いちばん失敗した人決定戦

「いう」と「ゆう」

シニアです。「日本語の乱れがー」とか「国語教育がー」などと言いたいわけではありませんが、しばらく前からずっと気になっているので皆さんの意見をお聞かせください。単なる好奇心です。

最近、ここでも「そういう」と書くべきところを「そうゆう」と書く人がだんだん増えてきたように思います。

以前は小学生など子供が使っていたのですが、最近は高校、大学生、若い社会人などにも目立つようになってきました。

皆さんはどう思われますか?
皆さんの身の回りにも増えている感じはしますか?
日本語として定着するのでしょうか?

以前はいちいち間違いを指摘していましたが、そのうち「ああ、これはラインの影響なんだ」と気づきました。

つまり、ラインには「話し言葉と書き言葉の区別がない」のです。

私たち大人も、書くときは「そういう時は…」「そういう人は…」などと書きますが、言葉として喋るときは「そうゆう」と発音しています。

ラインの場合、そういう区別をすることはなくて「喋るように打つ」のが普通でしょうから、それで「そうゆう」が増えてきたのかな、と。

もちろんプライベートな会話ですから相手にニュアンスが伝わりさえすればそれでいいのです。私は物書きのはしくれですから、ギャグを書くときは昔から「そーゆー問題じゃない!」なんて書いたりします。

しかし、それに馴染みすぎると、ビジネス文書や公的文書を書くときに困らないのかなあ?と思います。

それとも、若い世代は「友達同士の会話と敬語」を使い分けるように、自然に使い分けを身に着けていくのでしょうか?

あるいはそのうち「そうゆう」も正規の日本語として定着するのでしょうか?

私は、日本語は(というより言語は)生き物だと思っています。
今どき「御座候」とか「ござる」なんて言わない。蝶々を「てふてふ」とも書かない。(これは逆になぜてふてふと書くようになったのかその経緯が知りたい)

これと同じように、時代が変わったのだからそれに合わせて言葉も変わって行って当然だと思うし、口うるさく矯正してもしきれるものではないだろうと思います。

しかし、その反面、「何もそこまで時代に迎合する必要はないじゃないか」「今のところ、正しい表現としてはこちらなんだよ。それを知らないで使うと目上の方には失礼だよ」といったことを、少々うるさく思われても教えていったほうがいいのか、ふと戸惑うのです。

これは「いいか悪いか」の話ではありません。皆さんのご意見を聞かせてください。

また、若い方も「私たちはこういう感覚で使っている、使い分けている」といったご意見を教えていただけると幸いです。

A 回答 (15件中11~15件)

今の若い人達は,書き言葉と話し言葉を区別できないようです。

僕も年金生活者なので,いろいろ嫌な表現には気になりますが,そのご質問文については,僕らよりも年上の人達がよく使う言葉に「嘘と坊主の頭はゆうたことがない」というのがありますよね。これは話し言葉ですから成立しますが,さすがにこういうシャレた言葉を書き言葉としてはもとより話し言葉としても表すことができる若者には会ったことがありません。
 老人は,老人なりの文化を維持すればいいだけではないかと思いますよ。どうせそのうち言葉は変わってしまいますから。今の若者に「そですりあうもたしょうのえん」も,「なさけはひとのためならず」も通じないわけですから,そういう文化も言葉も消え去ったと考えざるを得ないのではないでしょうか。文化が薄っぺらになってますよねぇ。挨拶はすべて「お疲れ様」です。なぜ「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「お世話さまでした」「さようなら」「ご機嫌よう」・・・が言えないんでしょうねぇ。というのが,昨今の老人の感想です。
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この回答へのお礼

私も間もなく先輩の世代の仲間入りですが、本当に言葉の文化というのは薄っぺらくなりましたねえ。

私は寅さん映画が好きなんですが、あの時代と比べても言葉の文化というのは廃れました。
何より言葉を大切にしなくなりました。

時代が変われば何かが勃り何かが廃れるのは当然ですが、「言葉」という文化の根幹が廃れていくのを見るのは、「それほどインターネットは偉いんかい!そんなにエエもんなんかい!」と恨み言を言いたくなります。

お礼日時:2022/05/14 19:50

ごめんなさい、回答ではありませんので最初にお断りしておきます。


私も昔の人間ですので、若い人たちの言葉には違和感を感じます。
業務中は気を付けていてある程度は使い分け出来ているようですが、
「この前のやつですね」とか「お名前頂戴してもいいですか?」、このサイトでもよく見かける「ババア」・・なんて口走ると心配になります。
ただ、それよりもっと心配なのはSNSへの依存傾向が強く、アレが会話だと信じていて、面と向かって声で話すことが出来なくなって来ていることです。
ここでよく見かける「出会いがない」という言葉も、出会いがないのではなく出会う方法が分からなくなっているのではないか・・と思われます。
 SNSのメッセージは一方的なつぶやきに過ぎません。他人に興味を持てないために、話すことが出来ない・・としたら、この先の世界はどうなっていくのでしょうね。
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言葉なんですから、発音が楽な方へ方へと変化します。


また、母音も沢山有ったのに、国が音訓表を定めて50音に統一したり、と、変化しました。

どの時代でも「今の若者は言葉が・・・」。
この連鎖です。

奈良・平安時代の人が今の日本語を聞いても、チンプイカンプンで全く理解出来ないでしょう。
今の日本語は当時の日本語とは別言語です。
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この回答へのお礼

はい、誠におっしゃる通りなんですが、私の質問文、読んでくださいました?
すべておっしゃることを踏まえての上での質問なんですが…。

お礼日時:2022/05/14 20:03

口語に近づいてきてると思うが、学校へ行くも


発音通り、学校え行くで良いことにすればよいと思う。

遠い道は、口語通りの、とおい道でよくて、とうい道は、
誤りだとか面倒なだけと思う。

お父さんは、おとうさんが正しく、おとおさんは間違い
とか一貫性が無く、むしろ日本語の欠陥と思うが。
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この回答へのお礼

確かに一貫性のなさはありますね。文語口語に関しては当時の学者たちがさんざん侃々諤々の議論をして決まった妥協の産物ですから仕方ない側面もあるんですが…。

学校え行く、の「え」「へ」については、すでに混同は進んでいますね。(私の世代だと、うわ、頭悪そう…と感じてしまいますが)

ただ、日本語の側面として、同音異義語が非常に多いという問題があるんですよ。発音通りに文字にしていくと、混乱を招くおそれもあります。まあそれがなかなか文書から漢字が減らせない(減らすと意味がわからなくなる)理由でもあるんですが。

お礼日時:2022/05/14 19:59

言葉は生き物とおっしゃっているように時代とともに変わっていくものだと思います。

正しい言葉を聞かれたら答えることでよろしいのではないでしょうか?

最近はいわゆる名作を読まなくなったと思います。50代の人間は我慢して夏休みの読書感想文に古い小説を読んで感想文を書きました。なので、表現については何と無く身に付いていると思いますが。。。この20年くらいは小説でも表現が話し言葉になって来ているので我慢して読む小説はほとんどありません。ビジネス文書は学校では学ばないので独自の発展をするかもしれません。

言葉はうるさく教えるものじゃないのかな?と思っています。いや。。。昔、うるさく教えられたからそう思うのかもしれません。50代の意見でした。
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この回答へのお礼

私も50代ですからおっしゃることはよくわかります。

snsは素晴らしい文明の利器である反面、それに頼りすぎる人の人間性の発達を阻害しているのは間違いないと思います。

これは時代がどうのジェネレーションギャップがどうのという問題ではなく、直接接する様々に違う世代・意見・立場の人とのコミュニケーション能力の育成を阻害し、自分を肯定する人とばかり安易につながり、嫌になればすぐにブロックするといった粗雑な行動に走ります。

近年やたらと「コミュ障」が増え、人との関わり合いが嫌い、あるいは苦手という人が増えました。これはあきらかにsnsの弊害です。

またユーチューブに代表される動画サイトも功罪があって、素晴らしい側面はあるものの、いつでも自分の好きなコンテンツだけが手に入るものだから、それ以外のコンテンツ(読書を含む)を排除してしまうのです。
また、安易にわかる口当たりのいいコンテンツばかりですから、「考えて本を読む、難解で深い映画を見る」といった頭を使う作業を避ける人が増えてきました。


これは当人の価値観や精神世界の広がりを阻害するものですね。

…とはいえ…。

私たちの世代もかつては「近頃の子供は漫画ばかり読む、テレビばかり見ている。もっと良書を読みなさい」と言って叱られたものでした。

時代は繰り返されるのかもしれませんね。
いや、そうであってほしいと願うばかりです。

お礼日時:2022/05/14 19:33

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