一回も披露したことのない豆知識

西洋では産業
東洋では文化

がそれぞれ発達したのはなぜですか?

A 回答 (3件)

それぞれ発達したわけではないです。



順序からいうと、
「まず東洋で文化が発達し、様々な知見ができたところに西洋がそれを強奪して、現代につながるブレイクスルーになる産業革命をしたから、今西洋の産業が世界中に君臨している」
のです。

ではなぜ西洋ではなく東洋で文化が発達したかというと、それは世界4大文明と言われるものはすべて「農耕が早く始まったから」であることに注意が必要で、なんで東洋で農耕が早く始まったかというと「亜熱帯から熱帯地域で植物の育成に適していたから」です。

農耕が始まると何が起きるのか(起きたのか)というと「農作業する人の数よりも生産物で養える人の数が多くなる」ということが起きるわけです。

もし、100人の村で100人が農作業をしないと1年分の食料が取れない、なら赤ちゃんを産み育てる余裕すらほとんどないのに対して、50人の農作業で100人分の食料が得られるなら農業に従事しない残りの50人は赤ちゃんを育てたり、年寄だったり、道具を作る職人だったり、もしかしたら「天気をずっと観察して天気予報をする学者」だったりできるわけです。

道具を作る職人が増えれば、よい道具が生まれていきます。それが武器なら「強い武器で隣の土地も得られる」ことにつながり、学者が増えれば「物理法則を知って、科学を発展させること」につながるわけです。

だから中国の古代文明は火薬や羅針盤を作り出し、インダス文明はのちのインド科学やアラビア科学につながっていくわけです。

このころの西洋は寒冷地なので農業の発達が遅れていて、ローマが帝国になるにつれてやっとローマ式の農業を受け入れてだんだんに人口が増えていった文化後進地だったわけです。

これの転機は10世紀ぐらいに起きます。転機の最初は十字軍でインダス文明からずっと栄えていたアラブ地域に十字軍が入り、様々なものを略奪しその中に科学技術も含まれていたことで西洋科学の開花につながります。
この開花をルネッサンスと呼ぶのです。

ルネッサンスが花開いた西洋では、東洋の文物をもっと集めること、を求めて大航海時代も始まります。

大航海時代はやがて植民地政策につながり、西洋は産業革命に至るわけですが、西洋が産業革命に至ったのは、大航海時代にじゃがいもなど「寒冷地に強い作物」を征服した南米から取り入れて、人口が増えたことに由来するのです。

また大航海時代の前にはペストなどの病気が流行る人口減少時代があり、大航海時代とは西洋の人口爆発時代でもあるのです。
そしてその人口爆発を支えたのが、じゃがいもであったわけで、これらの苦難の結果、西洋は産業革命に至り、現代社会まで続く産業技術社会を作ることになったのです。
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西洋で産業が発達したのは、西洋で産業革命が


興ったからです。

それまではアジア優位でした。

インドからの綿製品が英国に押し寄せ、
そこから、奴隷貿易と相まって
英国で産業革命が興り、それが西洋
全体に広がったわけです。

どうして、西洋で産業革命が興せた
のかについては諸説ありまして
良く判っていませんが
諸条件が偶然に重なった、とする
説が有力です。




東洋では文化
 ↑
西洋でも文化はありますが。

産業革命以前は、経済的には東洋が優位だった
のです。

それが産業革命で、逆転しました。

(放送大学 中国と東部ユーラシアの歴史)
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「西洋では産業 東洋では文化」という発想が誤り。



どこで、そんなバカなこと教わったんだ?
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