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大学院の社会人入試を受験しようか考慮中です。
経営やマーケティングについて知識を深めたいと考えています。

現在は出願の手続きを進めている最中なのですが
気がかりだったことがやはり問題として持ち上がりました。

学部は卒業していますが理系出身で、経営やマーケティングに
ついて専門的に学んだ経験が無く、知識は乏しいです。

論文作成で必須のワードや発表時に使うパワーポイントは
殆ど経験が無く素人です。

現在の仕事が大好きで更に知識を深めたいのと、将来取りたい
資格もあるので、仕事と学業の両立が難しかった前職を辞め
現在の会社に転職しました。
現在の職場は理解があり、院への進学は協力してくれるそうです。

資格だけなら通信教育や専門学校もあるのですが、資格を取った
後の活路を考えると、より深い知識や人脈なども必要だと思ったので
大学院への進学を決めました。

事前に大学の教員と相談など出来るので相談したところ、もう少し
時間をかけパソコンスキルを強化し経営やマーケティングなどについて
知識を増やしてから、院への進学を考えた方が良いと教員に言われました。

要するに、せっかく進学するなら2年で卒業した方が良いし
修論を作成するための研究テーマの材料になるようなものを
貯えておいた方が良いという意味だと思います。

確かにごもっともなのですが、社会人入試でそこまでハイレベルを
求めるものなのでしょうか?
でも筆記試験はありません。
面接と研究計画や志望動機などの書類を提出する程度で窓口が広くて
受験資格や条件は左程厳しくありません。

社会人入試でキャリアや知識を求めるなら、筆記試験を設けたり
受験資格をもっと厳しくすればいいと思います。

社会人入試では、色んな立場の人が受験すると思います。
中には高卒の人、若くない人、私の様に学んだ事が無い分野を
学ぶ人など様々いると思います。
これが社会人入試での一番のメリットだと思います。

長年働いていても仕事によってはワードやパワーポイントなど
使わない人も居ます。
キャリアを積むのは良いけど、タイミングを外せば進学も
出来なくなるかもしれません。

一応パソコンのスキルは最低限の基礎は覚えようと思いますが
受験料や入学金などを搾取する為に、受験の窓口を広げているだけでしょうか?
受験の窓口はめちゃくちゃ緩いのに、求める事が多いので違和感を
感じます。

大学や教員により変わるのでしょうけど、良く考えれば助言をした
教員が真面目で真剣に答えてくれたのでしょう。
でも悪く考えれば、単に教員に指導能力が低いだけなのかもしれません。

社会人入試で進学し、約1年半で修論を作成し2年で卒業するのは
相当覚悟が必要なのでしょうか?

ある程度予想はしていたのですが、考えていた方向が違ってきたので
戸惑っています。

大学院の社会人入試や働きながら学業を両立するなどについて
ご存知の事があれば、教えて下さい。
アドバイスなどでも結構です。

質問者からの補足コメント

  • 返信の続きです。
    文字制限の為、続きをこちらに書き込みます。

    今回私が希望していた教員も元々学者出身ではない方です。
    教授として就任したのも数年前なので学生を指導したりするのに
    不慣れなのかもしれません。
    もしかしたら、過去に担当していた学生とトラブルが有ったり
    残念ながら卒業させることが出来なかった経験があるのかもしれません。

    私の未熟さばかり指摘されますが、教員こそ未熟だと思います。
    院への進学は諦めていませんが、一応保留にしようと思います。
    今回色々考えた結果、期待していた教員の人物像と違う事が判ったが
    一番の収穫です。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/10/23 13:52

A 回答 (5件)

僕は工学系ですので参考まで。


 まず実績として,修士に社会人が入学してくることは稀(数十年で経験がありません)でした。ただ博士は特に大学院重点化後は大人の事情で増えました。なぜでしょう。社会人入学というのは,結局(特に博士課程は)会社でやっている事業や研究を大学で継続して質を上げて同時に学位もいただこうというものだからでしょうね。
 また我々工学系では研究テーマは教員から提示しますが,経営では違うのでしょうか。勉強を始めたばかりの大学4年生には適切なテーマは探せないのが実情です。ですから,希望する研究室の教員と事前に相談して修士のテーマも決めるのが普通です。その際,2年で(博士の場合しかしりませんけど,その場合は3年で)修了するように計画を立てます。また博士の場合は学位をもらうまでに最低○編は論文を出版しないといけないので,会社にいる間に数編は論文の経験をしているのが一般的です。3年毎年論文を出版しないと学位はもらえないと思っていただいていいです。修士の場合はそこまで厳密ではありませんが,少なくとも修士論文の中身は,ちゃんとした論文集に投稿して受理されるだけの質を要求されているのが一般的です。ですから,社会人の場合は入学前に研究テーマと計画を決める必要があるわけです。それが受験のときの書類になります。
 また大学はワードやパワーポイントを学ぶ場ではありません。僕は両方共(互換ソフトも)ほとんど使えません。MS社が嫌いだからかもしれませんが,アハハ,論文もスライドも組版ソフトで作りました。事務書類は誰かに補助してもらいました。学生の様子を観ていると,ワードもパワーポイントも自然に使えるようになるようです。そして使えることが前提です(僕のようなへそ曲がりを除いて)。
 働きながら・・・が修士ではほとんど無理なのも,修士に社会人入学がいない理由の一つでしょう。博士の場合も今は講義と試験が必須になりましたが,それでも米国の大学院ほどではないですし,大学側が配慮して集中講義にしたり単位の取り方を工夫してくれます。修士ではそれが無理です。1年生のときには最低週三日くらいは大学で講義を受けないといけないでしょうし,集中講義にはなっていません。宿題も出ます。コンピュータで計算する宿題も出ます。期末の筆記試験もあります。ただしこれは工学系の場合(形式的になっている専攻もあるらしいですが・・・僕らは真面目に十数回講義をして試験をしています)です。
 いずれにしても,今の職に関連して実施したい研究テーマが思い浮かばないのであれば,大学院入学してもなかなか無理があります。学部から入学した学生のほとんども,卒論の延長線上の研究テーマを持って入学しますから,勉強の幅はその狭い幅でほとんどいいわけですし,目標が明確だから2年で修了できていると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
工学に関しては素人なので解りません。
ただ漠然としてですけど、工学の場合は他の学科と違い社会人入学は難しい
かもしれないというのは解ります。

今回希望していた教員から、私の未熟さを指摘されました。
自分自身でも自覚していましたし、ごもっともです。

ただ別の回答者様への返信にも書きましたが、教員も未熟だと思いました。
その教員は教授として数年前に就任したばかりなので、学生を指導するのに
まだ不慣れなのかもしれません。

学校であっても会社であっても、責任者や管理者となれば人を指導したり
管理するのは凄く大変で、知識やスキルだけでは出来ません。
性格が凄く出ますし職場や研究室の雰囲気も大きく変わります。

教員としては学生を2年で卒業させる義務があるので、もし留年したり
退学することになれば、プライドが傷ついたり大学からの評価が下がると
思う教員も居るでしょう。

恐らく今回私が希望していた学生指導の不慣れな教員がそうなのかもしれません。

院への進学は諦めていませんが、一度保留にします。
今回の一件で、私が希望していた教員の人物像が考えていたのと違う事が
判ったのは一番の収穫でした。
進学前に判り良かったです。

お礼日時:2018/10/23 15:01

No.3です。

たびたび誤字の訂正ですみません。
×打出やらかす不始末
○内でやらかす不始末

ついでに追記しておきますと、その教員を全面擁護するわけではないのですが、一般論として「こういう考え方もある」というのをお示ししておきます。
教員に能力不足を指摘され、「そんなことを言うのは、指導教員に指導力がないからだろう」とご立腹のようですが、教員の側からすれば、定員のある大学院で、できるだけ優秀な学生を採りたいと思うのは当然ではないでしょうか。
研究テーマがはっきりしていない(これから教員に与えてもらおうと思っている)学生よりは、既に研究テーマがはっきりしていて、その内容のレベルも高い学生。
論文作成や学会発表に今や必須となったパソコンスキルについても、「企業では必要のない人だっていくらでもいる」と開き直る学生よりも、既に一通りのスキルが身についている学生、あるいは「進学までに頑張って身につけます」という意欲のある学生。
学生が指導教員を選ぶのと同様に、教員も学生を選べるならば選びたいです。指導する学生の出来不出来は、別に、教員のキャリアには直結しません(理系ならば研究室チーム全体の成果に直結するかもしれませんが)。大学教員のキャリアに直結するのは、学生指導よりも、教員自身の研究成果です。大学院は、教育機関である以前に、研究機関なのです。
教員が優秀な学生を欲しがるのは、その方が指導のしがいがあるからです。スタートラインが低い学生よりも、高い学生のほうが、最初からより高度な指導ができますからね。優秀な学生の存在は、教員自身の研究の邪魔にもなりません。
また、研究者としては、修士でやめる院生よりも、研究能力が高くて博士課程まで行きたい(行ってほしい)、やがては研究者に、という後進の指導に力を入れたくなるものです。

その教員のアドバイスは、「このアドバイスに納得できないのならば、この大学院は受験しない方が『あなたにとって』良いですよ」という意味にも解釈できます。
大学院は師弟関係を結ぶ場所ですから、師弟関係を結ぶ気のない受験生にとっては、受験料や時間が無駄になりますからね。
質問者さんが言うような「受験料や入学料の搾取」とは、むしろ、反対だと思いますよ。無駄な受験をする前に、「ここは、自分が思っていたのとは違った。受験はやめよう」と質問者さんが気づけるように、アドバイスしてくれたのですよ。
受験料を搾取する大学院ならば、未熟さの指摘やパソコンスキルが必要といった話はせずに「大丈夫ですよ、責任持って2年で修論が出せるようにお手伝いしますから、安心して受験してください。ワード? パワポ? なんとかなりますよ」などと安請け合いしますよ。そっちのほうがよほど不誠実です。

質問者自身がおっしゃるように、今回、事前に「相性が悪い」ことが判明したのは、双方にとって、良かったです。
今後も、他の大学院の受験を考える際には、事前に、指導を受けたい教員に相談に行くことをお薦めします。文系の大学院では、指導教員への事前相談は必須ではなく、受け入れ内諾も出せないことがほとんどなのですが(指導教員の一存で合否を決められない入試形式が多いので)、社会人入試の場合は、双方の認識のミスマッチを防ぐためにも、事前相談推奨かと思います。
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No.3です。

誤字があったので訂正します。すみません。

×口述するように
○後述するように
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No.1です。

お礼コメントと補足を拝見しました。
質問者さんがどの大学院を目指しているのかは存じませんが、指導教員の指導力を信用できず、またご自身の能力不足をやんわりと指摘した教員のアドバイスを不当なものだと自負なさるのでしたら、その大学院への進学はやめるのが賢明です。お互いのために。

指導教員の資質に懐疑的・批判的な学生を受け入れたいと思う教員は、どこにもいません。大学院は、院生が「この先生の指導を受けたい」と、自分で師匠選びをして進学する場所ですから。
大学院と企業の構造を同じと捉え、教員と学生を上司と部下の関係に当てはめ、部下の失態は上司にも責任があると考える。
そういうのは、大学院での学問をよく理解していない、なんでも企業の論理で考えてそれを貫こうとする、一番厄介な社会人学生の典型的な態度です。

>教員は進学した学生を限りは出来る限り2年で卒業させる義務があります。

そんなことはありません。大学院は手取り足取り教える場所ではありません。教員は、院生の研究がうまくいくように支え、見守る役目です。手取り足取り指導するのであれば、それはその院生の研究ではなく、教員との共同研究、度が過ぎれば教員による「代筆」になってしまいます。

>もし退学や留年となれば、プライドの高い教員であれば自身のキャリアに傷がつき
>大学からの評価も下がると思うでしょう。

なりません。
旧帝大など、レベルの高い大学院ほど、プライドのある教員は、質の低い院生に学位を与えることは出来ないと、留年を言い渡します。
なぜなら、教員と学生は質問者さんが言うような上司と部下の関係ではなく、学生の不出来は学生自身の責任だからです。特に文系は理系と違って「個人研究」の側面が強いので、教員が学生の研究に過度に口出しすることは、むしろ好ましくありません(文系でも分野によりますが)。
口述するように、教員と院生は「師匠と弟子」の関係です。弟子が外でやらかす不始末は「師匠の責任」ですが、打出やらかす不始末=研究の不出来は、弟子の不始末です。なかなか上達しない弟子に、一律に下積みの年限が来たからと、自動的に独立を許すわけにいかないのと同じです。

まあ、理系などで、共同研究している企業からの社会人院生は「お客さん」扱いで、そのへんはユルユルになることがあるとは聞きますが。文系でも、研究室と企業との関係が強ければ、「お客さん」扱いで学位を出すかもしれませんね。
定員割れでとにかく院生に来て欲しいというような、学問よりも経営、という気風・レベルの大学院でも、そういうことがあるかもしれませんね。

>教員は上司で学生は部下・社員です。

違います。質問者さんは、大学や大学院を誤解していると思います。
上司と部下の関係では、自由な学問はできません。自由な学問を保障するために、教員と学生は、企業における上司と部下の関係ではないのです。
強いて言うならば、昔ながらの徒弟制度における「師匠と弟子」の関係です。

>人の心理を理解できない・管理出来ない人は、指導者や責任者になるべきではないと思います。

あなたの質問文に書かれた、あなたが相談した教員の発言からは、私はそのようには思えませんでしたが、他にも何かあったのでしょうか。
教員の経歴(学者出身でない、教授着任歴が短い)だけから判断したのであれば、それは偏見というものでしょう。
一般的に、常識が無くて対人関係に疎いと言われる大学教員は「学者出身」が多いですし、教授になるにはそれなりの実績が必要です。少なくともその大学院の審査を受けて、大学院の指導をする能力がある教授だと認めたわけですから、批判するならば、その教授ではなく大学院でしょう。
あと、学者出身でない教員のほうが、質問者さんが良しとする、民間企業的な思考を持っていると思うのですがね。教授になって年数が浅い、ということは、若手で意欲のある教員とも言えます。
それでも、質問者さんは、ずっと学者畑でやってきて、長年教授をやってきたような―定年まであと少しという老教授に教えを請いたい、ということでしょうか。
ベテランが指導上手とは限りませんよ。結局は相性ですけどね。
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この回答へのお礼

後で判ったのですが、その教員は経営者や企業を指導したり助言する
資格を持っているそうです。
十数年くらいはとある仕事で働いていたみたいですが、会社勤めの経験は
無いみたいです。
なのに経営者や企業を指導しているってちょっと疑問に感じました。
現場で働いた経験が無いのに、何が判るんだ!!と思います。
言うは易し行うは難し・・・です。
私は口だけ番長と言っていますけど。
私は将来資格を取りたいのですが、資格を有効に活用するために
今の仕事に就きました。
これくらいしないとダメでしょ。
例えばいくら医師免許持っていても、医療現場で勤務経験が無いのに
私は医者だなんて言っても、誰も認めてくれないのと同じです。
意外と私の方が教員よりマーケティングの事を知っているかもしれませんね。
ペーパーライセンス(資格だけ持っている)の教員の下で学ばなくていいので
清々しました。
暫くの間は独学で勉強を続けます。

お礼日時:2018/10/23 23:48

>確かにごもっともなのですが、社会人入試でそこまでハイレベルを


>求めるものなのでしょうか?

指導教員は、親切にも、大学院受験だけでなく、大学院進学後~修士論文執筆までを見越した上で、アドバイスをくれたのです。
それで合否が決まると言うよりも、そのスキルがないと、合格しても、院の授業についていくのに苦労しますよ、という忠告だと思います。

>でも筆記試験はありません。
>面接と研究計画や志望動機などの書類を提出する程度で窓口が広くて
>受験資格や条件は左程厳しくありません。

社会人入試の場合、受験資格や条件を厳しくしてしまうと、社会人入試ならではの「社会で身につけたスキル」を評価する以前に、筆記試験で不合格点を取ってしまう人が出てくることがあります。それでは多様な学生を集めるため、という社会人入試の目的を達することが出来ません。
苦手な部分は社会経験や意欲でカバーしてもらう、という趣旨です。
これが学部からストレートの一般入試だった場合、いまの学生でその分野を専攻している学生でパソコンスキルが皆無ということはあり得ませんし、なければ身につけることを当然のように要求されますから、学生は言われなくても身につけます。そうでないと大学院進学後についていけないからです。

>長年働いていても仕事によってはワードやパワーポイントなど
>使わない人も居ます。

それで済む職場ならばよいですが、いまはそれで済まない職場や職種も増えています。
院進学する予定ならば、今はそのスキルが不要でも、院進学後には必要になりますよ、と教員はアドバイスしてくれたのです。受験前にそのスキルを身につけようとするか、院に合格した後で院の勉強と同時並行で独学すればいいや(院ではパソコンの基本操作やパワポでのプレゼン方法などは指導してくれません。いまは高校の情報の授業や、大学の初年次教育で身につける内容だからです)と思うかは、あなた次第です。
個人的には、院進学後に必要なスキルが何かを教えてもらったのならば、「そのスキルが必要だというのなら、入試に課しておくべきだ」と考えるのではなく、「合否に関係なくても必要になるスキルなら、いまのうちに少しでも身につけておこう」と考える方が建設的です。

ワードやパワポが使えないとついていけない大学院なら行きたくない、というのなら、それも良いでしょう。ただし、いま、それが許される大学院は、文系のどんな分野でも、存在しないと思いますが。

大学院は、勉強を教えてもらう場所でなく、自分で研究テーマを設定できる人が研究に取り組む場所です。修士ならば2年間(社会人の長期履修なら3年間)で修士論文を書き上げることが最終目標です。
院生のスキルは均一ではありません。あなたのおっしゃるように、社会人学生など、多様なバックグラウンドを持つ院生もします。ですが、最終的に修論を書くために求められる最低限のスキルは、院生各自のバックグラウンドは無関係に、共通しています。それは、レポートやプレゼン発表のための基本的なパソコンスキルであったり、研究テーマ設定のために必要な専門知識であったりするわけです。そのスタートラインに立てていない人は、自分で努力して身につけることが求められます。

例えば、大学入試では、パソコンスキル(高校の「情報」の科目)の科目はありません。ですが、入学してすぐに、レポートをパソコンで書き上げることを要求されます。パソコンの苦手な学生は、「入試でパソコンスキルを測るべきだ!」と主張するべきでしょうか?
パソコンスキルは大学の専門分野には直結しません。ただし、ツールとして必須になります。
学問の本質とは関係ない、あくまでもツールに過ぎないものの能力を合否判定に使う方が、学生の可能性を潰してしまうことになるとは思いませんか?

あなたがアドバイスされた内容で気になるのは、パソコンスキルの有無よりも、専門分野の知識不足です。
繰り返しますが、大学院は、知識ゼロの人に一から教える場所ではありません。その分野の学部卒レベルの専門課程の知識を身につけている前提で、研究する場所です。出願する人も、自分である程度自分の能力を判断してから出願するものです。受験資格で制限されていないからいいじゃないか、という世界ではないのです。
院試の科目に筆記がないじゃないか!と思うのでしょうが、学部卒レベルの知識があるかどうかは、面接や研究計画書で判断する(できる)のです。
幸いにも、あなたは事前の相談で、出願前に「もう少し勉強してからのほうが」とアドバイスしてもらえたのです。
学部レベルの知識が不足していると思うならば、いきなり大学院受験をするまえに、科目等履修生や研究生の制度を利用して、志望する大学院の、学部専門の授業をいくつか履修してみることをお薦めします。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
概ね回答に納得したのですが、どうしても理解出来ない事もあります。
言われている学部レベルがどの程度のなのか判りませんが、人によりけりでしょうけど
学部生のレベルなんて大したことないですよ。
内部学生だと教員と面識があり学校の雰囲気などを把握しているくらいで、有利なだけだと思います。
将来特定の仕事(教師や医者など)に就く事を希望している学生以外の学部生は場合はまず単位を取り
卒業する事だと思うのでハイレベルな知識などがるとは思えません。
仮に院へ進学希望している学部生であっても、ずばぬけて優秀だとは思えません。
担当教員との相性もありますし、学生自身もどこまで自己啓発できるかだと思います。
学部レベルの知識があったとしても、卒業せず院を退学する人も居るでしょう。

また私が希望している院には過去に色んな方が学び卒業したみたいです。
学歴で言うと恐らく学部卒ではない人、決して若くない中年の人、私の様に学んだ事の無い分野を
学んだ人など・・・です。
恐らく「何か」が評価されて合格したのだと思いますが、では回答者様が言われている
パソコンスキル・専門分野の知識を十分に満たしているのか?と問えば、決してそんなことは
ないと思います。

学生が全く講義に出席しなかったり、態度が悪いなどであれば学生に責任があると
思いますが、前向きにヤル気がありモチベーションを維持でき、周囲の人達と
協力できる人であれば、社会人入学であってもちゃんと2年で卒業できると思います。

質問の方にも書きましたが、教員の指導能力に大きく左右されると思います。
教員は進学した学生を限りは出来る限り2年で卒業させる義務があります。
もし退学や留年となれば、プライドの高い教員であれば自身のキャリアに傷がつき
大学からの評価も下がると思うでしょう。

舞台場所が学校なので登場人物は教員と学生ですが、一般の会社と似ていると思います。
教員は上司で学生は部下・社員です。
人を管理するのは凄く難しい事で、知識やスキルだけでは無理で性格が大きく影響しますし
職場(院だと研究室)の雰囲気も変わります。
人の心理を理解できない・管理出来ない人は、指導者や責任者になるべきではないと思います。

お礼日時:2018/10/23 13:44

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