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頼朝の長女、大姫は後鳥羽天皇に入内する前に死にました。そこで次女、三幡姫を入内しようと準備を始めたら、父、頼朝が死に、すぐに三幡姫も死にました。

A 回答 (2件)

当時から毒殺説は根強い。



しかし、犯人は宮中ではなく、頼朝が平氏のように朝廷に接近して、自分たちを見捨てるのではないかと怖れた坂東武者たちだ。

頼朝を担いで鎌倉幕府を樹立した坂東武者たちの本願は、朝廷からの半独立であり自治権の拡大だった。
その約束を頼朝が破って、坂東が再び昔のように朝廷に搾取されるだけの存在になることを怖れていた。

義経が坂東武者たちの賛同を得られなかった根本原因も、義経が朝廷に接近しすぎたからだ。
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頼朝は


義経が衣川の戦いで殺され、
生き残った兵が鎌倉まで
殺しに出かけて
見事、主君の仇を討ったという説
ありませんか。
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