10秒目をつむったら…

渡辺昇一が、「日本の国体は変化すれども断絶せず」といって、次の五つの国体の変化を挙げています。

用明天皇の仏教改宗 587年
源頼朝の鎌倉幕府創設  1192年
執権北条泰時のときの承久の変  1221年
明治の立憲君主制の発足  
敗戦による新憲法下の民主主義

国体というのが難しくて分かりません。この国体を解説して下さい。

A 回答 (6件)

「国体」ということばの本質を説明するなら#3が正しいです。



ただ、今回のご質問は「他の国の歴史と比較して」という点が重要なのだと思います。

この点において言えば「国体」という言葉は「建国の理念」とか「その民族の国家」という意味を含みます。

たとえばアメリカ合衆国は1776年にイギリスから分離独立した「市民の国」で、「王政を最初から拒否して民主制でスタート」という理念をもっていて、これが「国体」という意味の一つになります。

つまりアメリカが今後王政になったりするなら、それは「国体が変化した」ということになるわけです。

ほとんどの国の歴史を見ると「最初の国家」があります。最初の国家はほぼどこも君主制で、アメリカ合衆国なんかは例外的、君主制でスタートしたのは民族の中から強力な指導者が集まって、他の民族を押しのけて自分たちの土地を確保し、底に国家が生まれる、という行動が必要だからです。

しかし、長い歴史の中で最初の国家つまり「民族としての理念を具現化した国家」がつぶれることはよくあります。つぶれる理由は大別すると
①多民族との戦争で負ける
②君主の家系が変わる
③革命で統治の方法が変わる
です。

①はよくある話で、今のウクライナがロシアに負けてロシアの傀儡政権になれば、その時点で「ウクライナ人による民族国家ウクライナ」は滅亡し国体が「ロシア人による占領国家としてのウクライナ」に変化するわけです。

世界中のほとんどの国がこれを体験していて、最初の理念つまり最初の国体を維持している国はほとんどない、わけです。

②も国体の変化とされます。なぜなら「君主の家系が変わることは、理念そのものが変わること」と認識されるからです。
 中国ではこれを「易姓革命」とよび「天の意思が変化したので、今の天子(君主)を廃絶して新しい天子を選びその座に据えた」とされます。

つまり「王朝交代とは国家の方針の変化が必ずあり、以前の理念=国体も変わってしまう」ということなのです。

③についてはフランス革命やアメリカ独立戦争のような民主革命をいいます。

それを踏まえたうえで渡辺昇一氏の「日本の国体は変化すれども断絶せず」を見ると「日本は絶えず時代が要求する国家理念を取り入れつつ、その根本を変化させなかった」ということを意味していると私は考えます。

つまり
用明天皇の仏教改宗
それまで天皇は神道の原理で国家の正当性を維持していたが、それはそのままにするが、国家運営の方式を仏教式(正確には仏教を含めた中国式)に改めた

源頼朝の鎌倉幕府創設
天皇は自ら統治することを止め、当時勃興した新しい実力者に政治の運営権をゆだねたが、国家統治の根幹は渡さなかった

執権北条泰時のときの承久の変
天皇はもっとも初期の国体である「天皇の直接政治」を求めたが、うまく行かなかった

明治の立憲君主制の発足 
大政奉還により武家が天皇家に政治運営権を返還し、日本の国体の基本に戻った

帝国憲法の発布
天皇は新たに立憲君主という国体の変化を選び、民主的な手続きに政治の運営権をゆだねたが、国家統治の根本は渡さなかった

敗戦による新憲法下の民主主義
帝国憲法よりもさらに国家運営を民主的な手続きに移行したが、国家統治の根本は朝廷ができて以来、全く変化していない

ということになります。
日本の国体の根本は「天皇が日本国の君主であり、日本国は天皇の名によって統治されている」ということです。

だから現代でも内閣総理大臣などは天皇によって任命されますし、法律発布などは御璽が必要です。
 もし天皇が「それは絶対いやだ!」とご聖断を発するなら、任命はできないし法律も発布されません。

それをやるかどうかは別として、天皇の権威、本来的な政治権力は朝廷が成立してから現在までずっと同じに存在しているというのが日本の国体の基本であり、そこは全く変化していない、のです。

なので、右翼が主張する「国体護持」とはようするに「天皇陛下が君主で居る国を維持しろ」ということです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<最初の国家つまり「民族としての理念を具現化した国家」>がもっている理念の中身が、国体なのですね。
日本のその理念が、<「天皇が日本国の君主であり、日本国は天皇の名によって統治されている」>ということですね。(統治の程度はどうあろうとも)

お礼日時:2022/05/05 17:03

天皇統治を核とした、国の在り方


のことです。

天皇統治は時代と共に変化して
来ました。

かつては、天皇が権力の中心でしたが
やがて形骸化し
武士が権力を執るようになります。

そういう時代でも、将軍任命権は
天皇にありました。

しかし、黒船が襲来し、武士の社会が
滅び、国民国家になります。

国民国家になって、天皇の権力は
ほとんど無になりましたが、
首相や最高裁長官を
任命するのは天皇です。

このような変化がありましたが、
天皇が核として存在し続けた、という
日本国の在り方には変化が無かった。

そういう意味でしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
どの時代でも、最小限、形式とはいいつつも、天皇は任命権があったのですね。
<天皇が核として存在し続けた>ということですね。

お礼日時:2022/05/05 16:53

戦前は日本政府から戦後はGHQから発禁とされた「日本二千六百年史」


この禁断の書を読むと、「国体」が朧げに、見えて来ます。
-----------------------------------------------------------------------
それにしても、戦前に日本政府から発禁処分された、著作者の大川周明
がA級戦犯として、東京裁判に引き出されたのが、解らないです。
北一輝を事件の黒幕として、2・2・6事件を起こした将校と共に、処刑
した、日本国なら、さもありなんですが、GHQがなぜ??
言論の自由が保障されないのは、中華人民共和国だけでは、無いようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2022/05/05 18:00

もともと国体という語は国家の形態や体面を意味していたが、幕末の対外危機をきっかけに、水戸学が日本独自の国柄という意味で国体観念を打ち立てた。

水戸学の構想は日本全国に広まり、国体論が一つの思想として独立した。国体論は、明治維新の後の過渡期を経て、帝国憲法と教育勅語により定式化された。

昭和になると、国体論は日本国民の思想を規制するのに猛威をふるった。治安維持法で国体変革を罪と定め、その最高刑を緊急勅令で死刑に引き上げた。その背景には、日本の国体を否認するマルクス主義に対する恐怖と敵意があった。満州事変以降に日本が軍国化に向かうと、国体の観念は国民精神を動員するためのキーワードとなった。美濃部達吉の天皇機関説が生け贄となり、政府は国体明徴声明を出し、天皇機関説を神聖なる国体に反するものと見なし、これを厳に切って除くと声明した。

文部省は『国体の本義』を刊行し、臣民が天皇に絶対服従すべきこと等を説いた。国体論は日本の敗戦の際にも威力を示し、日本政府は国体の護持を唯一の条件として降伏した。戦後は民主主義に取って替わられ、国体という語は過去の言葉になった。

古代日本において、我が国は神国なり、という観念が存在したことは、建国に関して神話が遺されていることから分かる。また古代において祭政一致により国を治めていたことも神国思想より起る。そのほか日本書紀の神功皇后の三韓征伐の条で、攻め寄せる日本兵を見た新羅王が「われ聞く。東に神国ありと。日本と謂う。また聖王ありと。天皇と謂う。必ずその国の神兵ならん」と言ったとされるのも、形は新羅王に言わせているが実は新羅王の口を借りて日本国民の観念を述べているのである。また大化の改新にあたって何事も唐の制度を取り入れたが、ただ神祇官を八省の上に置いたのは神国思想に由来するものである。

神国思想は万世一系の思想につながる。たとえば、道鏡が皇位を望んだとき、和気清麻呂が宇佐八幡宮の神託を受けて帰り、「我が国は開闢以来、君臣定まり、臣をもって君と為すことは未だあらざるなり。天の日嗣は必ず皇嗣を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除すべし」と奏したというのが、この万世一系思想の現れである。また大化2年(646)に中大兄皇子が詔に奉答して「天に双日なく、国に二王なし。これ故に天の下に兼ね併せて万民を使うべきは、ただ天皇のみ」と言上したとされるのは、天皇の神聖に対する理解を表明したものといわれる。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
今の国体とは<水戸学が日本独自の国柄という意味>なのですね。
その中身は<臣民が天皇に絶対服従すべきこと>が織り込まれているのですね。
また、<万世一系思想><国体変革を罪>なのですね。

お礼日時:2022/05/04 18:08

天皇家、天皇制のことです。

    • good
    • 2
この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
日本に永くつながっている<天皇家、天皇制>のことなのですね。

お礼日時:2022/05/04 17:39

「日本国」そのものが続くことです。

日本は、建国以来、「2度目の建国」を経験していません。
逆に「国体の断絶」とは、日本にロシアが攻め込んできて、ロシアの政治下にあるひとつの地域になってしまうなど、「日本国」が存続しなくない状態を表現しているのだと思います。
また、韓国は1948年に初代大統領が就任して建国しています。この時点が韓国の「国体が変わった」と言えるタイミングだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<「日本国」そのものが続くこと>ですね。
他国に占領されて国が一新されることを断絶というのですね。、

お礼日時:2022/05/04 17:37

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報