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「蒸し風呂」のようなものが昔はあったようですが、義経の鎌倉時代にはすでにあったのでしょうか?また毎日入る習慣はあったのでしょうか?教えてください。

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A 回答 (3件)

参考URLに風呂の歴史が載っています。



現在のように浴槽に張った湯につかるのは、江戸時代になってからのようですね。
温泉はあったのですから、湯につかることはあったのでしょうが、土地の人以外は日常的ではなかったようです。

http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1244910
こちらの質問にも関連することですね。
川や湖での水浴びは、現在でも世界各地で行われています。
温泉が近くにない限り、蒸し風呂にしても釜風呂にしてもどこにでもあるようなものではなかったのでしょうから、体が汚れたら、きれいな水のあるところで水浴びをするのは、しごく当然の行為だったのではないでしょうか。
水浴びに関するタブーは特になかったようですし、むしろ、沐浴は体を清めるという宗教的な意味もあったでしょうから、汗で汚れた体を清めたいという自然な欲求からきているのだと思います。
いまでも修行のために滝に打たれたり、水ごりなどすることがありますが、暑い夏などは気持ちのよいものだったと思います。

家庭で行水するならともかく、旅先では川の水はありがたかったと思います。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/shincoo/m124-1furo-ni …

この回答への補足

別件ですが、義経の時代(鎌倉時代)と書きましたが平安時代でしょうか?

補足日時:2005/03/01 22:02
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>別件ですが、義経の時代(鎌倉時代)と書きましたが平安時代でしょうか?



義経が殺されたのが、1189(文治5)年で、頼朝が鎌倉に幕府を開いたのが、1192(健久3)年ですから、義経は平安時代後期の人で、鎌倉時代までは生きていなかったのですが、風呂などの風俗はたいして変わらなかったのではないでしょうか。

この後、鎌倉時代から室町時代にかけて、能・狂言、茶道、華道などが発達し、現代の日本人にも受け継がれるものの考え方、感じ方、習慣などが生まれてきます。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2005/03/11 22:11

鎌倉時代では庶民も風呂に入っていたそうです。


しかし、風呂は寺院とか寺にしかなかった(風呂の起源では宗教的な意味合いが強かったから)ので、人々は寺院の湯屋に無料で入浴させてもらっていたようです(施湯)。
それ以前のものでは、日本各地に古代の石風呂、釜風呂の遺跡が見つかっているので、日本では風呂は大昔から利用されていたということになっています。
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Q昔のお風呂はよほど不衛生だったのでは?

みなさんこんにちは。私は歴史好き人間です。江戸や明治頃の日常生活などを調べています。最近その頃の入浴について調べたのですが、江戸時代の書物浮世風呂に描かれている一場面で、銭湯でお風呂の中に、てぬぐいとか、ふんどしまでいれているのです。ましてや当時はお湯も浄水などしていなかったわけですから、想像すると、よほど不衛生きわまりなかったのではないでしょうか?子供がお湯につけたてぬぐいを口に入れているのをみて、「ポンポン(おなか)が痛くなるよ」と注意している場面もあります。現代人とはちがって、当時の人びとは体も相当汚れていただろうし、そんな庶民が湯船に寿司詰め状態でつかっているのです。今の私の視点でみると、そんなお風呂に入っても、はたしてきれいになれたのだろうか?と思います。当時の人びとは汚く感じなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>昔のお風呂はよほど不衛生だったのでは?

確かに、現代人の考え方からすれば、「不衛生」でした。

(1)石榴口(ざくろぐち)から奥の浴槽では、手拭を入れて身体を洗う者さえいました。
(2)浴槽は、あくまでも、身体を温める場所でしたので、汚れていようと「お構いなし」の状態でした。
(3)そして、浴槽は薄暗く、1尺(約30cm)四方の明り取りの窓があるだけでしたし、夜になれば明り取りの窓は役には立ちません。したがって、浴槽で人が何をしようと、例えば、褌を洗おうと、垢を擦ろうと、子どもが小便をしようと、何も見えない状態でした。
(4)そこで考え出されたのが「揚がり湯」というものでした。
(5)基本的には、洗い場で、まず、垢を擦り、石榴口から湯船に、そして、揚がり湯で、もう一度、身体を清めてから出ました。

銭湯の図(絵)をアップロードしてみます。

(1)四角の水溜め箱の水を桶に汲んで、まず、身体を洗います。
(2)その後に、石榴口から湯船へ。
(3)絵の左手の桶が並んだ奥の方に小窓が開いており、湯汲男が柄杓(ひしゃく)で洗い場の外で沸かした湯を一人一人の桶へ汲んでやり、客は、もう一度、そこで身体を清めて出て行きました。(揚がり湯です)。
(4)右手の水を浴びている客もいます。湯汲男の桶への汲み入れが遅くて、多分、「待ってられねえや」とばかり、水を浴びているのだと思います。

(よもやま話)
(1)江戸の街は、何度も大火に見舞われましたので、各家庭で風呂を持つことは禁止されており、湯屋の開業には「幕府の許可」が必要でした。かの有名な「三井越後屋(現:三越)」の店員でさえ、湯屋通いをしました。また、各家庭で使用できるほどの水の便も良くなかった。さらには、薪は近郷の農家から買いましたので、非常に高かった。

(2)湯屋の相場は8文(約100円)で蕎麦の16文の半分でしたので、長屋のご隠居風情になると、朝晩と1日2回湯屋通いをしたくらいです。それ位、江戸っ子は風呂が好きでした。そして、おおむね各町内に1軒は湯屋がありました。

(3)神田上水ができてから、庶民の長屋などにも井戸ができ、飲み水や調理に使いましたが、もともとは、石神井池の水を引いたもので、現代のように「塩酸」で消毒などはしていない自然の水でした。不衛生といえば不衛生。

(4)湯屋で洗髪をすることは「ご法度」で、頭を洗えたのは、髪を剃った座頭(あんま)だけでした。

(5)髪を洗う・・・については、次のサイトで、私が答えています。ご参考までに。
http://okwave.jp/qa4139899.html

(6)火災防止の観点から、大風の日は湯屋は休みでした。

まあ、まだまだ面白い話もありますが、これ位で・・・。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>昔のお風呂はよほど不衛生だったのでは?

確かに、現代人の考え方からすれば、「不衛生」でした。

(1)石榴口(ざくろぐち)から奥の浴槽では、手拭を入れて身体を洗う者さえいました。
(2)浴槽は、あくまでも、身体を温める場所でしたので、汚れていようと「お構いなし」の状態でした。
(3)そして、浴槽は薄暗く、1尺(約30cm)四方の明り取りの窓があるだけでしたし、夜になれば明り取りの窓は役には立ちません。したがって、浴槽で人が...続きを読む

Q戦国時代における戦での遺体の取り扱いって?

近年の戦争の映画で戦死者の遺体を棺に収め、国旗などでくるんで本国に移送するという場面を見たことがあるのですが、日本の戦国時代はどうしていたのでしょうか?
大きな戦では大量の遺体が発生すると思うのですが、そのまま放置されたのでしょうか?それとも組織的に回収されたのでしょうか?
また、海外(中世の欧州など)でどうだったのかも分かれば教えてほしいです。

ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、通行するクルマ以外に邪魔者はいません。効率よく死体処理(カラス等の食事)が進むでしょう。

ご質問ですが、戦国時代の戦いでの戦死者の遺体は、下記の経過を辿ったと思われます。

1. 戦死者は、首を取られた状態で戦場に残されている。
よほど大きな合戦、例えば武田信玄が徳川家康を完敗させた三方ヶ原の合戦でも、徳川軍の戦死者は1000人行かない計算のようですから、そんなに大きな数ではありません。普通の合戦なら「戦死者10人」とかの単位です。

2. 戦闘が終わって両軍が引き上げると、既に回答されているように農民たちが「戦場狩り」を行います。これは、「田畑を荒らしたことに対する補償」の意味も含まれていたようです。
この際は、我々の眼から見て価値がある鎧、刀、槍などはもちろん、着ているものもフンドシに至るまで全て剥ぎ取られます。戦国時代の日本は、今の北朝鮮のような「使えるものは全て使う」社会ですから、例えば「戦死者がつけていた、血に染まったフンドシ」でも洗えば価値があるので剥ぎ取られました。地位のある武士が着ていた服は、農民から見れば「超豪華な織物」ですから、血や泥を落として分解すれば高値で売れました。(和服は、縫った部分をほどけば長い反物に戻ります)

3. 農民が徹底的に戦場狩りを行った後、戦死体は、全て丸裸になったでしょう。即ち、冒頭で説明した「クルマに轢かれたタヌキ」と同じ状態です。この状態であれば、後は野生動物が死体を処理してくれたと想像できます。実際、合戦の後の戦場をカラスが徘徊している様子が、当時の手紙か何かで描写されている例があったと思います。

4. 現在も痕跡が残るように、地元の僧侶が穴を掘って死体を埋め、供養したと言う例もあったでしょう。これは、「戦場狩りで大儲けした農民たちが、罪滅ぼしの気持ちで供養を依頼」ということが多かったのではと思われます。

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、...続きを読む

Q平安時代の照明について。

平安時代室内照明に油が用いられたのは、いつ頃からですか。油のない前は何を用いていたのですか。
また、庶民が油の照明を用いたのは貴族社会より遅かったのでしょうが、どうなのでしょう。
平安前期、中期、後期といった分け方でおねがいします。小説を書いているものですから、何卒よろしくお願いします。すみません。

Aベストアンサー

この質問と、2つの回答、No.2の回答に対するお礼を読みました。 その上で、No.1の回答と質問文を読んで、質問に対しては、「No.1の回答が良回答」と感じました。
質問文に、「庶民が油の照明を用いたのは貴族社会より遅かったのでしょうが、どうなのでしょう」とあるのが、妙です。お礼に「御年75歳の好奇心だけは旺盛な青年です」とあります。
「庶民が油の照明を用いたのは貴族社会よりも早かった」という思考や問題提起は、どうした認識によるものでしょうか。昔から照明用灯火に油脂が使用されていたのであれば、庶民と貴族では前後がないのでしょう。仏教文化として入ってきたのなら寺院から貴族という順でしょう。輸入品・到来物・その代用国産ということなら、「庶民が油の照明を用いたのは貴族社会よりも早かった」という思考や問題提起は起きないでしょう。
質問文に、「小説を書いているものですから、何卒よろしくお願いします」とありますが、平安時代の庶民と貴族の食糧や調理、住居、衣服、冬季の対処、夜間の生活、寝具、照明などの生活、あるいは社会生活上の朝から夜までの習慣や労働の仕方、役目役割分担、幼少期から死亡までをそこそこにイメージしないと、小説は書けないでしょう。 「分からないことばかりの迷い人」なら、こういうところで質問してなんとかしようとするのは、ちょっと信じがたいことです。
"こういう資料は自分で探しています。その中から自分の気に入った部分を更に詳細に調べて、小説に反映させています。少なくとも、自分の調べた範囲は間違いないと自分は信じられます。こういうところで、嘘か本当か判断できないような判断力で答えを求めてそれがなにの役に立つんでしょうね?油の無い時は木片しかないですね。" 
炭(燃え残り・炭化したもの)とか、油(油脂成分が多いもの)の利用は、農耕民、狩人、木こり、漁労民でも、非常に昔からあったでしょう。ただ、通常、よほど特殊な状況がない限り、昼間に労働し生活し、暗くなっている夜間は、特に照明などせずに暮らしたでしょう。 灯明を神事などで使うとしても、数ルクスあれば十分に用は足せたと考えるのが自然です。

ここは質問サイトですから、直接の回答も並記します。
このサイトのPDFをご覧ください。
https://www.city.hasuda.saitama.jp/bunkazai/kyoiku/bunkazai/tenjikan/documents/h26akari.pdf
東京都街路照明基準  地域別街路の平均照度を次のように定める。 0.3ルクス以上
http://www.aist.go.jp/science_town/standard/standard_03/standard_03_04.html
◆0.2ルクスあれば転ばない程度に歩ける。
◆2ルクス以上あれば場所を認知するのに不自由しない。
夜中に印刷活字を読むのでなければ、ゆっくり行動するのが普通の内部や物のだいたいの位置を知っている室内でもほとんど明かりはいらない。 コントラストが重要だが、生活上では夜間の自分が住む室内では照明そのものを使わずに済む。
http://siboono.web.fc2.com/candela.htm

江戸や明治期の農山村、漁村で、屋内に照明具があったとても、その照明器具の設置場所は限られていて、ほとんど無照明でも、歩行や寝起きはできていた。

書こうとしている小説が、平安期を取り上げるのであれば、どんな生活をベースにしているのか考えることですね。 貴族だって、寝室などに灯りはともさないでしょう。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000052/files/5021_11107.html

この質問と、2つの回答、No.2の回答に対するお礼を読みました。 その上で、No.1の回答と質問文を読んで、質問に対しては、「No.1の回答が良回答」と感じました。
質問文に、「庶民が油の照明を用いたのは貴族社会より遅かったのでしょうが、どうなのでしょう」とあるのが、妙です。お礼に「御年75歳の好奇心だけは旺盛な青年です」とあります。
「庶民が油の照明を用いたのは貴族社会よりも早かった」という思考や問題提起は、どうした認識によるものでしょうか。昔から照明用灯火に油脂が使用されていたのであれば、庶...続きを読む


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