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司馬遼太郎は『梟の城』で、次のように書いています。

「木石鳥獣は、ただ、じねんに生きておる。あのものどもは、生死を思いわずらうこともあるまい。おのれの煩悩をわずらうだけの才慮を与えられてはおらぬでな。生死を超越するだけが解脱の幸福なら、人間は木石鳥獣になればよい。」

質問は、司馬遼太郎(あなたではなく)は、“解脱の幸福には、生死を超越するだけ以外に、何が必要”、と思っているのですか?

A 回答 (6件)

文脈どおりに読むと、”解脱の幸福は生死を超越するだけに限定されているわけではない。

なぜならば、人間には木石鳥獣と違って、煩悩があるからである。”

煩悩が満たされることが”必要”だと言っているか、あるいは、煩悩から解脱することが必要と言っている。

仏教の考え方から見て、後者であると考えられますが、司馬先生は、明らかにしておられません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<仏教の考え方から見て>は、<煩悩から解脱することが必要>なのですね。
しかし、<司馬先生は、明らかにしておられません。>なのですね。

お礼日時:2021/07/17 04:49

「美しさ」だと思います。



氏の文章を借りれば。

「わが思うおのれの美しさを守るために死をも厭わぬ」

という覚悟が必要だ、と思っているのではない
でしょうか。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございます。
<「わが思うおのれの美しさを守るために死をも厭わぬ」>ですね。
辞書によりますと、<美しい>とは”精神的・道徳的に人の心をうつ”という項目もありました。

お礼日時:2021/07/17 10:31

自分への思いやりが煩悩であって、菩薩です。


それに加えて、他人への思いやりが生死を超えた煩悩であって、仏陀です。では?
何故ならば、全ての生き物が自由な気持ちになれたならば、幸福だと思いますよ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
ご解答を、司馬遼太郎が思っている、ということですか?

お礼日時:2021/07/17 16:39

自分への思いやりが煩悩であって、菩薩です。


それに加えて、他人への思いやりが生死を超えた煩悩であって、仏陀です。では?
何故ならば、全ての生き物が自由な気持ちになれたならば、幸福だと思いますよ。
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/07/17 16:39

司馬遼太郎は 倫理規範としては 《生命の尊厳》 これひとつでよいと言っていたと記憶するのですが。




解脱とか解脱の幸福といった言葉は 記憶にありませんでした。

ボンノウとかゲダツと言っていたんですね。

・・・

回答にならなくて すみません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
司馬は多方面について書いていますね。

この欄を借用して弁解を。
司馬の考えと、登場人物のそれとは、同じもの、とは限りませんよね。

お礼日時:2021/07/18 13:56

この文章からは、じねんに生きる=生死を思いわずらわない=生死を超越している、との意見であると読み取れます。



でも、これだけでは司馬が“解脱の幸福”についてどう思っているのかは、司馬の言動を知らなくては、分かりません。

だから、何が必要と思っているのかも分かりません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
これだけでは、分かりませね。

お礼日時:2021/07/18 13:57

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