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日本史についてです。理解・知識不足のところもあると思いますが質問させてください。

用明天皇が崩御してしまった後、
物部守屋が穴穂部皇子を、蘇我馬子が崇峻を天皇にしようとして、
先手を打って馬子が穴穂部皇子を暗殺し、守屋も倒した
らしくて、

プリントには「蘇我馬子が厩戸皇子らの協力を得て、物部守屋を倒す」と書いてありました。

そうすると、私が勘違いをしてないのなら、
厩戸皇子は自分の母親(穴穂部間人皇女)の弟である穴穂部皇子を暗殺した馬子に協力したことになると思うのですが、
なんか厩戸皇子なんで味方しちゃったの?とか
穴穂部皇子と厩戸王方針とか考え方違ってたから味方したのかなーとか思ったのですが、
そこのところどうなのでしょうか?

A 回答 (4件)

穴穂部は厩戸の伯父だが、当時は皇子同士が皇位継承を巡って殺し合うのは当たり前に多かった。

雄略天皇なんてかなりの皇子を殺しまくって天皇位に就いている。(それで皇統が途絶えて継体天皇を迎えるという羽目になった)

そして穴穂部は蘇我馬子と仲が悪かったのに対し、厩戸は馬子派の皇子だった。
穴穂部は馬子に対抗するために物部守屋に接近したわけだから、両者が戦えば厩戸は馬子の側について戦うのは当然の帰結になる。
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後継者争いで殺し合いなんて古代中世じゃ当たり前。


厩戸は蘇我馬子の太鼓持ち皇族ですから。現在伝わる聖徳太子のイメージは後世に造られたもの。
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蘇我馬子・厩戸皇子と物部守屋は宗教で対立してたからねぇ.

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そんなこと言ったら、穴穂部皇子と崇峻天皇は同母兄弟ですよ。

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