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とても美しい芸術作品を作る人は心も、とても美しいのでしょうか?
人格とは関係ないのでしょうか?

A 回答 (7件)

芸術と人格は一体です



更に最高の芸術は、
人を育て、自分を育て、独創性、独創性を育むのです
最高の芸術は
勇気の源泉であり、喜びの源泉であり、人をくつろがせたり、
生命力を与えてくれるものなのです
自分の名誉や、もうけではなく、「皆を喜ばせたい」という心。
その心をつくっていこうというのが、本当の芸術です

「芸術は私たちの中にある『聖なるもの』の表現なのです」
(ユッタ・ウンカルト=サイフェルト女史)

権力は「外から」人を抑えこもうとするのに対し
芸術や文化は「内側から」人々を解放するのです
芸術には「人」と「人」をつなぐ力があります

芸術は、心を磨くための文化人としての素養だと思います

又、同じ芸術でも
感受性の低い人と高い人で違うし
深い哲学のある人や知識と経験のある人と、
ただ無意味に生きてる人と、感じ方は違うのです

その意味から哲学のない芸術はゴミです
ゴミはゴミが感動するだけです

ただ、珍しい何百万円の価値のある骨董品が
その価値にふさわしく、人々に感動を与えるかは、別です
何の感動も与えない、ガラクタにすぎない場合もあります
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やはり、ピカソのキュービズム的視点で解るように、「美しい作品=客観」と「美しい人格=主観」の「一致=真実、真理」はあるものの、それはいずれに置いても、客観に置いても、主観に置いても、作品、作者の表れは、一側面、一フェーズなんでしょうね。

ピカソが一人の人の肖像画を描くとき、様々な感情、人格、態度を同一人物から見出だしたようにです。やはり人のアイデンティティは多様な側面、多様な時間を経ているのですね。
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とても醜い芸術作品を作る人は心もとても醜い、とは言えない。


したがって、
とても美しい芸術作品を作る人は心もとても美しい、とは言えない、
と考えるのが、哲学、特に美学における論理的帰結です。
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1. そうですね。

科学をふくめた広い意味での芸術をめぐって――つまりなぜなら 仮説を発表するということにおいて科学も 多少ともおのれの主観っぽい性格をまぬかれないからですが この広義の芸術をめぐって――:
★ 人格
☆ という場合 ふたつの段階があると考えます。

2. (あ) 本人の確信において われはわれなりという自己同一性(アイデンティティ)に立ってコンスタントな社会生活をおくっている・・・というときのその人格

(い) その人の《われはわれなり》という確信が 一個の主観を超えて広く人間性としての同感をよんでいる・・・といった場合の人格


3. したがって:
★ うつくしい
☆ というとき その美しさに疑問を感じる場合というのは (あ)の素朴な段階での人格が関係しているのではないかと思われます。

4. 言いかえると:
〇 差し出がましくも作者の心ともども美しいと感じる作品の場合は まさしく (い)の段階を言っているものと思われます。


 
5. すなわち 早い話が 美的感覚にも いわゆる反面教師といったケースが当てはまるときがある・・・のではないでしょうか。

6. それは 極端な例として言えば 醜い悪の姿を見て かえって《われに還り》 われはわれなりという自己同一性に立ち戻る・・・こういったことがあり得ると思われるからです。



7. そうですね。そのような極端な事例というのは ときに裏があるんでしょうね。

8. つまり その芸術作品を推し出すエージェントがいて その売らんかなの精神で 醜悪なものを――何とか言葉たくみに・また過去の権威なる人物の力添えを得て そしてさらにマスメディアをも巻き込んで――ベストセラーにまで押し上げる。

9. ファッション化するのに成功すれば たとえ一発ものであっても 目的は達したというような事態が 起きているのではないでしょうか。

10. 思想としての作品において けっきょく醜悪であったと後で人びとは分かる場合が――たとえば中沢新一の自己表現――あるとすれば 況や〔より色濃く主観をまじえる〕芸術作品においておや! でしょうね。
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人格は作る人も居ます。



何かの特集で言ってたんですが

太宰治は一旦普通の家庭を築いたそうです

しかし彼はそれを捨てて文学を追求し 心中未遂とか

最後は自殺したとか。

「人間失格」を読めば分かりますが

人間と言うものを色んな目で見ようとしたのか

恋愛にかけたのか 

西洋のシラーも 机の引き出しの腐ったリンゴを嗅ぎながら

詩を書いてたとか

芸術家は大概 当たり前じゃないですねえ。
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人格は別。

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いや、人格最低な芸術家はいくらでもいます。

ピカソが人格車だと言うような話もないし、日本の教科書に出てくるような文豪にはまともな人はほとんどいません。作品の素晴らしさと人格は分けて考えるべきです。
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