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プロレタリアートの出現経緯、増減(推移)、歩み、要求、革命意識についても教えて下さい。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/プロレタリアート

A 回答 (2件)

日本におけるプロレタリア階級の形成については、浅学にして、文献が少ないように思えます。


https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je00/wp-je00-00 …
政府の資料ですが。
日本では、そもそもその分野を研究する人がいなかったのではないでしょうか。日本共産党とか全学連当時の革命勢力が行った研究はあると思いますが、客観性は疑わしいと思いますし。
一応、上記資料の中から産業人口と、国民所得などを掲載しておきます。
レベルの低い内容ですみません。
「日本におけるプロレタリアートの形成につい」の回答画像1
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プロレタリアートの原点は資本論です。


1867年資本論第1部をマルクスが刊行し、1894年エンゲルスが第3部刊行します。
マルクスへ共産主義理論の構築を依頼したのは一説ではユダヤ人ラビです。【参考:あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」モルデカイ・モーゼ(著)】
プロレタリアートは資本家に対する対立概念であり、虚構的であって現実はその様に単純ではありません。
発生は、明治維新と大体同時期です。
マルクス主義の発生後、帝政ロシヤにて最も共産主義運動は活発となり、1917年のロシア革命でプロレタリアート政権打倒が実現します。
然しながら、ソ連では政権奪取直後から独裁へと舵が切られます。
日本では、1912年大正元年辺りの頃から大正デモクラシーの波が押し寄せ、進歩的・流行的な装いで時代の流れとして、資本論とプロレタリアートが知識人によって隆盛となります。
そして、1922年日本共産党が誕生。
1929年世界恐慌により貧困が増加した事により、マルクス主義を理想と掲げる勢力が勢いをまします。
【参考:大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 三田村武夫】
米国も同様に、共産主義勢力が政権内部に深く浸透し、この状態で太平洋戦争が始まります。
日本も戦前・戦中ともに、この勢力は政権内外で暗躍を続け敗戦を迎えます。彼らは敗戦革命を志向します。
そして敗戦の結果、日本を占領したCHQは獄中の共産主義者を開放し共産党は合法化されます。
ところが、開戦までの過程の検証に置いて、米国政府内に多くの共産主義者の暗躍が発覚する事となり、マッカーシズム(赤狩り)が発生。日本のGHQ人事にも影響が起き、反共産主義へと舵は切られます。
戦後、日本では敗戦革命を志向した人物は生き残り、その影響を発揮し続けて現在に至ります。
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