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元気だった母(70歳前半)が急死しました。
苦労してきた母でした。
春にはどこか旅行にでもと思っていた矢先でした。
最後に会ったのは1ヶ月前。

独り誰にも看取られずに死にました。
苦しかったのかも分かりません。

毎日電話すれば良かったとか後悔ばかりしています。

毎日泣いています。
昼間は仕事で気を紛らわしてますが、家の事は最低限の事しかできません。
子ども達が手伝ってくれてます。

こういう経験のある方、どうやって乗り越えていきましたか?

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A 回答 (12件中1~10件)

初めまして。


お辛いことと思います。
切なくてたまらないでしょう。
皆さん人生のどこかの地点で味わわねばならない悲しみですね。そして乗り越えねばならない修行。
皆さんの御回答、特にANo.5のかたの御回答を拝見して思わず涙ぐんでおります。
私も3年ほど前に母を看取りました。
私にとって母は生前いろいろと葛藤を与えられた人であるにも拘らず何よりも大きな存在で、亡くなったときは足元の地面が抜けてしまうように感じられるほどの絶望感で、街中に出ると、流れる人並みを見て
「私の母が死んでしまったというのに、何故この人たちは、ここにこうしているの?」
などと理不尽なことを思ったりしました。でも、そのときの私にとっては
「それでも世界は廻っている」
ということのほうが、よっぽど理不尽に思えたのです。
しかし否応なく時は流れ、いまは
「こうして笑いながら歩いている人たち、でも、あの人たちのなかには、くず折れそうになるほどの苦しみを笑顔の下に隠して歩んでいる人もいるかも知れない」
こう思えるようになりました。
これが
「時が癒してくれた」
ということなのだろうと思います。

うちの母は長らく病に苦しみ最後は何も喉を通らなくなって苦しいままで亡くなりました。
ですから私はなるべく苦しみの時間を短く、よく言われるように「ぽっくり」と死なせて欲しいと思います。殆んど天涯孤独の独り身ですので、いずれ看取ってくれる人もおりませんし。

貴方が、お母様のお立場なら、どうでしょうか。
「娘たちに厄介をかけずに済んでよかった。
いまのところ孫たちもすくすく育ち、幸せにやっていってくれてる。私も長患いせず、精一杯やることはやって、いまこうしてお迎えが来た。みんな、これからも逞しく元気にやっていっておくれよ。」
親の立場なら、もし、お母様にお口がきけるものなら、きっとこう仰るのではありませんか?
それは貴方御自身が人の子の親であるのですから理解できるのではありませんか?

人の最後は本当に様々。
そして最後はひとりです。

幾多の御苦労を乗り越えてこられた母上のこと、お子様たちに、たくさんお話してあげてください。そしてまた、お子様たちは、そのお子達に貴方のお母様のことを語り継いでいくでしょう。その間は、お母様は決して本当には死なないのです。これは幸せなことですよ。

いまは気の済むまで泣かれて、ご無理なさいませんように。必ず、それなりに落ち着かれるときがやって来ます。

御立派であられたお母様の御冥福を心よりお祈りさせていただきます。

この回答への補足

沢山、レス頂いてありがとうございます。
皆さんにポイント差し上げたいんですが、お二人だけ選ばないといけないという事で大変悩みました。

母親が亡くなったという事。
泣いても良いよと言ってくださった事。
この2点が今の私の心に響きました。

ありがとうございました。

補足日時:2005/04/09 10:06
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この回答へのお礼

金銭面で私が援助していたので、すまない気持ちでいっぱいだと言っていました。

だから最後は厄介をかけずに死んでいったのかもしれません。
そう思うと母の人生がかわいそうで・・・
もっと親孝行したかったです。
贅沢させてあげたかったです。

愚痴ってすみません。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/23 22:55

No.2です。


NO.8さんへのお礼で書かれていた
>金銭面で私が援助していたので、すまない気持ちでいっぱいだと言っていました。
>だから最後は厄介をかけずに死んでいったのかもしれません。
>そう思うと母の人生がかわいそうで・・・

という文を読んで、涙がでました。
父もあまりお金に余裕がありませんでした。
だから私も実家に小額ではありますが、お金を入れていたのです。
ただ、私は一人暮しをしていてそんなにお金に余裕があるわけでもありませんでしたし、そろそろ将来の事を考えて(結婚等)、自分の人生を生きなくてはならないと思い始めていました。

正直、その頃は私が実家の家計の管理もしていたような感じだったのです。
今後の事を考えると甘やかしすぎてはいけないと思い、家計の管理は父に返し、前よりはあまり実家に関わらないようにしていたのです。
(前は足りない分を私が出していたので、父はどのくらい足りないか知りませんでした。なので、定額を振り込むようにしたのです。)

その矢先に父が急に亡くなりました。
だからかもしれませんが、私も後悔がたくさんです。
頭では判っていても心では駄目なんですよね。
きっと一生後悔は残ると思います。

でもそれで終わってはいけないと思いました。
父には出来なかった事がたくさんありますが、まだ生きている人には何でも出来る。
そちらに気持を切り替えて頑張るしかないんですよね。

すいません。アドバイスというか、自分の気持の再確認をしてしまいました。
頑張って乗り越えていきましょうね。
応援しています。

お母様には、自分が亡くなった時に謝りに行きましょう!
きっと怒ってらっしゃらないと思いますけど・・・。
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この回答へのお礼

お礼遅くなりすみません。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/09 09:52

お悔やみ申し上げます。


辛い経験でしたね。

私も8年前に40代前半の父を亡くしました。
1人で現場に行き、土砂崩れに生き埋めになりました。
なかなか戻って来ないのを心配した職場の人が現場まで行き、救急隊員の方と一緒に必死で掘り起こしましたが、やっと顔が見えたのは1時間後、父が埋っていると気付くまでの時間を考えたらもっと長い時間土砂の中にいたのだと思います。
病院で蘇生をしても、もう間に合いませんでした。

本当に突然のことで、毎日泣いてばかりいました。
「ご飯が喉を通らない」というのはこういう事なんだな…と実感しました。
辛い記憶を思い出したくなくて、受験勉強もせずに悪い遊びに走ったりもしました。
でも、いつまでもそのままではいられません。
何とか大学に合格し、新しい友達もでき、笑って楽しく暮らせるようになりました。
私はそのたび、父に感謝しています。
もちろん辛いこと、悲しいことはあるけれど、私が今生きているのは父がいたからです。
こんなに幸せなことはありません。
父を亡くすまで、そんなこと思いもしませんでした。
今でも部屋に1人でいると、父を思い出して泣いたり、この先家族や友人との別れがあったら、またあのような悲しい思いをするんだ、耐えられるのだろうかと不安になったりします。
だけどそれも、生きているからこそだと思います。
成人式はもちろんでしたが、結婚式にも来てもらえないんだと思うと悲しいです。
でもきっと、どこかで見ていてくれていると思います。

oohara_reiko さんに愛するご家族がいらっしゃるのも、お母様がいてくれたからこそですよね。
その事に感謝しましょう。
お母様を思い出して、悲しくて寂しくて泣いてしまってもいいと思います。
でも、泣いてばかりいないで笑顔で「お母さん、ありがとう」と思ってみて下さい。
私は、落ち込みやすくて精神的に弱い人間だと思っています。
こんな私でも少しずつ立ち直って行けたので大丈夫です。
私たちもいつか、旅立つ時が来ます。
その時に笑って会えるように、生きて行きましょう。
年下なのに、長々と偉そうな事を書いてすみませんでした。
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この回答へのお礼

若いときにお父様を亡くされて、それも・・・何て言えばいいのか。
辛かったですね。

>私たちもいつか、旅立つ時が来ます。
>その時に笑って会えるように、生きて行きましょう。

そうですね。
いつかは天国で会えるのですよね!
その日まで恥かしくない人生を送らないといけませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/24 22:57

御返事、拝見しました。

No.8です。

>金銭面で私が援助していたので、すまない気持ちでいっぱいだと言っていました。
>だから最後は厄介をかけずに死んでいったのかもしれません。
そう思うと母の人生がかわいそうで・・・

かわいそうなんて、とんでもないですよ。
親孝行な優しい子どもさんたちを持たれたことが、お母様の人生が充実していたことの証しではありませんか。
その人生が人として立派なものだったからこそ、こうして、お子さんたちに泣いていただけるんじゃありませんか。
私は貴方のお母様を直接には存じ上げませんが貴方の御ことばを通して感じるのは、真っ当な道を精一杯歩まれた、ひとりの女性、温かい母の姿です。御立派な人生ですよ。
そのことを貴方が証明してらっしゃいますよ。

四十九日法要の段取り等で、心乱れたままに、子としての務めを果たさねばなりませんね。

どうか御体調に留意されながら御家族と共に乗り切っていかれますように、お祈りしております。
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この回答へのお礼

周りに親を亡くされた方がいないので、気持ち分かってくれる人がいないんです。
sirayukihimeさん、温かい言葉ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/24 22:51

はじめまして。


さぞかしお辛いことと思います。
私も母とは遠方に住んでいて連絡が来たときには既に亡くなっていたので死に目に会えませんでした。
一週間に一度病院に容態を聞いて安定していると思っていた矢先に急変しての他界でしたので後悔ばかりしていました。
車で高速を使っても5時間以上かかる距離でしたので急変したとの連絡を貰っても間に合わなかったと思います。
今でも元気だった頃の母の夢を見た時は朝からどんよりとした気分になってしまいます。
そういう時は空を見上げたり思い出に浸って思い切り子供のように泣いて、そしてこの姿を母が見たらきっと叱ってくれるのではないかと思い直し気持ちを整えています。
母一人子一人で育った私にとってかけがえの無い肉親でした。
今は結婚して子供も大きくなり母を超えることが出来ればな。。。と思う毎日です。
泣いていても始まらないけれど、泣きたいときは泣く。これが私に出来る事だと思っています。
亡き母を偲んで今夜は母の好物だった炊き込みご飯でも作ろうかしらね。。。
他界して3年たちました。丁度丸3年になったのですね。
母の笑顔を思い出してガンバって行きませんか?
参考にはならないとは思いますが、質問者様もどうか頑張ってくださいね。

まとまりの無いお返事で申し訳ありませんでした。

この回答への補足

沢山、レス頂いてありがとうございます。
皆さんにポイント差し上げたいんですが、お二人だけ選ばないといけないという事で大変悩みました。

母親が亡くなったという事。
泣いても良いよと言ってくださった事。
この2点が今の私の心に響きました。

ありがとうございました。

補足日時:2005/04/09 10:12
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この回答へのお礼

お母様ひとりで育てられたんですか。
よけい気持ちが大きいですね。

仏様は弟が見てますが、母が大好きだったお茶は自分が飲む度に一緒に入れてます。
「入ったよ」と心の中で言って出してます。

皆さんのレス読みながらも涙がボロボロ。
少し元気が出てきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/23 23:03

まずは、お母様のご冥福をお祈りいたします。


さぞかし、つらいお気持ちで居られる事と思います。

自分の場合ですが、
父親を50代後半で亡くしました。
まだ、自分は結婚して数年の20代後半でした。

職場で心筋梗塞を起こし、
救急病院に担ぎ込まれたそうです。
その時点で知らせてくれればいいものを、
一命を取り留めたということで、
脅かそうと思い知らせなかったようです。
(デザートを食べられるほどまでに回復。)
その後、二度目の発作であえなく絶命。

焼場に行くときも、
自分だけ手違いがあり、
会えたときにはすでに骨になっていました。

唯一の味方でした。
生い立ちから不幸のままで、
ようやく親孝行が出来ると思っていた矢先のことでした。

胸が張り裂けるような毎日を過ごしましたが、
日々の出来事は変わりなく押し寄せてきます。
こころここにあらずという状態が一ヶ月以上続きました。

ある時、ふと思いました。
『はたして、親父は今の自分の状況を、
 どう思っているのだろうか?』

パートナーは、悲しみにふさいでいる自分を思いやってか、かなり気にして接しています。
生まれてまだ一歳の息子にも、
親が落ち込んでいる姿はいい影響を与えないでしょう。

『こんな状態でいることは、望んでいないだろう』

そう思いました。
自分の血の中に、親父の血が流れている。
自分が幸せになることが、
すなわち、親父の願いであり、
親父自身を幸せにすることにつながるのではないか?

『残されたものが幸せになることが、
 最大の供養になるのではないだろうか?』

そう思うようにしました。

思い出せば涙がこぼれる日々は、
数年間続きました。

でも、3、4年経った頃、
『ああ、もう会えないんだな。。』と、
頭、身体共に理解することが出来るようになりました。

死に目に会えなかったのも、
焼場で最後のお別れが出来なかったのも、
一番可愛がってもらえた自分が、
その場において耐えられないだろうからという、
親父の最後の愛情なのかもしれない、
そういう考えが湧いてきたんです。

目の前で、大好きな親父が死に絶える。
そんなの、直視できるわけありません。



毎年、彼岸には墓守をしてくれる叔母のところに、
心ばかりの花代を送っています。
忙しくて墓参りにいけないのが、
申し訳ないと思いますが、
『お前達が幸せになっててくれればいいよ』
そんな親父の声が聞こえる気がしました。

今は辛いと思いますが、
時が必ず癒してくれます。
悲しい気持ちを抑えているのは辛いですが、
悲しんでいる親御さんをみている
お子さんも辛いのではないかと思います。

親は自分のことだけを見ていればいいのではないですよね?
お子さんの気持ちも考えてあげないといけないです。
『今週は、いっぱい泣かせてね。
 来週から、少しずつ元気になるから。』
そんな感じで、
心配しているお子さんのことも、
思いやってあげてください。

お孫さんの幸せを、
なくなられたお母様も願っていると思います。
そして、そう思うと、
『いつまでも泣いていられない』
という気持ちが沸いてくるのではないでしょうか。

いくらかでも元気になられることを
願っています。
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この回答へのお礼

50才代で亡くなられたのですか・・・
辛かったでしょうね。

>胸が張り裂けるような毎日を過ごしましたが、
>日々の出来事は変わりなく押し寄せてきます。
>こころここにあらずという状態が一ヶ月以上続きました。

来月49日です。
まさしく上記のような気持ちです。

>『残されたものが幸せになることが、
> 最大の供養になるのではないだろうか?』
>そう思うようにしました。

そうですね。
レス読みながらも涙が溢れてきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/23 22:42

こればかりはしょうがないでしょう。


私も父親の死に目には会えませんでした。
その日、急性心不全でぽっくり逝くまでは、普段のまま元気だったようです。

私は1年半会っていませんでした。
色々と考えましたよ。後悔もしました。

でも、受け入れて自分の中で消化するしかないと思っています。
もうすぐ1周忌を迎えますが、今でも消化しきれていませんがね。もう少し掛かりそうです。
お互い、頑張って乗り切りましょう。
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この回答へのお礼

kernel_kazzz さんも後悔なさってるんですか・・・

来月49日です。
1年経っても消化できませんか・・・
やはり時間が必要なんですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/23 22:35

こんにちは



私は、父を事故で亡くしました。
一緒に行くはずだった旅行に、私の子どもが肺炎で入院したためいけなくなったのですが、父は1人で行きました。(行った先で友人と合流するため。)
結局、1人で行動したために起きた事故で、父は亡くなりました。
1人で、雪山で凍死でした。
最後はどんなにつらかっただろうと思うと・・・。

私が子どもを肺炎にさせなければ、一人で行かせなければ・・・、とやはり毎日後悔しました。
「そんなこと後悔したって、何も解決しない・・・。」
それはそうかもしれませんが、でもやはり思ってしまいます。

乗り越えるなんて、無理です。いっぱい悲しむしかありません。

でも、不思議なもので、時間が癒してくれます。
たぶん、今はまだそうは思えないかもしれないし、また逆に、時間が経ったら忘れてしまうなんて、そんなの悲しいと思っているかもしれません。
でも、忘れるということではなく、ちゃんと心の中に納まるところができてきます。
悲しさを伴わずに、亡くなった方のことを思い出せる日がきっと来ます。
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この回答へのお礼

poponta55 さん大変辛い思いされたのですね。

やはり時間が必要なんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/23 22:30

両親ともに病院で亡くなりましたが、誰しも死ぬ時は一人です。


本人の意識が薄れ貴方がその瞬間居たとしても、認識されておりません。

貴方の後悔する気持ちも解りますが、後悔してても何も解決しません。

それよりも前向きに考えてください。
後悔の念を供養に向かれたらどうでしようか。
そうしれば自戒の念が自然と薄れて行く様に思います。

昔の諺
後悔先に立たず。
孝行したい時に親は無し。さりとて墓に着物は着せられぬ。
誰しも同じ思いだと思います。

私の場合は、同居で共に病院でみをくりました。
先に母でしたが、毎日仏壇の前でお経を読みました。(1周忌まで)
年60回位は墓参りにいきました。
父の時は、満中陰まで位だったかな?30~40回位に減りましたね!
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この回答へのお礼

1年間毎日お経を唱えるって凄いですね。
前向きに考えたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/23 22:28

後悔した所で仕方ないので、これから先の自分たちが彼女らが喜ぶようなことをして行ったら良いのではないのですか。


お亡くなりになられた親御様が日々あなたを見ていると思います。
冷たい言い方ですが、時間が解決すると思います。
今はあなたのそばで毎日泣いるあなたに「これからをしっかり私の分まで生きてってほしい…」と言われてるのではないのかと思います。
悪く考えればあなたに不運をもたらし後々家族たちに不運をもたらす事になるので、前向きに考えられる様にして行って下さい。
たとえ、死に際に…その場に居なかった…と色々思案を巡らしても解らないこと解らない。
しかし、あなたが同じ立場になった時に疑問を教えてもらえると考えてこれから先を後悔なく生きて行けば恩返しになるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
前向きに考えたいと思います。

お礼日時:2005/03/23 22:26

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Q親がある日突然死んだショックを引きずっています

去年母を亡くしました。父はすでに死んでいるので私は一人暮らしになりました。
ある日突然死んだので、心の準備ができておらず、今でもつらいです。

母が入退院を繰り返すなどしてたら心の準備もでき、母の死を受け入れられ、悲しみや寂しさも時間とともにやわらいでくると思います。突然死だったから辛いのです。それまでふつうに暮らしてたのに
ある日突然倒れ、そのまま死んでしまいました。70代でした。

私は独身男性ですので「お嫁さんをさがしたら?」と言う人もいますが、そう簡単に結婚相手が見つかるものではありません。

今でも時々母を亡くした悲しみや寂しさに襲われ、胸が締め付けられるような辛さを感じたり、うつ状態になることもあり病院で相談して薬を出してもらっていますが、それでもどうしようもない辛さに襲われることがあります。

「予測できる死」と「突然死」では同じ死でも悲しみの度合は違うと思いますか?

親の突然死の悲しみをやわらげるいい方法はありますでしょうか?

Aベストアンサー

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃないかなと思います。それでも貴方が現在おいくつか分からないですが、少なくとも20代、30代で両親を亡くすというのは普通じゃないことですし、「予測できる死」と「突然死」という死の基準よりも、死という現実を受け入れる年齢が、「早いのか」、「遅いのか」ということ。

親が死ぬと言うことは誰でも経験することではありますが、実際若い身空で親の死を経てフラットになった時、何にもない自分に喪失感が出てくる気持ちは非常によく分かります。

結論からいいますと22歳の私はその踏ん切りつまり親の死を乗り越えたと、自分で思えたのは26の頃でした。質問者さんと同じく22ぐらいの時にはわかったような口を聞く大人に「はやく結婚すれば?」と言われました。結果、26で結婚しました。そのとき初めて肩の荷が降りる思いでした。

19の頃は絶望感ばかりがあり22の時にその加速度が増しました。大学もやめ、バイトをしながら親の貯金を食いつぶし、親が残した有り難くないコトを整理して俺が何をしたっていうんだよ!って毎日思ってました。23、4のとき就職をきっかけに地元を離れ違う土地へ行き、それこそ色んな年相応のことを経験してに両親のことに対して前向きな諦めをつけた瞬間に彼女が出来て、すぐに結婚~という流れになりました。ただし結婚して全てのことが払拭されたわけでもなく10年経っても未だ悩みはつきません。
だけど、自分の経験したことは確実に同世代にはない経験でしたし、自分の友人らにもし突然のことがおきても冷静に対応できるだけの能力は備わったと思っています。

できれば10年前の絶望感ばかりだった自分に今、まともに生きていることを教えてあげたい。

質問者様へも私自身、早く結婚しろとはいいませんが、今すべきこと、10年後のよりカッコいい自分を想像してみてはいかがでしょうか?そのために今自分がなにをすべきなのかが見えてくると思います。
それが答えです。

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃ...続きを読む

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む

Q葬儀は終わりましたが亡き父のことでいくつか後悔が…

このカテゴリ<家族>の中で、何度も投稿しています。

まず、私は匿名ですが「nao913」です。

本当に皆様にお世話になった上に。再び質問をしますので、

私の質問履歴を「公開」にしました。 どうぞ、ご覧ください。m(_ _"m)ペコ


さて、私の今回の質問ですが、

父は3月16日の土曜日の11時に亡くなりました。

今は、葬儀も終わり、父の年金・保険・相続などの手続きに追われる毎日です。

今さら、蒸し返すようなことになってしまいますが、

父が亡くなるまでに、私が息子として、してきたことに、いくつか後悔があります・・・


3月12日(火)

父が病床で言い始めたんです…

「○○、母さん、お世話になりました… 本当にお世話になりました……
 
 運は、運は… すべて天に任せるわぁ・・・・ 」 と

そこには、2月1日から毎日、父を看に通っていた私と母がいました。

母はその日の前の月曜日に、医師から「余命は1週間です」と言われて知っていました。

しかし、それを知らなかった私は、父がもう長く無いと感じていましたが、

まだ1ヶ月、いや3ヶ月かも?と思っていました・・・・

父の「お世話になりました・・・」という言葉に、ついつい感情的になって、


「世話になったのはボクらの方やろ!父さんが働いて、一生懸命に育ててくれたんやんか!!」

と、父の言葉を止めてしまいました・・・・

父は、「そうそう、申し訳ありません・・・・」 と謝ってしまい…

寝てしまいました。

今になって思えば、あのときが、父の人生の終わりの言葉だったんだな、と思います。

母が私を止めましたが、私は堪らず、そんなことを父に言ってしまいました…

もっと、冷静になって父の言葉を聞けば良かったのに…

いま、父が何か私と弟に書き残していないかと探し回っています…

字が下手な父だったので、パソコンの中も探していますが見つかりません…


それから、3月15日に弟家族がこちらに帰ってきてくれました。

その金曜日の夜は、弟と弟の妻に、父の部屋に泊まってもらい、

毎日泊まっていた母と、私は、家に帰って寝てしまいました。



3月16日の10時過ぎ、弟から、「兄貴!早く来て!!危ない!!!」って電話が、

私の家から父の病院まで、車でいくら飛ばしても20分はかかります。

父の部屋まで走りましたが、もう父は息を引きとっていました…

母も、間に合いませんでした…

あんなに毎日、父を看てきたのに、どうして父の最期の瞬間を・・・・

と、思い返してしまいます・・・・


乱雑な文で、申し訳ありません。

火曜日に、父の最期であったであろう言葉を、遮った私の後悔。

土曜日に、呑気に料理なんかせず、朝から父の部屋に行っておけばよかったのにという後悔。
看取れなかった後悔ということです。

何か、質問になっていませんね…

でも、火曜日と土曜日の私の後悔について、

そして、これから1年と1ヶ月、喪に服して父を弔っていきます。

父のご位牌がある実家まで近いので、毎日、父を参っています。

父の祭壇に向かって、

「ありがとうございました」

「ごくろうさまでした」

「私たちを見守ってください」

って、手を合わせて、つぶやいています…

仏事には詳しくありませんが、お坊さんのお経を覚えて、

「般若心経」を母と一緒に唱えています…


以上、2つの私の後悔と、いまの父の弔いについて質問させて頂きます。

本当に曖昧で申し訳ありません。

どうか、ご感想やご自身の体験で良いので、「お言葉」をよろしくお願いします。

m(_ _"m)


ちなみに、今、父は白木のご位牌に居ますが、

仏具屋さんに、漆塗りのご位牌の注文を終え、4月12日に取りに行きます。

少し、立派なご位牌を見て、気持ちが落ち着きましたが…


どうか、よろしくお願いします。   m(_ _"m)

このカテゴリ<家族>の中で、何度も投稿しています。

まず、私は匿名ですが「nao913」です。

本当に皆様にお世話になった上に。再び質問をしますので、

私の質問履歴を「公開」にしました。 どうぞ、ご覧ください。m(_ _"m)ペコ


さて、私の今回の質問ですが、

父は3月16日の土曜日の11時に亡くなりました。

今は、葬儀も終わり、父の年金・保険・相続などの手続きに追われる毎日です。

今さら、蒸し返すようなことになってしまいますが、

父が亡くなるまでに、私が息子として、してきたことに、い...続きを読む

Aベストアンサー

私は父が臨終したと言う知らせを国際電話で日本にいる家族から
受け取りました。即刻飛行機のチッケトを取っても通夜にも間に合いません。
しかも当時私は超高層ビルの建設設計を一人で担当してて引渡し前の
突貫工事現場で手書き図面を皆に出さないと駄目な状況に居ました。

父に「なあ父さん。俺、この状況で帰って良いと思うか?」
「俺、父さんならばか者!!何百人もの人がお前を頼って居る時に帰って来る奴があるか」って
言う様に思うんだけどさ。と思った瞬間に涙が溢れて号泣してしまいました。
父が他界して既に7年が経ちますが、今この瞬間もあの時の事を思い出すと涙が出ます。

私にとっても父は常に超えなければ成らない存在でした。
或る日二回目の退職をした父が日向ぼっこしてる後姿を見て、くそ!なんで弱くなったんだよ
何で俺が超えるのを待たずに自分勝手に弱く成りやがって。と悲しくなった記憶があります。

幼い頃は厳格な父に反感ばかり持っていましたが、自分がパパから親父と呼ばれる様になって
色々父について解った事が有ります。

貴方は良い息子さんです。緒父上も幸せな方です。ちゃんと父親にありがとうと言えたんですから。
お経も良いでしょう、でも私は心の中で父と話す事にしています。
その方が父も喜ぶのではと思って居るからです。

私は父が臨終したと言う知らせを国際電話で日本にいる家族から
受け取りました。即刻飛行機のチッケトを取っても通夜にも間に合いません。
しかも当時私は超高層ビルの建設設計を一人で担当してて引渡し前の
突貫工事現場で手書き図面を皆に出さないと駄目な状況に居ました。

父に「なあ父さん。俺、この状況で帰って良いと思うか?」
「俺、父さんならばか者!!何百人もの人がお前を頼って居る時に帰って来る奴があるか」って
言う様に思うんだけどさ。と思った瞬間に涙が溢れて号泣してしまいました。
父が他...続きを読む

Q危篤から臨終までの期間は普通どれくらいか

仕事上の付き合いの人が、6月の終わりから祖父か祖母が危篤ということで、県外の実家へ帰省しました。
(実家には、父親、母親が健康でいるそうです)
9月になっても戻ってきません。まだ危篤状態とのことです。
いつ戻れるか、と聞いても「わからない」と答えます。

通常、危篤状態になってから臨終するまでの期間はどれ位なんでしょうか?
普通2~3日か、長くても1週間くらいかと思っていましたが、3ヶ月近くも危篤状態が続くことはあるのでしょうか?

それから、危篤になったら通常、臨終まで親戚家族はたとえ県外に住んでいても、仕事や学校とかがあっても、帰省してそばにいるものなのでしょうか?

不謹慎な内容かもしれませんが、私の身の回りの人でこのような亡くなり方をした人がいず、全くわからず困っているので回答お願いします。

Aベストアンサー

危篤状態というのは、長いものも正直あります。
こん睡状態で半年といった友人を見たことがありますが

仕事や学校を休んでまでも駆けつける、相手なのかどうか?ですよね。

例えば仕事を休んでまでも、何ヶ月も?休める会社があるはずないでしょうが、親兄弟まででしょうし。

一度その方のご実家に連絡をして、家族の方に確認してみてはいかがでしょうか?

何気なく
「このたびは、大変な事になっているみたいですが、ご病人の様態はいかがですか?」
等といってみるのもひとつですよ。

Q「死んだら無」ではないかもしれないエピソードを・・

母の死からもうすぐ100日になります。
母が亡くなった後、ヘルパーさんから不思議な話を聞きました。

ヘルパーさんのお母様が亡くなった後、百箇日位まで親戚の霊感がある人から、ちょくちょく電話がかかってきてお母様からのメッセージを伝えてきたそうです。
それは、ヘルパーさんの家の中の事で、遠くに住む親戚の人は知らないはず事ばかりでびっくりしました。
百箇日が近づくと、親戚の人に見えるお母様の姿もだんだん薄くなり、メッセージも減ってきたようです。
私の母と同じ病気で亡くなった方だったのですが、亡くなってすぐの様子は 入院中に出来なかった色々な事をして結構気楽にやってるよという話だったので、死んでも無ではないんだなぁ、母も病気から解放されて楽になったかな、ということが私の支えでした。

ホーキング博士の「死後の世界はない」という発言がちょっと淋しくて、でも博士もまだ生きているわけだしと思うのですが、
「無ではないかもよ」というエピソードを聞かせて頂いたら嬉しいです。

今回は、死後の世界があるかないかではなく、(生きている人にはわからないのだから)
「無ではないかも」限定でお願いします。

百箇日過ぎたら、より前向きに生きて行きますのでよろしくお願いいたします。

母の死からもうすぐ100日になります。
母が亡くなった後、ヘルパーさんから不思議な話を聞きました。

ヘルパーさんのお母様が亡くなった後、百箇日位まで親戚の霊感がある人から、ちょくちょく電話がかかってきてお母様からのメッセージを伝えてきたそうです。
それは、ヘルパーさんの家の中の事で、遠くに住む親戚の人は知らないはず事ばかりでびっくりしました。
百箇日が近づくと、親戚の人に見えるお母様の姿もだんだん薄くなり、メッセージも減ってきたようです。
私の母と同じ病気で亡くなった方だったので...続きを読む

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うちのじいちゃんが死んだ時。。。

霊感の強い従兄の子が、葬式で「あそこにじいさんいるよ」と言っていた。
自分は霊とか信じないタイプだから「ふ~ん」って流していたけど、その従兄の子は、葬式までうちに来た事がなかったんだよね。

んで、じいちゃんが生前、部屋の出入りに使っていた窓があったんだけど、そこから出入りしているよ~と従兄が教えてくれたのには驚いたよ。

そこの窓から出入りしているのを知っているのは、うちの家族だけ。。。
どう見ても、通常は出入りに使うような窓ではないから、従兄が知る訳ないんだよね。
「マジで。。。?」と思ったけど、それを聞いたうちの父ちゃんは「そうか、じいさんが歩いているか。。。」と嬉しそうにしていたよ。

うちのじいちゃん、死ぬ時はもう歩けなかったからね。
死んでから、膝の痛みも無く、歩けるようになったんだな~と思ったな。

怖い幽霊とかは見たくはないけど、家族とか「もう一度会いたい」と言う人であれば、幽霊でもいいから会いたいと思うよね。

Q両親の死が辛い

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気のいい母でした。少し口やかましいところはありましたが。私が子供をつれて実家に戻ってからは、ずっと食事など皆の世話をしてくれました。
娘にとっては、祖母であり母親でした。私は小さい時から母が大好きで「一緒に死ぬ歳まで待って」と言ってましたが先に逝ってしまいました。当然です、21歳違いですから順番からは親が先です。

父も自分が先に逝くはずだったと嘆き、「寂しい」とションボリしている日が続いていました。昨年末に手術・退院後は回復に向かって喜んでいましたが、やはり体力は弱っていたのでしょう。母の急死で気が弱り余計に菌を受け付ける体になっていたのです。母の法要の後に入院し5日後に亡くなりました。
続けて二人を送り、私は気が動転し何も興味がなくなりました。
今は、夕暮れ時になると母を思い出し、そして父が亡くなる前に世話になったと書き残した言葉と顔を想い辛く悲しく、気が変になりそうです。
また、自分もいつか天国へ行く日が来る、今度は娘たちが同じ想いをする、させてしまうと思うと、どうしようもなく悲しく、それまでに身辺整理をしなくては…とあせってしまいます。
みんな生まれると、必ず死が待っている事は分かっているのですがなかなか立ち直れなくて、もう一度会いたい、声を聞きたい、話がしたいと云う思いに胸が押しつぶされそうです。

迷惑ばかりかけていたとは思いません。母も「お前たちと暮らすようになって生活に張りが出来た」と言ってくれていました。父の病院通いにも毎日行きました。母は元気でした。元気に見えていました。血圧降下剤は飲んでいましたが、それが悪かったかも…と言う人もいます。もっと早く気付いていればこんな事にならなかったのに。もっと手助けをしていれば、もっと早く帰って母との時間を持っていれば…、など色々悔やまれる事ばかりです。
今日は母の4回目の月命日です。もう4ヶ月たちました。まだ4ヶ月なのかも…当初は何がなんだか分からず泣いたり後悔や自責の日々でしたが、今は忙しくしている時や会社にいる時などは忘れる時間があります。
こういう時は両親に対して罪悪感に似たような気になってきます。少しずつ落ち着いてきたので良いのかな?と思ったりもしますが、夕暮れ時や、何もないのに突然悲しくなったり、会って誤りたいと落ち込みます。こんな事を繰り返しながら日々を送り、いつの間にか普段の生活に戻るのかなあとも思います。
もっと若くして親と死別した方々もおられますが、私はもういい歳です。60です。次は自分の事を考えなければならない歳です。娘が嫁ぐと一人になります。その時こんな気弱でどうしていけばいいのでしょうか?
世間では親の歳を聞いて「大往生」と言いますが自分の親なら、大事に思っているからなおさら「大往生」だとは思いません。母は病気で寝込んだ事はないのです。夜中に一人で逝ってしまったのです。
82歳でした。まだまだ一緒に買い物も遊びにも…

私は娘に心配をかけまいと頑張り、仕事と家事で疲れています。これはかえって悪いのかもと思いますが今はまだ「気分転換にどこかへ」という気になれません。

会社のストレスもあり(小さい会社で休むのもままならないです)早く辞めて家の事だけにしたいと思いますが、そうなると収入も減るので大変です。

両親とか大切な人との別れを経験した人はどのようにして、どれくらいの年月でこの辛さがマシになるでしょうか?
私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていてはいけないのでしょうか?

宜しくお願い致します。

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気...続きを読む

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40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして寿命というものがあり、親から先に旅立つのは必然です。
しかし、そんな事は頭で理解できることであり、決して心では
理解などできないのが本音だと思います。
私の両親はまだ健在なので、まだ死別の悲しみを味わったことは
ありません。
ただ、大好きだったお婆ちゃんとの別れは経験しました。
肝臓癌が判明してから、あっという間でした。
本人には知らせていなかったので、遠く離れて暮らしていた僕が
急に何度もお見舞いに行くと、おばあちゃんが自分の病を疑う
かもしれないと思い、泣く泣くお見舞いの回数を減らしました。
今思えば、愚かな気遣いであったと後悔しています。
何であろうと、毎日でも会いに行けばよかった。そしてたくさん
話をすればよかったと悔やみます。

人は大切な人を失って初めて、いろんな後悔に押し潰されます。
あの時こうしていたら、あの時もっと・・・・。尽きることは
ありません。
でも、悔やんだところで、亡くなった人は戻ってきてはくれ
ません。
それも頭で分かっているのですが、複雑な思いでした。

私はいつも近しい人とのお別れを経験する度に、思う事があります。
それは、人の死というのは、最後にその人から教えられる
愛なのだということです。
人は死というものがいつも身近にありながら、中々そこを見よう
とはしません。
ですから、そうした愛する人の死を目の当たりにすることで、
そこで改めて、死について見つめることで、それまで気付かなかった
事に気付くのです。
自分がその時を迎えた時、どんな思いで旅立つのだろうか?
思い残すことがあるのだろうか?
残していく大切な家族へどんな思いなのだろうか?
などと、リアルに感じることができます。

私も、41歳となり、結婚して妻も子供もいます。
あなたが言うように、私もいつかその時が来るのです。
妻や息子を残して旅立った後、妻や息子が私の死を悲しみ
苦しみ、毎日を泣いて暮らしていたならば、きっと心配で
心配で、残してきたことを悔やみ、きっと次なる場所へ行けなく
なってしまうと思います。
故人への一番の供養とは、故人に心配させないような生き方を
することだと、ある人から教わりました。
そうすることで、故人は思い残すことなく、次へと向かうこと
ができるのだそうです。
私は、その言葉を頂き、それからは、おばあちゃんに対して、
いつも「ありがとう。僕なら心配ないからね」って伝えるように
なりました。

この世へ誕生することをそばで見守ってくれた親へ、今度は
あの世へ向かう時に、そばにいて見守るのが、子供としての責任
だと思っています。
今度はあなたが、子供さんへ教えてあげる番です。
しかしあなたはまだお若いですから、まだ見えない先のことを
考えて悲観的にはならないでください。
そして、また今度会いに行けばいいでは無くて、会いたいと
思えたら、すぐに会いにいくのです。
伝えたい言葉があれば、すぐに伝えるのです。
それが後悔の無い人生というものです。
あなたのお母さんとお父さんがいてくれたから、今のあなたがあります。
そして、子供さん、お孫さんへと命のリレーはどんどん繋がって
いるのです。
私の祖母も祖父と二人で人生をスタートさせてから、今では30人という
家族たちができました。
そして今もなお、増え続けています。
そうした歴史も踏まえて、それぞれのドラマがあります。
辛い事、苦しい事。そして楽しいこと、嬉しかったこと、涙が出る
ほどの幸せな思いを感じてきたのです。
今はとにかくとことん泣いていいと思います。
気が済むまで泣けばいいのです。
そしていつか、涙を拭いて、新しい一歩を踏み出して下さい。
お母様とお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして...続きを読む

Q母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも、手術を受け、半年間の抗がん剤治療をし、去年の年末には腫瘍マーカーの値も下がり、快方に向かっていた…はずだったのに、年明けに早くも癌が再発。その後は、脳梗塞・脳内出血・てんかんなどを立て続けに併発して抗がん剤治療ができなくなり、あれよあれよと言う間に逝ってしまいました。

 母とは大親友以上の仲だったので、亡くなった当初は天地がひっくり返るような感じだったけど、四十九日を終えて、少し落ち着いたつもりでした。でも、三ヵ月半たった今、なんとも言えない虚無感でいっぱいです。

 母はきっとどこかで見ていてくれるから、前向きに生きていかなければいけない。…とか、
 私が悲しんでばかりいたら、きっと母も辛いだろうな。…とか、
 40年間ほとんど我慢するだけだった結婚生活を送った母だから、きっと今ごろ若くして亡くした最愛の両親と、天国で平和に暮らしてるんだろうな。…とか、
 常に人への感謝の気持ちを忘れずに、いつも回りの人を笑顔にしていた母の心を受け継いでいかなければいけない。…とか、
 そんな心を、自分の子供にも引き継いでいかなきゃいけない。…とか、
 まだ3歳の子供の前で、しょっちゅう泣いているのはきっと良くないんだろうな、…とか、
 いつか母にもう一度会えた時に恥ずかしくないような生き方をしていくしかないかな、…とか、
 きっと時間にしか解決できないことなのかな、とか。

 頭ではいろいろ考えるのですが…。 

 飛行機と電車を乗り継いで6時間かかる実家に、職場にこれ以上ないくらい無理を言っては、しょっちゅう長期で帰って、してあげられるだけのことはしたつもりだし、最期にも間に合ったから、後悔はあまりしていないつもりです。だからか、亡くなる前や亡くなった直後の方が、悲しみは深いながらも上に書いたような前向きな悟り、みたいなものを心から感じていました。でも、ここに来て、なんだか時間が止まってしまったような感覚に陥ってしまっています。

 長い文章を読ませてしまい申し訳ないですが、皆さんはどうやって身近な人の死を乗り越えられましたか?乗り越える手助けになった本なども、もしあれば教えていただけませんか? 

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも...続きを読む

Aベストアンサー

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
なので天国で~,といった感傷はありません。
でも,「生きていたらどう言うだろうか」というシミュレーションはします。
祖父はとくに
「死亡通知は出さない。形式ばかりのお悔やみをもらっても意味がない。知人から連絡があったときに,こういう事情で亡くなりましたが故人の意思によりご連絡しませんでした,と返信せよ」
と,若い世代でもなかなかできない思い切ったことを遺言しました。
「死者は生者を惑わすべからず」が信念でした。

また,私自身は非婚男性で,おそらくこのままだと思いますが,「先祖代々」といったつながりは重視していません。
よく言われる「たくさんの人が先祖にいてあなたがいる」というのも信用していません。

霊感商法が問題になったときに,祖父の言った言葉が強烈な記憶になっています。
「先祖が苦しんでいるから供養がどうのなんていうが,子孫を苦しめるようなことをするはずがない」
私はさらに拡張して,子孫を苦しめるような祖先はいなくても結構だ,と言っております。

でも,これだけ極端に過激な考えを持ってる私でも,純粋に今でも「かっこいいなあ」と思います。
現代の若い世代でもこんなこと言えるのは何人いるんだ?と,身内贔屓ながら思ってしまいます。

死後の世界を否定しても,受けた教育や影響,話してくれた体験談や直接見聞きした記憶というものはちゃんと残ります。
長所も短所も個人の記憶として残っています。
自分のDNAは残せなくても,こういう考えをした人がいる,という話は伝えられます。
教育は誰も奪うことのできない財産であり,絶対に消えないものだと信じています。
残っているのは過去の出来事であっても,そこから新たな法則性や価値基準は抜き出せると思います。

視点を,ちょっとだけ亡くなったお母様から外してみませんか。
~してはいけない,~しなくてはいけない,と考えるのはどんな場合にもつらいです。
お母様は,あなたをここまで育てあげたんだから,あなたは何をするにも自分の考えと都合に素直に従っていいと思います。
泣きたいなら泣いていいでしょう。そこで泣けるように育ててくれたんですから。
お母様がどう思うかと意識が集中しすぎるとつらいと思います。
親がどう思うかで動くのは,言い方は悪いですが,ある種子どもの考え方ですよね。「怒られるからしない」と同じような。
でも,一個人として成長すれば,誰が何と言おうと私は嬉しい,何と思われようと私は悲しい,といえるようになります。
それで必要かつ十分です。
いま,質問者さんはどうしても亡くなったお母様に視点を合わせてしまうために,どう思うだろうか・これではいけない,と自分を抑えつけてしまうのではと思います。
自分を信じてあげてください。自分を大事にしてあげてください。
ときに自信がなくなったら,「お母さんが私には合格出してくれたんだから私はこれでいい!」と考えてはいかがでしょうか。
ご参考になれば幸いです。

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
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Q突然死んだ母に会いたいと思うことがつらいのです。

おととしの春、母が突然亡くなりました。父もすでになくなっているので私は一人で暮らしています。
口うるさい面もあり、よく喧嘩もしましたが心優しい母でした。

父は死ぬ数年前から病気で入退院を繰り返してたので、心の準備ができていて父の死の悲しみは
すんなり乗り越えることができました。

しかし母はある日突然倒れて亡くなりました。まだ70代だったので、まさか突然死ぬとは思っておらず、母の死から2年たってもショックをいまだにひきずっています。

外で仕事をしてるときは気持ちが落ち着いてるのですが、一人で家にいたりすると、「死んだ母にもう一度会いたい」という思いがこみあげ、悲しみで胸が引き裂かれそうになることがあります。

心にポッカリ穴があいて、その穴を埋められないような感じです。

親が突然死ぬとこんなにも長く悲しみを引きずるものなのでしょうか。

悲しみを今も引きずってる私は心が弱いのでしょうか。

親の死の悲しみから、みなさんはどう立ち直ってるのでしょうか。

Aベストアンサー

自分も父をガンで患わって亡くしています。
母も、くも膜下出血で倒れたときはどうなるのかと生きた心地ではありませんでした。
今は何もなく過ごしておりますが、あのとき亡くなっていたらと思うと、平常心ではいられません。
母を亡くされたお気持ち、心に刺さるように解ります。
今も引きずっているのは、決してこころが弱いからではないと思います。
自分でもまだ父が生きていたらと思うことが度々です。

人はいずれお別れしなきゃならい事がくることがあると解っていても、いざその時がくると受け入れられないものですね。
しかたの無いことだと思います。
それを無理に忘れることは絶対に出来ないことです。

しかし、気を紛らわせることは出来るはずです。
おひとりになるときに思い出されるとのことにヒントがあるんじゃないでしょうか。
出来れば結婚されてご家庭を持つことが一番の解決につながると思います。
それには縁が必要ですので、自分の思うままなりませんね。

他には夢中になれる趣味を持つことです。趣味ができれば、その仲間が作れます。
仲間との馬鹿な話で笑っているときは、少なくとも忘れる時間が持てるはずです。

少しづつですが、時間も解決してくれることでしょう。
皆さん、そうやって乗り越えてきています。
質問者のあなたも、あせらずに解決していってください。

自分も父をガンで患わって亡くしています。
母も、くも膜下出血で倒れたときはどうなるのかと生きた心地ではありませんでした。
今は何もなく過ごしておりますが、あのとき亡くなっていたらと思うと、平常心ではいられません。
母を亡くされたお気持ち、心に刺さるように解ります。
今も引きずっているのは、決してこころが弱いからではないと思います。
自分でもまだ父が生きていたらと思うことが度々です。

人はいずれお別れしなきゃならい事がくることがあると解っていても、いざその時がくると受け入れられな...続きを読む

Q母が亡くなって3ヶ月…。まだ泣いてしまいます。

30代女性です。
2年間、病と闘った母が3ヶ月前に亡くなりました。
告別式を迎えるまでの4日間…ふいに溢れる涙を自分でもどうしようもなく、本当に泣き続けました。

告別式を終えても、本当はもっと泣き続けていたかったし、母の思い出に浸っていたかったけど、「毎日」は容赦なくやって来て日常生活に引き戻され…。

もう3ヶ月も経つのに、一人の時間に、またふいに涙が溢れてしまいます。

同じような経験をされた方がいらっしゃいましたら、ただお話しをかき聞かせて頂ければ…と思っています。

Aベストアンサー

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分を
責めてしまいます。

写真のなかの笑った父を見ると、会いたくてたまらなくなります。

今でもとても淋しいです。


亡くなって半年頃、うつのお薬も飲みました。(2週間くらい。)

特別なことではなく、こういうのもアリなのだと思います。

遺品整理でまた泣けて、父の手帳を見てまた泣けて。


でもそうやっているうちに、少しずつ、涙の量が減っていきました。

今でも思い出すといろんな気持ちが溢れてきます。

ただ、自分の悲しさと少し距離の取り方が学べた気がします。

母のときとはまた違うので、亡くなるたびに、また一からですね。


いつまでも泣いていると亡くなった人が悲しむといったことを聞きますが、
そうでもない気もします。

子どものとき、こけて痛くて泣いていたときのように、天国から、
あーあ、泣いてるね、と、笑って慰めてくれているような気がするのです。

kataomaさん、声が聞けなくて、触れなくて、とても寂しいですが、
きっとそばにいてくださっていると思います。

本当に鵜悲しいですよね、大切で、大好きだったのですから。
だからkataomaさんはとても正常なのだと思います。
(すみません、変な言い方ですが。)

どうぞ安心して悲しんでくださいね。
それが人の通る道なのだと思います。
そしてきっとその分、お気持ちに優しさが増えていくのだと思います。

お気持ちを逆なでしてしまったら申し訳ありません。

お辛いですが、悲しいお気持ちをしっかりとお受け止めになれるといいですね。

そうしながら、お気持ちはまた、少しずつ元気に向かわれていると思います。

悲しくて泣かないではいられないほどのお母様との思い出を、これからも
きっと大切にしていかれるのでしょう。

応援しています。

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分...続きを読む


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