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これは、馬の鼻面にぶら下げた“人参”ではないだろうか?

請う、ご意見。

質問者からの補足コメント

  • この質問文も、舌足らずでしたね。
    反省してます。

    この世は苦しみだ。生とは苦しみだ。
    と、説いた釈尊。

    これを踏まえて見れば、
    苦、だけでは《生》は存続されないので、
    生物の鼻面に神は「人参」をぶら下げたのではないか、
    との疑問を、ここのカテにぶつけてみたのです。

      補足日時:2022/05/21 20:27
  • 皆さま、回答を有り難うございました。

      補足日時:2022/05/21 20:29

A 回答 (7件)

そんな抽象的なことを言われても答えられない、というのが普通かと思います。

具体的に何があったのですか?
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この回答へのお礼

生の喜びに苦が付きまとう事から、、、

お礼日時:2022/05/19 01:51

生きる喜び、てのはありますよね。



日向ぼっこしている時とか
恋愛している時とか
美味しいモノを食べている時とか
試験に合格
宝くじに・・・。



馬の鼻面にぶら下げた“人参”ではないだろうか?
  ↑
苦しいことが多い。
生きているのがイヤになるけど、
生きる喜びてのがあるから
生きていける。

こんな感じですか。
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この回答へのお礼

生命って素晴らしい、なんていう捉え方が一般です。
生命賛歌、ですね。

でも、ひねた見方をすれば、
生命って、生かされている。
生きざるを得ない“造り”になっているのではないでしょうか?

有機物体としてこの世に現れたら、それはもう生きなければならない“構造”になっているから、否が応でも生きている。

これが生物の宿命だと思えば、鼻面に人参をぶら下げられて“生きらされて”いる様な気分になったのです

お礼日時:2022/05/19 15:24

生命は生きること自体が嬉しいのです



生きていて嬉しい 人参食えて嬉しい 走れて嬉しい

交尾出来て嬉しい 子供が出来て嬉しい 生きてできることは何でも嬉しいのでしょう

だからこれ程迄に繁栄してきたのでしょう

嬉しくなかったら何もしないでしょうから。^^
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この回答へのお礼

そのように作られている、と思ってみてはどうでしょう。

生きている、と思っているけど、実際は、“生かされている”、のかも。

お礼日時:2022/05/19 22:44

人間のみが持てる特権を使う時、喜びとなります



人間だけが「希望」という未来への「光」を自ら生み、
わが人生を創造することができるのです
その「希望」に向かい、努力し、苦労するからこそ充実するのです

何の苦労も無い充実など、何処を探してもありません
まさにこの充実こそ喜びであり幸福なのです。

大いなる希望の持てる勇者は、どんな環境でも平静でいられる
障害をも、自分の味方にしてみせる
運命と戦うことすら喜びなのです。

希望なく生きているだけの人の喜びは、一瞬であり、
比べられないほど小さく、狭く、低く、浅く、軽いものであり
これこそ馬の鼻面にぶら下げた“人参”です
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この回答へのお礼

人間は、幸福感や充実感や満足感などを求めて行動しますが、それらが人参に見えてきませんか?

☆ 神の手に依って、人間は(生き物は)踊らされている。

お礼日時:2022/05/20 16:11

質問者が述べている「人参」が「報酬系ホルモン」ですね

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この回答へのお礼

その様に「造られて」いるのですね。

☆ これを造った神の手こそミラクル!

お礼日時:2022/05/20 16:19

馬ではなく、


人の場合は
辛い時もあるので
その時は
おろしたことになる。

つまりニンジンというよりは
大根に感じる。
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この回答へのお礼

でも、
大根だとこれ程までに、生きよう生きようとは、ならないのではないでしょうか?

☆ 生物は、神の巧妙な策に、やすやすと踊らされている事に気付かない。

☆ 生物を生かし続けるために、鼻面に人参をぶら下げるとは。
☆ 神は、よく考えたものだ。

お礼日時:2022/05/21 07:11

平たく言うと喜びがニンジンだといいたいのですか?



ただ、ニンジンほど甘くておいしい世界とは限らないのが
生命の世界ではないですか。

生命をもつ生物の種類にもよる気がする。


弱肉強食の世界では脱落者も多い。

喜びばかりでは満たされない気もする。

競馬で走らされる馬の鼻づらに
騎手がニンジンをぶら下げて
馬を走らせる姿を
漫画にした作品
大昔、どこかで見た気がする。

その馬は残念ながら
レースの負け馬に
なってしまったなあ。

ニンジンも食える形ではなかったしね。

目指して走っても
必ず食える保証はない。
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この回答へのお礼

釈尊は云いました。
この世は苦である、と。

当然、釈尊をこの世に生み出した神は、そのことを承知しているが故に、人参と云う“快”を与えて、生物に生きるための力とした。

と、このように捉えてみたのです。

お礼日時:2022/05/21 12:35

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