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教員が学生を指導するときも、上司が部下を注意するときも、「遠回しに言う」という文化がある。僕はそれを、なんとなく知ってはいたけど、ちゃんと理解せず、まったく分かってないまま生きてきたのかもしれない。たとえば、大学院修士課程のとき、指導教員に「いやいや、これは別に〇〇くんの努力が足りないって言ってるわけじゃないよ」とか、「いやいや、今年の修了は諦めろって言ってるわけじゃないよ、そうじゃなくてむしろ、この段階からどうやって間に合わせようかって話をしてるんだけどね」みたいなセリフを言われた。僕はそれを、まったく文字通り受け取った。努力が足りないと言われてるのではないと受け取ったし、今年の修了は諦めろと言われてるのではないと受け取った。でもそれは、あまりにもおめでたすぎたのかもしれない。それはある種、幸運なことではあるが、僕はどこか鈍感だったのかもしれない。
どう思う?

A 回答 (4件)

>日本には、



この出だしから、日本語にあまりお詳しくないとお見受けします。

例示されている例文は、「遠回しに言う」ではなく、「二重否定」というごくありふれた表現技法です。これは中学校の国語の授業で習い、義務教育を卒業した日本人は日常的に使います。

ちなみに、例示されている文にはそれぞれ「って言ってるわけじゃないよ」と書かれていますので、すなわちその前に否定的かつ直接的な表現があったと想像します。であれば、全く遠回しの表現ではありませんね。
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あなたの質問文のほうがよっぽど回りくどい言い方してると思うけど。

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この回答へのお礼

え、ごめん、どこが?www
どこが回りくどいの?www

お礼日時:2022/04/25 17:30

それでその年に終了できたのならそう受け取ってよいのではないですか。


それでも修了できずに、もう一年かかったなら遠回しに言われたのかもしれません。
でも、あまり気にしなくてもよいと思いますよ。少なくとも精神的にはそのほうが良いと思います。
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この回答へのお礼

いや、まったくその通りで、内容はゴミだったが、一応修了はできたので、完璧主義になって修了が遅れるよりマシだったんだよね。特に僕は、修了後は社会に出て歯車になる人間だったから。

お礼日時:2022/04/24 06:15

こんばんは、


若かったのだから
しょうがないです。

遠回しに言われその意味に
奮起して
努力出来たかどうかが
大切です。

少し嫌みっぽい
イラっとくる表現は
なにくそぉっ、と
思わせてやる気に繋げる
為だったのでは
ないでしょうか?
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