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安倍晋三氏の国葬で、岸田首相の弔辞は模範解答的な内容で感動する所がなく国民の評価も今ひとつなのに対して、菅前首相の弔辞は自身と安倍氏の私的な会話を述べたり、詩を引用するなど大変感動的な内容で国民の評価も大変高いものでした。この二人の弔辞格差は、なぜ起こったのですか?

A 回答 (6件)

立場と関係の違いだと思う。


後はシナリオライターと言うか 文を作った者の文才だろう。

確かに岸田氏は事務的に感じたし 菅氏は感動的だったが 何を言おうと死者は聞かない。
あれらは生きている者達に向けて発したのだ。
つまり 一種の役割分担であって 決してそれで 評価や判断を変えるべきものではない。

とはいえ自分も心の一部で 「ああ そうだったのだなあ」などとうるっとする部分があったりするが それはそれ これはこれだ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2022/10/02 17:59

友人としての言葉は感涙するもの

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お涙頂戴 で感動的な 話を盛り込んだのですよ。


これで国葬反対派が減ればいいと思ったんでしょうね。

菅前首相の弔辞はよくできてましたよ。
部屋の番号を具体的に入れるとこなんてすごい。これであの部屋は永久保存でしょうねえ。
「総理と呼ばせていただきます」なんて感動ものですよ。官房長官が長かったので実によくできたセリフです。
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立場の違いでしょう。

主催者と友人代表。

国民の半分以上が反対している国葬の主催者が、個人的な感情を吐露すると「国葬を私物化している」という批判が来ることを避けたのでしょう。
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幇間のお涙頂戴のお追従に感激してしまう安い情感の持ち主が一定数いるから、ですね。

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それぞれの現状の立場の差です。


岸田さんは国葬の主催者です。安倍さんとはいわばライバル関係でした。
菅さんは安倍さんの懐刀として8年(彼が首相の時期を含めたら9年以上)勤め上げました。ライバルではありません。
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