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プノンペンは発達したとはいえ、まだまだ農村部は、地雷が埋まって、お世辞にも子供の教育を、受けさせるのが難しいカンボジア

さらに時代を遡って、1990年代前半は、お医者さん、学者、弁護士が、かなり虐殺されて、子供軍人が権力を持った時代は、どんな生活をしていたの?

なんというか、漠然とした質問で申し訳ないですが
ベトナムから、攻撃を受けて、戦争が終わった後の世界観を知りたいです。

国の機能を担っている、重要な大人がいない(正確には少なくてなった)世界はどんなんだろうと思い、質問をさせていただきました。

表現はカンボジアの方に失礼ですが、子供王国?で、生活は出来たのかな?

A 回答 (5件)

>集落襲撃ツアーですか!普通にその提案が出るのは恐ろしいですね、ポルポトの感覚



ポルポト派の方がまだ統制が利いてます。「観光客に手を出すな」と命令されれば絶対に手を出さない、「観光客を3人殺して来い」と命令されれば、確実に3人殺します。3人未満でもなく3人を越えることもないです。この辺の感覚は、ポルポト派幹部に知り合いがいないと分からないと思います。
私は、UNTACの中田さんを殺害したのは、庇うわけではありませんが、ポルポト派ではないと見ています。

>逆に言えば、観光地は、97年まで軍隊と一緒に行動が必要だったのですね、
>でも戦争が終わった後で、観光出来るまでの期間はそんなもんですかね。

アンコール・ワットとかタ・プロームは日が出ている時間ならば、もっと前から可能でした。バンテアイ・スレイはちょっと離れたところにあって、途中で襲撃されるとヤバいので。私が軍を雇って観光したときは言い値で200USD、兵隊4人、車両2台で私もRPG-7を担いでました。

>恐ろしい飛行機に搭乗されましたね・・・

間が悪かっただけです。

>クメール語話されるのですか、母音がとても多い・・・

現地で海賊版が溢れている、あの黄色い本で勉強しました。片言どころか片ですけど。

>腐敗していた部分はありますが、これからのカンボジアの発展は楽しみですね。

逆に今の中国一辺倒、フンセン強権発動しまくりの方が不安です。ラオスでさえ中国を警戒しつつ距離を測って接しているのに。あの国はずっと中国の翻弄されるのでしょう。まぁ、今の王様も金の亡者ですが。
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ベトナム戦争同様、ここでも暗躍しているのは支那ですわ。


内乱が起きれば、必ず支那が焚きつけてますわ。アフリカ
でも漏れなくそうですわ。
ホントですわ!!
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#2



>詳しい解説ありがとうございます。

丁度、その頃はカンボジアに嵌ってましたからね。UNTACによる総選挙前の大都市は、強盗とかのいわゆる治安の悪さはあったにせよ、不思議と安定していました。

UNTAC撤退直後が一番治安が悪化した気がします。軍隊で賄賂を渡して射撃練習でもしようとしたら、近隣の集落襲撃ツアーを提案されました。「ポルポト派ゲリラの襲撃があった」で済ます積りなんでしょう。無茶苦茶過ぎる。

それでも90年代中頃は毎年少しずつでも良くなっていった時代です。97年くらいにはバンテアイ・スレイも軍隊の護衛なく行けるようになりました。

フンセンがラナリットを追い落としたときは、首都のポチェトン空港でも小規模な銃撃戦がありました。私が搭乗していたオリエント・タイ航空機に積み込み中の貨物にも何発か小銃弾が当りました。

今でも外国人3倍払いの法律はあるのだろうか、それでもクメール語を少し話すようになると現地人と同じ値段で売ってくれましたけどね。

つらつらと昔のことを思い出しました。
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この回答へのお礼

集落襲撃ツアーですか!普通にその提案が出るのは恐ろしいですね、ポルポトの感覚

逆に言えば、観光地は、97年まで軍隊と一緒に行動が必要だったのですね、
でも戦争が終わった後で、観光出来るまでの期間はそんなもんですかね。


恐ろしい飛行機に搭乗されましたね・・・
クメール語話されるのですか、母音がとても多い・・・

腐敗していた部分はありますが、これからのカンボジアの発展は楽しみですね。

お礼日時:2022/06/17 00:05

>さらに時代を遡って、1990年代前半は、お医者さん、学者、弁護士が、かなり虐殺されて、子供軍人が権力を持った時代は、どんな生活をしていたの?



ベトナムが10年間駐留していましたから、カンボジア政府軍(ヘン・サムリン軍)は首都ではそれなりに機能していました。プノンペンにはフンシンペック軍もいましたが、ポルポト派を共通の敵としていましたから、小競り合いはあったにせよ敵対勢力そのものという図式ではなかったはずです。

地方にはポルポト派残党や、その威をかる地方軍閥(強盗団ともいう)が群雄割拠していました。地方でのポルポト派残党はそれなりの力を持っていたので、ポルポト寄りの州知事がいる地方ではポルポト派の攻撃も少なく見かけの治安は良かった気がします。シェムリアップ州知事はポルポトの義兄弟のような人で、アンコール観光客に危害を加えさせないことで収益を増やし、裏で上納金を渡していたようです。反面、バッタンバン州知事は政府寄りの人だったので、ポルポト派による騒乱が多い傾向にありました。

戦後はベビーラッシュ。女余りだったので未婚の母多し。一夫多妻状態もよく見ました。もちろん、プノンペンも含めインフラや学校などは満足に整備されていなかったので、小学校にしても午前組と午後組に分かれている始末。それでも学校に通わせるのは、割と意識が高い家庭で農作業とかゴミ拾いに刈り出される子供の方が多かった気がする。

実社会では賄賂が横行し、公務員は賄賂なしでは動かない。警察官と強盗は同義語、軍人と強盗も同義語という状況で、多分2000年より前はこんな感じ。
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この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございます。

参考になります。

軍隊が常駐して、争いは多少あるものの、逆に治安は守られた面もあるのですね。

ベビーラッシュで、子供がたくさん産まれて
政府の機能は不完全な状態が続いたのですね。

お礼日時:2022/06/16 23:15

手元に「ポル・ポトの悪夢」井上京介、藤下超著があります


今年出版された本です
この教えてgooで漠然とした質問をするよりも

ポルポトやカンボジアに関する本が沢山出ています
ぜひ何冊か読まれることをアドバイスします

アジアでは太平洋戦争がありベトナム戦争があり
カンボジアの大量虐殺も大なり小なり関連していたと思います
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
読んでみます!

お礼日時:2022/06/16 22:31

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