都道府県穴埋めゲーム

幼稚園・保育園くらいの年頃から小学生くらいまでのお子さんをお持ちの親御さんや学校の先生、幼稚園・保育園の先生、教育関係者の方々にご質問です。
子供に見せるアニメとしてのドラえもんですが、今放送されているドラえもんと、大山さん時代のドラえもんのどちらが教育上、良いアニメだと思いますか?

個人的なイメージですが、水田さん演じるドラえもんは「のび太の友達、悪友」というイメージです。のび太と一緒に道具でドタバタ劇を一緒にしている作風が多い気がします。 一方、大山さん演じるドラえもんは「のび太の保護者・母性的な性格のロボット」というイメージです。のび太が道具を使う際も、使い方や言動などで頻繁にドラえもんが注意をしていたり、一方でのび太の成長を陰から優しく見守る描かれ方がしていたと思います。



水田わさびさんは声優交代直後のインタビューで以下の様に語られています。 https://koikesan.hatenablog.com/entry/20050704


聞き手:大山のぶ代さんからの引き継ぎです。

水田:直接お会いしたことはありませんが、声優さん以外にも幅広く活躍されていて、尊敬しています。けれど、自分流に楽しくやらせてもらっているのでプレッシャーは感じていません。

聞き手:今後の目標は。

水田:ドラえもんとしては、より一層のび太君と友達になって〝日常のにおい〟を視聴者に伝えたい。わさドラは、のび太君の保護者じゃなくて、友達なんです。未来からやってきた特別なロボットではなくて、ジャイアンやしずかちゃんと一緒に笑うし、一緒に泣く。そういうところを出していきたいです。

聞き手:視聴者にメッセージを。

水田:リニューアルして、絵もドタバタ感もより原作に近くなっているので、これを機に原作を読み返してもらえれば、もっとドラえもんを楽しめると思います。


一方、大山のぶ代さんはドラえもん25周年記念に行われた取材で以下の様に答えています。
https://www.tv-asahi.co.jp/hai/contents/100/034/ …

『ドラえもん』と出会った。とにかく「可愛かった」「愛すべき主人公」「なんて面白い」…。 ぜひ、やりたいと思った。第1作目に声を吹き込んだ後の試写会で原作者「不二子不二雄さん」に感想を聞いた所 「ドラえもんってこんな声をしていたんですね」と言われた。嬉しかった。役者冥利に尽きる。 ドラえもんについては自分なりに演技プランを立てた。そのプランを基に自分なりにセリフをアレンジしてみた。演出の方も了承して くれて以降そのやり方でやっている。 演技プラン・・・未来から来た「子供を育てる子守り用ネコ型ロボット」なのだから乱暴な言葉など使わない言葉もあるはず。 まずは「あいさつ」「自己紹介」など。 「バカやろう」などという悪い言葉は使わない。(25年間の放送で1度も使用していない) ここは作品に携わるスタッフが注意している点。子供たちに対する影響を考え話し合い、作品を作っている。 自分は、長い間「ドラえもん」の声をやっているので「ドラえもん」とは一心同体のように思っている。 あんなかわいい奴が「いつも近くにいてくれる」と思えるのは幸せ。


また、大山さんは降板後のインタビューでもドラえもんの演技プランについて、以下の様に語られています。
https://tubhouse.co.jp/blogs/interviews/vol-25-% …


ドラえもんを演じるにあたって、一番こだわったのは「言葉遣い」です。あの子は未来から来た「子守り用猫型ロボット」なんです。お母さんの代わりとして教育する立場のロボットなんだから、人を傷付ける言葉を使うわけが無いと思ったの。「コンニチハ、ボク、ドラえもんです!」の台詞も、初めて会う人に自己紹介するのは当たり前の事と思って、私から提案させて頂きました。こんな調子で最初の十年は台詞直しの繰り返し。だって、敬語や男言葉・女言葉がある国なんだもの。全国の子供たちに美しい日本語を伝えなくっちゃね。


大山さんと水田さんのドラえもんというキャラクターへの捉え方・解釈・演技の方針は正反対だと思うのですが、みなさんはどう思いますか?

A 回答 (5件)

原作は20巻まで読みましたが・・・。


ドラえもんTVアニメの1980年代の最初のほうあたりまでは、
「保護者的」「優等生的」要素は皆無だったと思います。
ふつうに「友達どうし」だったと思います。

それ以降は、ほとんど見てないので、わかりません。
あと、映画もよくみてないのでわかりません。
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アニメや漫画が
暴力的だったり、つくりが雑だったりするのは
幼い子供の情操教育にとって好ましくないと思いますが、
「ことさら優等生的」である必要はないと
個人的には思います。

意図的にそういうことをしなくても、
藤子F不二雄の「暖かさ」は、
いやがおうでも、作品内容にたぶんににじみ出てると思うので。
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たかがアニメにそこまで考える必要はないでしょう。


アニメよりも家庭環境の問題だと思います。
教育関係の仕事をしていてもありがとうを言えない人間もいますし、教師が生徒をいじめたり、いじめを学校全体で隠ぺいしたり、裁判官でさえ気に入らない人間は裁判記録を書き換えて違法な尋問をして敗訴させます。
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アメリカではドラえもんは放送されてませんし、これからもされないでしょう。



アメリカでは夢は自分で叶えるものという意識があり、ドラえもんに依存しているのび太は悪という考え方だからです。

日本人でもドラえもんにたよるのび太は嫌いというママ友はいました。

アニメに限らず娯楽というものは、その時代のモラルに合わせて変わっていくものではないかと思います。
昔、「ハレンチ学園」という漫画があり、テレビで実写化されましたが、今ならNGでしょう。
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どちらが「教育上、良い」かというのは、その時代の価値観や、個人個人の教育観によって考えが変わるでしょう。


大山ドラが「保護者的」で、水田ドラが「友達的」という、質問者さんの印象はその通りで、それは声優個人の解釈だけで泣く、アニメ制作陣全体の演出意図でもあったはずです。
水田ドラにリニューアルされる際に、作画も一新されて、より原作(初期)寄りの線を意識したとアニメ会社が言っていたと記憶しています。
そして40年近く前の話ですが、原作の藤子F氏自身が「ドラえもん」の傑作選だったか何かの巻頭言で、「ドラえもんがのび太をすぐ甘やかすので教育的でないというご意見をいただくことがあるが、そもそも『ドラえもん』は教育マンガではなくて『実験マンガ』だと僕は考えている」と書いていたのを覚えています(リアルタイム読者でした)。少なくとも原作初期の頃は、原作者的には、ドラえもんは「のび太と一緒にひみつ道具であれこれやる『実験』をして、一緒に失敗したり成功したりする時間を共有する」マンガだという意識だったということです。
ダメなのび太を導いたり、長編映画で一致団結して友情を深める「教育的」な要素を求めるようになったのは、読者や保護者のほうでしょう。原作者自身も、ご自身が高齢になり孫が出来ると、あまりドラえもん達に「無茶なこと(悪戯など)」をさせられなくなった、というようなことをおっしゃっていたように記憶しています。
どの時代の「ドラえもん」を知っているかによって、ドラえもんの作品世界の印象は変わるのではないでしょうか。

ドラえもん単体のキャラクター演出でなく、アニメ全体で言えば、No.1さんの指摘にもあるように、大山ドラ時代のほうがしずちゃんのお風呂シーンでの露出が多く、セクハラであり、教育的にNGでしょう。昭和時代のアニメは、子ども向けでもお色気シーン=セクハラという認識がありませんでした。今ならアウトです。
ちなみに原作のほうがお風呂シーンの裸描写は露骨です(胸の膨らみや乳首まで描かれています)。大山ドラでは乳首なし程度に自粛、水田ドラではお風呂に浸かって首から上しか見えない程度に抑えられていますね。
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大山さんのドラえもんは、しずかちゃんのお風呂での裸のシーンが多すぎる。

単にお風呂に浸かっているのではなく、故意に裸体を見せている。お風呂以外でも、しずかちゃんの服が溶けて乳首まで描かれていたりと、性的描写がけっこうあある。女子から見たら不快に思う場面がけっこうあります。
でも、原作の漫画では、しずかちゃんのお風呂シーンは一切無いそうです。
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