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哲学的な小説を読み、「祈り」についての描写がありました。
「祈り」は未来へ繋ぐ希望のようなもの。自分の子供に未来を託す、それすなわち祈り。
簡単に書くと、そんなことが書いてありました。

私の名前には「祈」の字が入っており、親は「健康で幸せになるように祈る」と意味を込めているそうです。
これも未来の幸福を祈るプラスなイメージですが、なぜか私は「祈り」という言葉にあまり明るいイメージを持てません。
教会でシスターが平和を神に祈るという状況も確かにあると思いますが、大体の人が神に祈る時って自分の力では解決できそうにない絶望的な状況で、神に縋るしかない場合がほとんどのような気がします。
大病、戦争、弔い、試験などでしょうか。
神も仏もあるものか、なんて言いますが神頼みでうまく行くイメージもあまりありません。映画なんかでも大体裏切られるかも。
未来を純粋に願う穢れないものというイメージが持てません。私が俗っぽいからですかね。

皆さんの「祈り」という言葉のイメージを教えてください。

A 回答 (14件中1~10件)

パッと思いうかんだのは長崎ですかね。


怒りの広島祈りの長崎って聞くので。
後、隠れキリシタンとか、天草四郎とか。
水瀬いのりとか(笑)
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祈りは感謝です。

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哲学から導くと 祈りは無駄な物にしか ならない

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『祈り』というと、心の思いを込めて祈るとは思いますが、ここで一番大事なものが“祈られる対象”即ち本尊になります。



それぞれの宗教上には、『何を対象として祈るのか』という『本尊』というものが存在します。

特に日本人は、この『本尊』というものにとにかく無知です。
しかしながら、祈りよりも実は『本尊』の方が重要なのです。
この事を、日本人は知らない。

せっかく自分の思いを込めて祈ったのに、この『本尊』が間違えていれば、祈りは叶うどころか“善い行いではなくなる”事もあるのです。

また、この『哲学』のカテゴリーでは、再三再四申し上げておりますが、こと『神』といっても『仏』といっても、宗教宗派で考え方、捉え方、取り扱い方が違うのです。

私は、創価学会に属しておりますが、創価学会では日蓮大聖人お認めの曼荼羅御本尊に対して祈りを捧げます。
『祈り』は、釈尊の時明かした『皆導成仏の法』である『南無妙法蓮華経』というお題目を唱えつつ祈りを入れて行きます。
創価学会については、SGIインターナショナルという世界的な組織があり、世界192ヶ国地域に支部を有しております。そして、海外の会員も日本の創価学会員と同じように、漢字をそのまま読んで、読経・唱題を行って、世界平和の祈りと自身の宿命転換を朝夕に祈っています。

現在、海外に会員が広がっている背景には、『神』の運命に縛られた生き方ではなくて、自分自身の生命を輝かせて生きるという本来の仏教の教えを選ぶ方が増えているからです。

細かい教義にはここでは触れませんが、祈りと同時に祈る対象も非常に重要であることを考えてみてください。
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「祈り」で最近思ったのが北京オリンピックでのカーリングでの女子です。



なんとか勝ってくれと「祈り」を捧げています。
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「祈り」は他力本願、とばかりは限らなくて「誓い」の意味を持ちうるでしょう。

なぜなら、「祈り」を行うためには、単なる漠然とした思いじゃダメで、それを明確に言語化する必要がある。だから、目標を明確に掲げる、という行為になる。
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愛、平和、静寂…


祈りは、たくさんの思いのこもった大きな愛です♪
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困った時の神頼みって言いますが もしこの神頼みが祈りのことだとすれば 要するに祈りとは 絶対他力にすがる他力本願で行こうという意味になります。




ほかの場合の祈りは 切実なものも一般的なものをも含めて単に願い・希みのことと思われます。



最初にもどって では 神に祈るとは どういうことか?

ですが神は われわれがそれぞれ いまどんな境遇にあってどういう状態に落ち入り何を乞い願っているかを じつは知っているはずです。

それでも 祈る。それは ここにわたしはいますと口に出して言っている・・・ということだと思います。わたしの自覚。わたしの元気。といったような事態ではないでしょうか。
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皆さんの「祈り」という言葉の


イメージを教えてください。
 ↑
神の前で謙虚になる。

その所作が祈りだと思います。

人間は食物連鎖の頂点に立っています。
だから、傲慢になりがちです。

それを謙虚にするのが、神であり
祈りは、それを形に顕わしたものです。

ワタシは神など信じていませんが
清楚な少女が、祈っている姿は
美しいと思います。

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私が思う「祈り」のイメージは、明るいイメージよりも暗いイメージに近い様な気もします。


ですが、ネガティブなイメージでも無いかも知れません。
私のイメージする「祈り」を表現するなら、下を向き目を閉じて、顔の前に両手をあわせている姿や、
空を仰いで、胸のところで手を握っている姿です。
「祈り」に集中する為に、目を閉じて耳を塞いで口を閉じる。何となく真剣な祈りのイメージです。
真剣な「祈り」程、孤独な空間に有るのかなと感じました。
なので少し暗いイメージでした。
「祈り」とは遠くへ贈り届けるテレパシーにも思えます。
それと「祈り」とは、無理な事や叶わない事の、気を紛らわす手段なのかもと思う事もあります。
それでも「祈り」は温かいと感じます。
そんなイメージです。
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