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1.心配性の人が抱いた不安の85%は実際には起きず、最終的には良い結果に終わった。
2.不安が現実になった場合でも、79%の人は自分の力で解決することができた。
というわけで、最終的に心配事が解決できずに終わるケースは、全体の約3%ぐらいしかないということ。つまり、心配事の97%は実際は起こらないということ。

上記の内容でしたら
心配事の97%は実際は起こらない
と言ってますが‥
2で実際に心配が現実になっているため矛盾してません?

A 回答 (9件)

心配事の15%は実際に起こったけど、自分で解決できたということは、


前もって心配する必要はなく、起こってから対処すれば良かった
ことになる。

心配がいらない出来事だったので、心配事とは言えないという
理屈でしょう。自分で勝手に心配事だと、間違って思い込んで
いたということです
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「心配事の97%は実際は起こらない」というのは質問者が勝手に決めたことでしょう。

心配事が心配した通りの悪い結果になるのが 3%と言ってるだけで、1.では不安の100-85=15%は実際に起こる、と言ってます。
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>心配事の97%は実際は起こらない


どこかの国の野党の政党みたい?、言葉を都合よく、すり替えていませんか。
心配事の97%は実際に起こらないか、起きても自力で解決できる、
したがって残る3%は実際に起きたうえに、自力では解決でいない。
と理解すべきなんです。
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{「心配が現実になっている」とはどのようなことをいうのか}にもよるのでしょう。



{心配性の人が抱いた不安}が、A:出先で雨になる、B:雨に濡れてしまう、C:嫌な思いをする、(他にもいろいろありうるのでしょう、たいていの場合に、「心配性の人が抱いた不安」は具体的には限定していないことが多いようです)、の3つのどれからしいとします。 どれにしても、多くのケースでは、{心配性の人が抱いた不安}は、時間的に将来のことの"ネガティブ"の感覚です。 その将来も時間的・空間・事象的な限定がかなり不明確であることが多いです。 {実はその出先で雨にあい濡れて嫌な思いをしたが、そこで雨水を拭きとり優しい言葉を掛けて来た人がステキで、しかもお陰で仲良くなれた}という場合に、{心配事が起きた}というのでしょうか。 {ハッピーなことが起きた}というのでしょうか。 出先で雨にあったために、見えた街や風景がとても印象的だったという場合は、{心配事が起きた}というのでしょうか。 {いい経験をした}というのでしょうか。
模試などを受けて、わからない・誤解・公式忘れなどで、成績が悪かったときに、{心配性の人が抱いた不安}が{模試成績が悪い}ということならば{心配が現実になった}ともいえるのでしょうが、{心配性の人が抱いた不安}が{本番試験で不合格や成績不良に終わる}ということであったならば{模試を受けたために改善すべきポイントが事前に判明し、有効な対策がとりやすくなって良かった!}ともいえるでしょう。

先日竜王戦の4局が藤井の勝利で終わりましたが、「2日目は豊島が積極的に仕掛け、藤井が受ける展開に。終盤、豊島が相手の読みを外し、藤井は時間を使う。お互いが1歩も引かない殴り合い。豊島が2時間以上持ち時間を残す一方で、藤井は残り10分を切り、秒読みに入る。最終盤は相手のミスを見逃さず、大逆転でタイトル奪取」という解説があるようです。 
https://news.yahoo.co.jp/articles/be36518a2a5b3f …
藤井も豊島も心配性の人ではないと思うのですが、どのような局面でも多くの対処法はあり、結果がどうなるのかなど、将来に現実に起きることの予測など出来ることはないです。
日本付近での大規模震災でも火山活動でも科学の総力をあげてもわかりませせん。 経済社会の出来事でも先など予測はつかないです。 コロナや他の病気に罹ることを懸念しても、まず、{心配事の内容・程度の特定さえも出来ない状況が一般的ですから}、{心配事が現実化したのか}など普通はわかりません。 
{心配性の人}は、{心配をすることに心を傾けている}のであって、結果の実現などの検証には興味や関心もないでしょう。 心配事が起きるか否かは重要ではないのです。 心配をあれこれするだけです。

そうなると、心配性の人の心配事を聞いてしまった人は、経験的に、「兄心配性の人はまあどうでもいいことを思っているんだなぁ」ということになり、やがて、「心配性に人の心配事はおきたりはしない」という経験則を、何かの理屈付けしたくなることもあるのでしょう。 
そのあげく、次のような説を建てるのでしょう。
「❶.心配性の人が抱いた不安の85%は実際には起きずに終わった。 ❷.不安が現実の課題になった場合でも、79%の人は自分の力でその不安課題を解決することができた。  ❸.心配性の人が抱いた不安で最終的に解決できず不安を抱えることになったのは、当初の不安件数の約3%ぐらいしかない。 ❹.つまり、心配事の97%は実際には心配するにはあたらないということ。

あと三時間で日が暮れ暗くなってしまう、冬は深まりいよいよ寒くなるなぁ、物価があがるなぁ、会うは別れの始まり・やがて疎遠になっていく人ばかりだ、やがて私も衰え死ぬことになるなぁ、など心配して、その通りになったとしても、《その人の心配事は、もともと心配するようなことではない》

貧乏でも、病弱でも、失業・解雇や離別、事故、不運・倒産・夜逃げになる、差別や中傷、逆に周囲やネットでさらし者やイジメを受けるのだとしても、それが起きない前から心配などしても始まらないということでしょう。 制度保障、社会保障、自費自己負担での対策準備、脇目を振らずに関心事や冒険心・挑戦心を追求、人的ネットワークや支援体制を利用、根回し、あるいは諦念・さとり、いろいろ対策はあるので、心配性を趣味や生きがいにするってのは、面白くなさそうに見えるというだけのことでしょう。
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「心配性の人が100人いたとして」と考えるとわかりやすいです。



1.心配性の人(100人)が抱いた不安のうち85%(85人)は現実にならなかった。

2.つまり、心配性の人(100人)が抱いた不安の15%(15人)は現実になった。

3.その現実になった不安15%(15人)のうち79%の人は自分の力で解決することができた。
15人×79%=11.85だから四捨五入して、12人は自分の力で解決することができた。

4.つまり、最終的に心配事が解決できずに終わるケースは、
現実になった不安(15人)ー自分の力で解決できた人(12人)=約3人。
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変なことを回答してしまいました。



>97%は実際起こらないとは書いていません。

もし、そのように書かれていた、誰かが発言したのならば、その発言は間違いです。
そこまでの文章は、算数的には正しいです。
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これは、算数の問題です。

85%おこらないのだから、起こるのは15%
その15%のうち、解決できなかったのは、100-79で21%

15%のうち21%が心配した事実が解決しなかったのですから、15%×21%は、3.15% 。すなわち、約3%ということです。100-3=97なので、97%はおこらない、もしくはおこっても解決できた、ということです。
97%は実際起こらないとは書いていません。
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はい。

矛盾してますね。
"つまり、心配事の97%は実際は起こらないということ。"
は、おかしいです。2は全てと言わないまでも悪いことが起こったあと、対処したケースを明らかに含んでいるようにしか見えませんね。
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しませんよ。

3%の確率でおこっちゃったのだから
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この回答へのお礼

・・・。

上記の内容でしたら
心配事の85%は実際は起こらない
になりませんか?

お礼日時:2021/11/15 09:47

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