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ワイマール共和国はなんで弱体だったんでしょうか?

A 回答 (3件)

第一次世界大戦の敗戦国としてヴェルサイユ体制を


受容するという苦境を克服、国際社会への復帰を果たしたが、
世界恐慌でさらに苦境に立つ中で
反ヴェルサイユ体制を主張するヒトラーに指導された
ナチスが台頭、
1933年に成立したナチス政権によって憲法、
議会制度、言論の自由などが奪われ、崩壊した。




ワイマール共和国はなんで弱体だったんでしょうか?
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ヴァイマル憲法に賛成した社会民主党・ドイツ民主党・中央党の
三党がヴァイマル連合を形成し、国民議会で多数を占めた。

ところがこの中には君主制を回復しようとする勢力、
共産主義革命を目指す勢力が混在していた。

選挙ごとに政権の組合せが代わり、政府は
いずれも即興のもので短命だった。

ヴァイマル連合の中心になった社会民主党は
綱領上は共和主義であったが、
エーベルトに見られるように君主政的志向も強かった。

また、第二帝国以来の制度、軍隊・官僚・司法・教会・
大学・大農業と大工場は社会民主党への協力を拒否した。

またエーベルト大統領自身が議会から選出されたに過ぎず、
ヴァイマル憲法による選挙で国民から
選ばれた大統領でなかった。
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この回答へのお礼

詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2022/06/07 23:06

国民が民主主義についてほとんど理解できていなかったことと、ベルサイユ条約の縛りによりドイツ経済が脆弱であったこと。

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弱体だったのは財政が極めて劣悪だったからですが、その原因は第一次大戦にドイツが負け、多額の賠償責任を負わされた事です。


その結果、経済が破綻したのですが、どこの国でも言える事ですが財政が破綻した時の政権は「憎悪対象」になります。
で、時の政体「ヴァイマル共和政」に国民の怒りが集中し、支持基盤を失ってしまったのです。
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