を殺してはならない、十戒を破れば悪人、

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宗教の言う神様は、本当の神様じゃないです。

布教のために作り上げた神様です。
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最後にそれは、悪魔のテクノロジーで作った99パーセント神に見える教義と能面。


神とやり合えるものの実力は、人間を撚るも容易い。
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教会などで遺骨が見つかった事件を深掘りして行くと


神という名の悪魔教な訳です

日本の教会でも
牧師がペドフェリアだったことを
証言する人達も現れてきています。

ザビエルが日本に来たのも
キリスト教を悪魔教へ変えるためと言われていますね

あのバチカンの地下でも驚くべき数の
遺骨が見つかっています
それは生贄儀式が行われていたという証拠で
ローマ法皇がルシファーなどの
悪魔を崇拝していた真実が明るみに出て来ていますし
バチカンで孤児達を養護していたのも
法皇をはじめ 皆ペドフェリアだったことが
表沙汰になっています。

善の神をイエスとするなら
ルシファーは悪になりますが

その善悪を判断してるのは人間の思考。

神も悪魔も人間が作り出した幻想ということになるので

神の責任などはなく神も存在していないと考えています

悪魔を作り出した人間が
人を殺めたり生贄儀式をしたりすることに
罪の意識などはなく 
信じる自分たちの神(悪魔)のためにしたことに過ぎない
ということになります
また その人達にとって悪魔が神なので
殺しも善だといえてしまうでしょう
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????



あなたの 神の見解が違うだけ・・なのだが?
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神に責任を問うということは、その神を崇める宗教そのものを否定することになる。


よって異教徒が異教徒の神の責任を問うことはよくあるが、その宗教の信者は、その宗教への信仰を捨てない限り、自分が信仰する神の責任を問うことはない。精々、神の無慈悲を嘆く程度だろうか。
依って、神の代理者である教団トップ層の責任を問うしかないことになる。
そもそも神の存在は心象的なものであり、物理的ではないのだから、現実にどうやって罰すればよいのかわからないのだから、それが妥当な結論だろう。

総理大臣については生身の人間だ。神と違って物理的な存在でもある。ふつうは、所轄大臣が責任を取るくらいが多いが、大きな事件となれば総理も責任を取らざるを得ないこともある。総理大臣としての給与を返上するくらいのことは時々あることだ。
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