プロが教えるわが家の防犯対策術!

日本の戦後のどん底から這い上がった経済について  教えてください

学校でミニ研究みたいなのがあって自分は戦後日本経済史にしたのですが調べてみても長々と書かれていてよくわかりません

日本は何をしたのか、どうやって這い上がったのかを 簡単に教えていただけないでしょうか

A 回答 (5件)

簡単に説明します


1政治的要因
共産主義国家と資本主義国家の対立の中で、アメリカなどが資本主義側の立場に立って日本の自立が必要だと考え、多くの復興資金が投入されたから
2経済的要因
軍隊やアジア植民地から引き揚げてきた人などで、労働力が多くあり、大都市が空襲により焼失したことが逆に新しい都市計画を行いやすかったから
3国民性の要因
勤勉でまじめな国民性があり、賄賂や強権的な支配が少なく、敗戦という状況を受け入れて、占領軍の指示に従い懸命に働く国民性であったから
4世界的な要因
朝鮮戦争による特需や円安のレート設定により輸出が大幅に伸びたから。
こうしたことが基本的要因で、それぞれを細かく調べればよいと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます自分の求めていた回答そのままでした!

お礼日時:2022/04/09 01:32

No4さんの回答に続けて、


5東京オリンピック開催
色々な設備(高速道路、新幹線、競技場、etc)を公共事業として
建設/建築していったので、景気が爆発的に良くなった。

二匹目のドジョウは居なかったが。。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます!補足ありがたいです

お礼日時:2022/04/09 01:33

1945年08月15日終戦。


戦争による被害一般国民を含め約310万人。
資産的一般国富の被害全体の25%。
戦災で喪失住居家屋220万戸。
戦前約1400万戸の住居家屋は1135万戸に減少。
海外から復員者引揚者約600万人。
総人口7199万人。
1945年09月02日ポツダム宣言降伏文書調印。
1950年~1955年:朝鮮戦争特需発生。
鉱工業生産指数は1950年10月に戦前水準となる。
実質国民総生産も1951年度には戦前水準に達する。
1947年05月03日日本国憲法施行。(大日本帝国憲法失効)
1950年総人口8400万人。
1951年09月08日サンフランシスコ講和条約調印。
1952年04月28日講和条約発効。
1960年06月23日日米安全保障条約発効。
1960年総人口9430万人。2216万世帯。
1961年10月01日東海道新幹線開通。
1964年10月10日東京オリンピック開幕
1965年いざなぎ景気開始。日韓基本条約を締結。
1966年総人口1億人突破。
1972年02月03日札幌オリンピック開催。
1972年05月15日沖縄返還。
1972年09月29日中華人民共和国共同声明調印。
1984年総人口1億2000万人突破。
以上、がむしゃらに働いた。
    • good
    • 0

戦後アメリカは日本を3流国にしておくつもりで実現不可能と思われる日本国憲法を押し付けました。


それを変えたのが東西冷戦の始まりです。ソ連の傀儡政権北朝鮮はアメリカの傀儡政権韓国に攻め込んで朝鮮戦争が勃発
アメリカは大量の軍需物資を日本に発注し、日本は特需景気に湧き経済が持ち直しました。
戦後の経済
https://business-textbooks.com/business-cycle/
    • good
    • 0

政治から、それぞれの業界での様々な対応。

日産での話しが本になっているが、日産だけで2冊の単行本になっている。
日産とトヨタではまた違うし、要するに話しが大きすぎるのだ。
テーマをもう少し絞らないと、簡単になど言える話しでは無い。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!