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戦後すぐを知る方に質問です。おそらく80代前後かと思いますが…。

男はある年齢になるとどうしてもお腹が出てきてしまうものですが、流石に戦後はお腹の出た中高年男性などはいなかったでしょうか?

もしいたら非国民扱いですか?

A 回答 (5件)

今よりもずっと少なかった気がします。


非国民なんてことはありませんが、立派なお腹ね!とは言われましたね。
食生活が豊かで沢山おいしいものを食べられる様になったせいと思います。
男性にはビール腹と言う言葉が昔からありますね。
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居ないですね〜、戦後の日本は、食い物は、ジャガイモやすいとん、菜っ葉ばかりの味噌汁かな〜??


もちろんコメは高いので、麦との半麦ですかね、ゆえにお腹など出ませんね。
町のあちらこちらには、トタン屋根のパラックが沢山あって、そこが食堂などをして居ました。
魚屋さんの店頭にある魚には、色が変わるほどハエがたかって、衛生面でも不潔でした。
1960年代頃から、「貧乏人は麦を食え」と池田大作が、唱えて、その後、3種の神技と呼ばれる家電製品が出てきて、この頃から、お腹の出た人が見られるようになりました。

また、他人を振り返る余裕もない時代です、非国民などと考えるより、明日を生きることを考えるのに精一杯の時代ですよ。

そして、その頃の生活を子供達にさせたくないとばかりに贅沢させたので、社会は意識中流という言葉の通りに上下の差は少なくなっていましたが。
昨今は、その差が再び広がっているようですね。

<過ぎたるは及ばざるが如し!?>
生活の豊かさは、心を崩壊させていますね。
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お相撲さんは、今より瘠せてはいたが、それでも照國や東富士なんかは、いわゆるアンコ型力士だった。

「戦後すぐを知る方に質問です。おそらく80」の回答画像3
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そうとは言えません。



焼け野原になった戦後は確かに食べ物が不足していましたが、それでも農家では農産物が収穫されましたし、アメリカからは食料支援もあって、主食のご飯だけは食べられました。米は政府から配給されたんです(いわゆる配給米です)。

食べ物が不足がちになると、せめてご飯だけは満足に食べたくなるんです。ご飯は食べるとそれがカロリーになり、カロリーは脳や体を働かせるエネルギー源になるのですが、それが余ると脂肪になり、歳が行くほどお腹に溜まって出てきます。

お腹が出て来るのは贅沢の証しではないんです。むしろ、ご飯以外の副食(おかず)が足りないという平民の象徴です。

> もしいたら非国民扱いですか?
非国民と言われたのは戦争中の話で、戦後はそういうことは言われていません。
戦争中は「欲しがりません勝つまでは」が誰もが言っていた(言わされていた)言葉であり、贅沢は敵だったわけです。
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昭和20年終戦時の覚えでは、生まれつきがっしりした体形の人でも腹の突き出た人は私の知る限り居ませんでしたね。



食べ物が無かったと云うよりも米以外の副食には古来からの漬物、みそ汁、
佃煮などが食事の主だったものですから、腹の突き出るほどの飽食の現在のような人は居なかったと記憶しています。

腹いっぱいに食べられる兵隊でも兵舎に慰問に行くとどう見ても腹の突き出た、運動不足の人は全く居ない。

そこで、訪問者は牛肉の缶詰、鮭の缶詰など制限はあっても買えました。

慰問に行った人でも酒保で自由に甘味など買えましたがでっぷり太った醜悪な人にお目にかかったことはありません。

今時は痩せていても腹が突き出ている人も多いのですね。

無論、今のように何でも買える時代でもなく米は配給制(人数年齢で決められているが、ヤミ米は金さえ出せば買えた)

それでも全国にもっとガリガリの逃亡兵や出自の判らない浮浪者はいました。

庶民はたくましく路傍の野草でも美味しく食べるすべは知っていましたし、東京では昭和19年でも牛肉の配給があったと徳川夢精が著書に書いてます。

農家には野菜や芋、コメは余ってましたが、都会から着物などと交換に買い出しに行く人も多かった。

栄養が足りなかったことは事実ですが腹だけが膨れたやせ形であれ、肥満型であれそういう人は居ませんでしたね。

一番食事に難儀したのは終戦時に生まれた団塊世代前の数年の人たちかも。

街中を行く人を2階から見ると男性は痩身でも腹ぷっくり、頭頂部禿頭が多く、女性は漏電でもふくよかを通り越した歩くに不自由な人も見かけます。

私自身は街中で何でも買えた戦前の生まれです。
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