下記の文が桃太郎のあらすじとして不自然な理由を日本語学習者に解説してあげてください。
・なぜ「は」(または「が」)ではダメなのか?
という点について、懇切丁寧、且つ論理的に解説できる方、お願いします。
むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさん【 は 】いました。
ある日、おじいさん【 が 】山へ柴刈りに、おばあさん【 が 】川へ洗濯に行きました。
おばあさん【 は 】川で洗濯していると、どんぶらこっこどんぶらこと、川上から大きな桃【 は 】流れてきました。
おばあさん【 が 】その桃を家に持ち帰りました。
桃を食べようと割ったところ、桃の中から元気な男の子【 は 】飛び出しました。
No.13
- 回答日時:
予想どおりの展開なので、当方はコメントを控えます。
●●をmixiに垂れ流す燃料になるのも迷惑でしょうし。一連のやり取りに参加されていた日本語教師のかたの意見もお聞きしたいところですが、この展開ではむずかしいでしょうね。
===========引用開始
自分で述べることが出来ないのなら、今後大きな口をたたかないで黙っていてください。そうすれば、有意義な回答がほかの回答者から出てくると思いますから。
===========引用終了
同感です。もったいない。
No.12
- 回答日時:
1-a. >>
《「A はB だ」という構文において、主題 A は、聞いて何をさし示しているか分かる既知情報でなければならない。》
という規則が適用されている構文。
既知未知の問題ではありません。誰に対する、どのような既知を言われていますか?
助詞「は」と「が」に関する頓珍漢な回答
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9929 …
で提示したように、「は」で始まる文章も「が」で始まる文章もあり、そこで「物語の趣旨」が示されるのであり、「物語の趣旨に反するので間違い。」というのは因果が逆転しています。
既知と未知とは認識の問題であるが、認識は具体的なものから抽象的なものへ立体的な構造をもって成立するから、既知か未知かとあれかこれかの発想で形而上学的に割切るわけにはいかない。【抽象的でよければ何でも既知になる】。新しい素粒子もブラック・ホールも雪男も新聞雑誌で知ったから既知であるが、具体的にはどれも未知としかいいえない。//
この指摘が未だに理解できていませんね!
>>1-b.
おじいさんとおばあさん」がどんな態様の人間かということは既知だ
??
何故、読者が何を既知なのか???
全く意味不明。
既知未知は「は」「が」の選択とは無関係と事実を挙げ、再三指摘していますが?
>>事実は述語によって語られるから、
阿呆としか言いようがありません。
「が」の場合は「虚偽が述語によって語られる」のか????
何度も事実を提示し指摘しているように「は」「が」と述語は直接関係ありません。
助詞「は」と「が」に関する頓珍漢な回答
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9929 …
をキチンと理解しなさい。
>>《「A は B だ」という構文において、主題 A は、聞いて何をさし示しているか分かる既知情報でなければならない。》
という規則に従った。
呆け!!
そんな規則など成立せんことは、
助詞「は」と「が」に関する頓珍漢な回答
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9929 …
を読めば判ろう!
余りのデタラメさ加減に、頭に血が上るは!!!
要は、
既知と未知とは認識の問題であるが、認識は具体的なものから抽象的なものへ立体的な構造をもって成立するから、既知か未知かとあれかこれかの発想で形而上学的に割切るわけにはいかない。//
この意味が全く理解できておらんのじゃ!!!
この点は、
>>これは意味不明な論理ですな。
【具体的には既知】とはどういう意味ですか?
という質問に如実に表れておるは。先にも詳しく説明したが、簡単に言えば、
子供に「携帯」という名称、物は理解できてもそれがどいう構造か、どうして動作するかは全く不明な未知じゃろうが!!
既知と未知とは認識の問題なので立体的な構造のどの曲面を問題にするかで当然、既知か未知かは異なるということじゃ!!
君の単細胞のあれかこれかの発想による形而上学的二分発想では現実は正しく捉えられないということです。
「一事【が】万事」です。
よって、矛盾点や論理の脆弱性が際立っており、説明にはなっておらないのは明らかじゃ!
違いますか!
指摘すべ誤りは多々ある(根本的に誤っておる)が他の質問で展開しよう。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>「は」で始まる文章も「が」で始まる文章もあり、そこで「物語の趣旨」が示されるのであり、「物語の趣旨に反するので間違い。」というのは因果が逆転しています。
:
今は桃太郎の話ですよね?
《「おじいさんとおばあさん」がどんな人なのかわかっている状況》を示すのが自然なのか?
という問題。
どちらですか?
2.
>既知未知は「は」「が」の選択とは無関係と事実を挙げ、再三指摘していますが?
:
おかしなことをおっしゃいますね。
因みに、
山根君は元気ですか?
3.
>「が」の場合は「虚偽が述語によって語られる」のか????
:
本当に君は単細胞の「あれか」「これか」の発想しかできませんね~~~!
【その事実】は述語によって語られるから、「おじいさんとおばあさん」に着目する以上に「いました」という述語に重点を置く必要があった。
と言っておるのじゃが?
【事実というものは】とは言っておらんのだよ。
しかも例によって要旨をまったくはずしたコメントじゃな。
4.
>そんな規則など成立せん
:
《既知未知は「は」「が」の選択とは無関係》というお立場からするとそうなるでしょうな。
ところで、
例の件はどうなっていますか?
早く教えてくださいよ。
5.
>子供に「携帯」という名称、物は理解できてもそれがどいう構造か、どうして動作するかは全く不明な未知じゃろうが!!
:
それが、
【これは】お父さんが買ってきたものだ。
あすこに【これが】落ちていたよ。
という文とどのように関係するのですか???
因みに、#11へのお返事はまだですか?
No.11
- 回答日時:
>>1.
「 A は B だ」という一文は、それだけでひとつの命題、物語ですからな。
一文だから主題が存在しないということにはならない。
いいえ。
俳句のような一文文章もありますが、その場合は題がありますが、通常の一文は物語ではありません。アリストテレス論理学において命題は、主題の叙述するものを肯定または否定する、特定の種類の文です。
つまり通常文には、主題は存在しません。
2.
>>普遍性なら《他の事実との比較、対象という意識、認識はない》点で変わらないはず。
ここを説明できないと《差異》にはならない。
《他の事実との比較、対象という意識、認識》なしに普遍性の認識は生まれません。初歩的な誤解です。以前にも指摘の通り、それは個別性の認識に他なりません。
3.
>>【特殊性】とは、おじいさん、おばあさんのことですよね?
良く文脈を理解して下さい。「しかもこの二人の生活のありかたは共通ではなく、」と書いていますが!
つまり、【特殊性】とは、「この二人の生活のありかた」です。どこをどう読み理解しているのですか??
4.
>>おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。》は、《「おばあさん」に視点を向け、「おばあさん」の個別の行動を捉え》ていないということにはならんでしょう?
「個別の行動」だけでなく、「おじいさん」「その他人」を捉え比較・対照の意識、認識があるから「は」を使用しているということです。
5.
>>(おじいさんではなく、)おばあさん【 は 】~
という意味ですか?
まさかそれはあり得ない。
(おじいさん、他の人ではなくではなく、)おばあさん【 は 】~
という意味です。
「あり得ない。」というのは何を論拠にされていますか??
6.
>>普遍性だから《比較・対象すべき他の存在が認識、提示されて》いる必要はないのでは?
2.と同じで、普遍性の認識ということが全く理解できていませんね!
しかしわれわれは、個別的な事物ではなく、この普遍性をそなえている事物全体を問題にすることも必要になる。このときにも同じように普遍性が抽象され概念がつくり出されるが、その普遍性はもはや個別的な規定を超えた存在としてとらえられるのであり、類としての普遍性が対象とされているのである。「万年筆はますます普及している」というときの「万年筆」は、個別的な存在ではなくて全体を問題にしている。先の私の「万年筆」が個別的概念であるのに対して、この全体をとりあげた「万年筆」は普遍的概念あるいは一般的概念とよぶべきものである。これと同じことは、鉛筆やボールペンについても成立するのであって、「鉛筆」「ボールペン」などの概念にも、個別的な事物をとりあげた個別的概念もあれば、全体をとりあげた普遍的概念もあるわけである。//
桃の中から元気な男の子【 が 】飛び出しました。
の「元気な男の子」は個別的概念です。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>つまり通常文には、主題は存在しません。
:
見解の相違ですな。
2.
>《他の事実との比較、対象という意識、認識》なしに普遍性の認識は生まれません。
:
それはおかしいですね。
下記と矛盾していませんか?
《個別的な事物ではなく、この普遍性をそなえている事物全体を問題にすることも必要になる》
3.
>つまり、【特殊性】とは、「この二人の生活のありかた」です。
:
* ある日、おじいさん【 は 】山へ柴刈りに、おばあさん【 は 】川へ洗濯に行きました。
この場合は、「山へ柴刈り」「川へ洗濯に」という《【 は 】の後》が特殊性を表わしているということですね。
しかし、
《 * おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。
ここでは、「おじいさん」ではなく「おばあさん」という「おじいさん」との比較対象による「おばあさん」の特殊性が「は」で表されています。》
ともおっしゃっておられます。
こちらの場合は、「おばあさん」という《【 は 】の前》が特殊性を表わしているのですね。
これは矛盾していると思いますけどね。
4.
>「あり得ない。」というのは何を論拠にされていますか??
:
(おじいさん、他の人ではなくではなく、)おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。
という趣旨の文はあり得ないでしょう、という意味です。
(おじいさん、他の人は見向きもしませんでしたが、)おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。
というシチュエーションならあり得ますがね。
5.
>>普遍性だから《比較・対象すべき他の存在が認識、提示されて》いる必要はないのでは?(hakobulu)
2.と同じで、普遍性の認識ということが全く理解できていませんね!(アスナロウ)
:
《「万年筆はますます普及している」というときの「万年筆」は、個別的な存在ではなくて全体を問題にしている。先の私の「万年筆」が個別的概念であるのに対して、この全体をとりあげた「万年筆」は普遍的概念あるいは一般的概念とよぶべきものである。》
という原文の意味を読解できていますか?
普遍性の場合は《個別的な存在ではなくて全体を問題にしている》のですから、《比較・対象すべき他の存在が認識、提示されて》いる必要はないでしょう?
以下補足欄へ。
No.10
- 回答日時:
>>矛盾点や論理の脆弱性が際立っており、説明にはなっておらない、
つべこべ言う前に、君の説明は??
君たちの初歩的な矛盾点や論理の脆弱性については、
助詞「は」と「が」に関する頓珍漢な回答
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9929 …
で提示しておいたのでしかと自覚してくれい!!!
■
ご回答ありがとうございます。
>つべこべ言う前に、君の説明は??
:
論理としては以下のようになりますかな。
とりあえずは、ということで。
1-a.
× むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさん【 は 】いました。
主題提示なので《「おじいさんとおばあさん」がどんな人なのかわかっている状況》を示している。
しかし、これは物語の趣旨に反するので間違い。
《「A はB だ」という構文において、主題 A は、聞いて何をさし示しているか分かる既知情報でなければならない。》
という規則が適用されている構文。
1-b.
〇 むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさん【 が 】いました。
桃太郎の作者としては、物語を始めるにあたって、
《人の存在が不明な状況の中で、おじいさんとおばあさんが存在していたという事実を表す》必要があった。
そのため、事実は述語によって語られるから、「おじいさんとおばあさん」に着目する以上に「いました」という述語に重点を置く必要があった。
そして、「が」によって「おじいさんとおばあさん」を主格として指定することで「おじいさんとおばあさんが」という主格補語を形成し、「いました」という述語を連用修飾する構文にした。
「は」を使った主題提示ではなく「が」を使って主格指定したのは、「おじいさんとおばあさん」がどんな態様の人間かということは既知だが、「いました」という述語の主格が誰かということについては未知の情報だったからである。
《「A が B だ」という構文において、主格 A は聞き手にとって未知情報でなければならない。》
及び、
《「A は B だ」という構文において、主題 A は、聞いて何をさし示しているか分かる既知情報でなければならない。》
という規則に従った。
No.9
- 回答日時:
No.8 応答について
>むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさん【 は 】いました。
強い異和感があります。【が】にするべきでしょう。
説明は……そういうものだからです。それでダメなら、〈未知の「ガ」、既知の「ハ」〉でいいと思います。
全く主旨を取り違えたピン呆けのコメントですね。
「そういうものだからです。」こういう発想だから全く話が進みません。
だったらコメントなんかするな!!
というレベルです。
全く何が言いたいのか???
>>こういうこった。最初に出てくるときは「が」だけど、次に出てくるときは「は」。日本語ってそういうものなの。理由をちゃんと説明するのはものすごくむずかしい。
馬鹿いってんじゃないよ!
と言うレベルです。
「日本語ってそういうもの」じゃないという事実、反例を示しているのに理解できんのか??
既知と未知とは認識の問題であるが、認識は具体的なものから抽象的なものへ立体的な構造をもって成立するから、既知か未知かとあれかこれかの発想で形而上学的に割切るわけにはいかない。【抽象的でよければ何でも既知になる】。新しい素粒子もブラック・ホールも雪男も新聞雑誌で知ったから既知であるが、具体的にはどれも未知としかいいえない。長唄の『月の巻』に
鎌倉見たか江戸見たか、江戸【は】見たれど鎌倉名所【は】まだ見ない。
とあるように、話し手は自分にとって具体的に既知であろうと未知であろうと、聞き手にとって具体的に既知であろうと未知であろうと、そんなことに関係なく同じように、「は」を使うのである。また、【具体的には既知】であっても、概念として正しく把握できず、いわば【正体が不明だという意味での未知】もあって、経験の浅い子どもに多い。これでは<名詞>に表現できないから、<代名詞>を使って表現する。
【これは】お父さんが買ってきたものだ。
あすこに【これが】落ちていたよ。
話し手は「これ」に「は」や「が」を使っているが、「が」を使えば聞き手にも未知、「は」を使えば聞き手に既知になるのだろうか?はじめて物事を提示するときには「が」が使われるといいながら、はじめに「は」が使われるときにはこれは問答だと別の原理を持ちだすなら、スリカエである。
天【は】自らたすくる者を助く。
縁【は】異なもの味なもの。
玄宗【は】なきなき耳のあかをほり。
一文文章にも具体的な未知ではじまるものがある。「玄宗」について具体的に既知の読者など、数えるくらいしかいまい。また
この道【は】いつか来た道。
ああ、そうだよ
あかしやの花【が】咲いてる。
(北原白秋『この道』)
雨【は】ふるふる
城が島の磯に
利休鼠の
雨【が】ふる
(北原白秋『この道』)
おれ【は】五十人余りを相手に約一時間許り押問答をして居ると、ひょっくり狸【が】やって来た。
(夏目漱石『坊っちゃん』)
東京六大学野球リーグ戦第五週三日目の立大―早大三回戦【は】七日、神宮球場で行われ、早大【が】勝って二つ目の勝ち点をあげた。 (『朝日』一九七五年一〇月八日)
等々、大野の示した民話の例とは逆に、まず「は」が使われその叙述を受けて「が」が使われる例がいくらもある。新聞のスポーツ欄を見ればすぐわかることだが、野球ばかりでなくラグビーでもゴルフでもこの種の形式で書かれている。「十年目を迎えた日本アイスホッケーリーグ【は】二十六日、東京・品川スケートセンターで開幕。国土計画―古河、西部鉄道―十条製紙の二試合【が】行われた。」(『朝日』一九七五年一〇月二七日)と、二つの文を組合わせてもいる。
もしこれらの例を十分説得的に説明できないなら、チェイフ=大野の既知未知論は破産の宣告を受けよう。独身の男性に向かって
きみの嫁さんは私が見つけてあげるよ。
と友人がいうときに、聞き手にとって自分の「嫁さん」は既知で、「私」は未知だとは、どんな鉄面皮な学者でも主張できまい。 (『「「が」と「は」の使いわけ」』より;『試行』NO.45 1976.4.)
ということです。何度言っても理解できんのか????
■
ご回答ありがとうございます。
トビさんの反論を待つ間、当方の感想を申し述べます。
1.
>話し手は自分にとって具体的に既知であろうと未知であろうと、聞き手にとって具体的に既知であろうと未知であろうと、そんなことに関係なく同じように、「は」を使うのである。
:
《おばあさん【 は 】川で洗濯していると、どんぶらこっこどんぶらこと、川上から大きな桃【 は 】流れてきました。》
この日本語を認める、ということになりませんか?
2.
>【具体的には既知】であっても、概念として正しく把握できず、いわば【正体が不明だという意味での未知】もあって、経験の浅い子どもに多い。これでは<名詞>に表現できないから、<代名詞>を使って表現する。
【これは】お父さんが買ってきたものだ。
あすこに【これが】落ちていたよ。
:
これは意味不明な論理ですな。
【具体的には既知】とはどういう意味ですか?
3.
> 【これは】お父さんが買ってきたものだ。
あすこに【これが】落ちていたよ。
話し手は「これ」に「は」や「が」を使っているが、「が」を使えば聞き手にも未知、「は」を使えば聞き手に既知になるのだろうか?
:
なりますね。
・あすこに【これが】落ちていたよ。
「落ちていたもの」が何かは未知。(述部にとっての主格が未知)
・【これは】お父さんが買ってきたものだ。
眼の前に見えているのだから、子供にとっても既知。
4.
> きみの嫁さんは私が見つけてあげるよ。
と友人がいうときに、聞き手にとって自分の「嫁さん」は既知で、「私」は未知だとは、どんな鉄面皮な学者でも主張できまい。
:
既知未知の概念が違うのです。
《きみの嫁さんは私が見つけてあげるよ。》と言われた聞き手が、
え?「きみの嫁さん」って誰ですか?僕はそんな人知らないのですから、既知を表わす「は」を使って表現するのはおかしいでしょう。
などと言うわけがないですよね?(笑)
ですから「きみの嫁さん」は、《聞いて何をさし示しているか分かる既知情報》になるわけです。
また、「私」というのは《見つけてあげる》の主格としては未知だという意味。
このような解釈は論理的であると同時に学習者にも理解されやすいはず。
特殊・普遍・個別の論理のほうがわかりやすいとお考えになるのはご自由。
様々な見解を総合できれば一番よいのだが。
No.8
- 回答日時:
>三木章の「主格補語」という概念に触れたのがきっかけですね。
三上章ですね。それは「ハ」と「ガ」の話の原点ともいえる話では……。いまさら持ち出されても。
近年の論文・書籍などは、当然それを踏まえていると思いますが。
そこから
>主題 A は、聞いて何をさし示しているか分かる既知情報でなければならない。
になる論理は見たこともなく、ただただ戸惑っています。
さて、本題に関して少しだけ(ちなみに、これは」「あらすじ」なのでしょうか)。
このような説明が日本語学習者に通じるとはとうてい思えず、目的がイマイチわかりません。
先に書いたとおりで気が進みません。
===========引用開始
ここにコメントすると、的外れで迷惑な念仏コメントで絡んでくる人がいる気がして、コメントをためらっていました。今回もそういうことになるなら、これっきりのコメントになるかもしれません。不快なだけで無意味なコメントに付き合う気はないので。
そういうかたはブロックしてはいかがですか。
そうしないと、またモメゴトになって質問が削除……なんてことになりかねません。
===========引用終了
>むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさん【 は 】いました。
強い異和感があります。【が】にするべきでしょう。
説明は……そういうものだからです。それでダメなら、〈未知の「ガ」、既知の「ハ」〉でいいと思います。
ただ、下記のような文学作品もあるそうです。
【チャレンジ日記──「は」と「が」 毒抜き編 〈1〉〜〈9〉】の〈1〉
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-592.h …
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━引用開始
こういうこった。最初に出てくるときは「が」だけど、次に出てくるときは「は」。日本語ってそういうものなの。理由をちゃんと説明するのはものすごくむずかしい。
『日本語練習帳』の「ハとガを同じと思わないこと」の記述の中には、このことをうんと難解にしている(としか思えない)部分がある。なんでそんなことをしたのかは知らない。
このことをトピに書いたことがあるけど、「そうじゃないこともある」とか反論された。下記のトピ参照(「2」と「3」)。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27871409&comm_id=1 …
================================
むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさん( )おりました。
ある日、おばあさん( )川へせんたくに行きました。
この( )に何が入ると思いますか。これは坪田譲治の「うりひめこ」の冒頭なんですけど,二つとも「が」が入っているんです。
最初の( )は「が」しか入らないと思われますが,「あるところ」が「深い山奥」であれば,「は」を入れてもおかしくないでしょう。
新聞のニュースや小説の書き出しを見ますとね,修辞テクニックの問題なんでしょうけど,こういう一般に日本語教育で言われるセオリー通りではないものが結構あるんです。
出来上がった問題の正解は一つだけじゃないかもしれないという視点は必要だと思います。
================================
それはそういう使い方をする人もいるってこと。そういう特別な文学作品をもってきて語られてもなあ。句読点の話をしているときに、野坂昭如の小説をもってきて「例外もある」と語っても意味がないでしょう。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━引用終了
>ある日、おじいさん【 が 】山へ柴刈りに、おばあさん【 が 】川へ洗濯に行きました。
これは一般に【は】では。【が】が間違いと主張する気はありませんが。
説明は〈「既知」だからって言うより、「対比」〉だと思います。
【チャレンジ日記──「は」と「が」〈9〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12213829189.html
===========引用開始
2つ目の文を少しかえる。
2)(ある日のこと)おじいさん( )山へ柴刈りに、おばあさん( )川へ洗濯に行きました。
この場合は、どちらも「は」が素直。これは「既知」だからって言うより、「対比」だろう。
両方の人物が並列だから、どちらも「は」になる。
これがどちらかに重心をずらすと少しかわる。
3)おじいさん( )山へ柴刈りに行っている間、おばあさん( )川へ洗濯に行きました。
こうなると、1つ目が「が」で、2つ目は「は」が自然になる。理由は……よくわかりません。そういうものなの、ってことにしておく。3)で終わっていればこのとおりなんだが、下記になると、事情がかわる。
4)おじいさん( )山へ柴刈りに行っている間、おばあさん( )川へ洗濯に行くと、川上から大きな桃( )流れてきました。
こうなると、3つとも「が」が自然。理由はわからんって。
===========引用終了
3)は従属節内は「ガ」になりやすい?とかいうそうな。
そういって納得できる人がどれぐらいいますかね。
以下は長くなるので省略します。
ご回答ありがとうございます。
1.
>>主題 A は、聞いて何をさし示しているか分かる既知情報でなければならない。
になる論理は見たこともなく、
:
これはあくまで主観というより、論理的帰結と考えています。
現時点で、トビさんが、
・ところであれはどうなりましたか?
と尋ねられたら戸惑いますよね。
トビさんにとって「あれ」が既知情報ではないからでしょう。
2.
>ちなみに、これは」「あらすじ」なのでしょうか
:
あ、たしかに。(笑)
ご指摘ありがとうございます。
3.
>このような説明が日本語学習者に通じるとはとうてい思えず、
:
それもひとつの貴重なご見解と承っておきます。
できれば、《通じるとはとうてい思え》ない箇所を具体的に指摘していただけると参考になります。
4.
>それでダメなら、〈未知の「ガ」、既知の「ハ」〉でいいと思います。
:
それぞれの概念説明が一筋縄ではいきそうもなく、そこがお互い苦労するところですね。
5.
>最初に出てくるときは「が」だけど、次に出てくるときは「は」。
:
その是非は別にして、次に「が」が出てくる場合もあるわけですから、そのことについての説明が必要になるでしょうね。
>修辞テクニックの問題なんでしょうけど,
:
その点は同感です。
もうひとつの質問では《一種の倒置法であり小説の技巧》という判断を示させていただきました。
《冒頭、読者(聞き手)にとって既知ではないメロスを「メロスは激怒した。」と主題提示することで生じる違和感を用いて、読者を惹きつけるための小道具としている》ということです。
おっしゃるとおり《そういう使い方をする人もいるってこと》であり、例外という括りで問題ないかと。
6.
> この場合は、どちらも「は」が素直。これは「既知」だからって言うより、「対比」だろう。
:
同感。
対比の意図が作者にあった。
7.
> 3)おじいさん( )山へ柴刈りに行っている間、おばあさん( )川へ洗濯に行きました。
こうなると、1つ目が「が」で、2つ目は「は」が自然になる
:
これは、《おじいさん》について言ってる場面ではなく、《山へ柴刈りに行っている間》について言っている文であることが理由かと。
おばあさんが川へ洗濯に行ったのはどんな場面だったのか?
について語りたい趣旨だからです。
以下補足欄へ続く
No.7
- 回答日時:
質問も回答もないようなので、先の
「が」と「は」の使いわけ
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9627 …
に即し、説明しておきます。君の回答を楽しみにしております。
まず、主題は題名にもあるように「桃太郎(ももたろう)」とその活躍で、「おじいさん」と「お婆さん」は舞台回しに過ぎず、主役でも、主題でもありません。この文章はその導入部です。主題云々などと次元の異なる誤った理解を持ちだすと混乱しますので注意しましょう。
さて、最初に「むかしむかし」で作者は現在ではなく、遠い昔の世界の「あるところ」に観念的に移行します。そして、
* あるところにおじいさんとおばあさん【 が 】いました。
と、老夫婦の存在を他の事実と関係なしに、一つの個別的な対象としてとりあげています。他の事実との比較、対象という意識、認識はないので、眼前の対象をズバリ個別的な対象としてとりあげ「が」と表現しており「は」では意味が異なってしまいます。
* ある日、おじいさん【 が 】山へ柴刈りに、おばあさん【 が 】川へ洗濯に行きました。
と言うときには、単なる個別の老夫婦の存在の把握から、その生活のありかたへと把握がひろがっていきます。しかもこの二人の生活のありかたは共通ではなく、それぞれ「山へ柴刈り」「川へ洗濯に」という【特殊性】を持っています。生活全体の中でのそれぞれの特殊性を取り上げており、特殊性の認識を表す「は」が使用されます。「が」では単なる個別の対象を個々に提示することにしかならず意味が異なってしまいます。次に、
* おばあさん【 が 】川で洗濯していると、
と「おばあさん」に視点を向け、「おばあさん」の個別の行動を捉えるので、「おばあさん【 が 】」になり、さらに「川上から」ある個別の「大きな桃」の流れて来るのを見つけ、「川上から大きな桃【 が 】」と表現しています。「は」とするには、比較の対象認識が示されたり存在しなければなりません。
* おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。
ここでは、「おじいさん」ではなく「おばあさん」という「おじいさん」との比較対象による「おばあさん」の特殊性が「は」で表されています。
* 桃を食べようと割ったところ、桃の中から元気な男の子【 が 】飛び出しました。
持ち帰ったその桃の中から、「元気な男の子【 が 】飛び出しました」と眼前の一人の男の子をズバリ「が」で捉えています。「は」とするには比較・対象すべき他の存在が認識、提示されていなければなりません。
このように、ここでは個別性の認識を表す格助詞「が」と特殊性の認識を表す副助詞「は」が巧みに使い分けられ、伝承、想像、創作の世界が重層的、立体的にお話として構築、展開されています。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>「おじいさん」と「お婆さん」は舞台回しに過ぎず、主役でも、主題でもありません。
:
「 A は B だ」という一文は、それだけでひとつの命題、物語ですからな。
一文だから主題が存在しないということにはならない。
2.
>他の事実との比較、対象という意識、認識はないので、眼前の対象をズバリ個別的な対象としてとりあげ「が」と表現しており「は」では意味が異なってしまいます。
:
普遍性なら《他の事実との比較、対象という意識、認識はない》点で変わらないはず。
ここを説明できないと《差異》にはならない。
3.
>それぞれ「山へ柴刈り」「川へ洗濯に」という【特殊性】を持っています。
:
【特殊性】とは、おじいさん、おばあさんのことですよね?
4.
> * おばあさん【 が 】川で洗濯していると、
と「おばあさん」に視点を向け、「おばあさん」の個別の行動を捉えるので、「おばあさん【 が 】」になり、さらに「川上から」ある個別の「大きな桃」の流れて来るのを見つけ、「川上から大きな桃【 が 】」と表現しています。「は」とするには、比較の対象認識が示されたり存在しなければなりません。
:
《おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。》は、《「おばあさん」に視点を向け、「おばあさん」の個別の行動を捉え》ていないということにはならんでしょう?
5.
> * おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。
ここでは、「おじいさん」ではなく「おばあさん」という「おじいさん」との比較対象による「おばあさん」の特殊性が「は」で表されています。
:
(おじいさんではなく、)おばあさん【 は 】~
という意味ですか?
まさかそれはあり得ない。
6.
> * 桃を食べようと割ったところ、桃の中から元気な男の子【 が 】飛び出しました。
持ち帰ったその桃の中から、「元気な男の子【 が 】飛び出しました」と眼前の一人の男の子をズバリ「が」で捉えています。「は」とするには比較・対象すべき他の存在が認識、提示されていなければなりません。
:
普遍性だから《比較・対象すべき他の存在が認識、提示されて》いる必要はないのでは?
No.6
- 回答日時:
格助詞「から」と「に」の相違
https://mixi.jp/view_community.pl?id=2748
を提示しましたので、より《懇切丁寧、且つ論理的に解説》するための参考にして下さい。
健闘を祈ります!!!
■
No.5
- 回答日時:
>>だから、質問してるのはこちらだっつうの。
(笑)当方の回答は提示済みじゃ!
だから、どこが判らんかを聞いておるのじゃ!
まあ、君の説明と比較すれば優劣が明かになろうというものじゃ!
すべての誤謬は真実の理解を助ける。
(ディーツゲン『哲学の実果』)
ということじゃ。■
ご回答ありがとうございます。
>だから、どこが判らんかを聞いておるのじゃ!
:
冒頭に記しているはずですが知りたいのは、
《桃太郎のあらすじとして不自然な理由》ですね。
表現を変えると、
《なぜ、桃太郎のあらすじとして不自然になるのか?》
ということね。
No.3
- 回答日時:
>>質問者も同時進行でチャレンジ中です。
まあ、その意気込みだけは認めよう。
しかし、相手がある話しなので何処が不明なのか質問してもらいたいのじゃ!!
そうすれば、お互い理解が深まると思うが。
まずは、君の努力の結果を待とうか???
■
ご回答ありがとうございます。
>しかし、相手がある話しなので何処が不明なのか質問してもらいたいのじゃ!!
:
それよ!
君のような無頼漢が荒らしまわるから、怖れを為して寄ってこんのだろうて。
責任とりやがれ!(笑)
>まずは、君の努力の結果を待とうか???
:
だから、質問してるのはこちらだっつうの。(笑)
他人の言ったことにケチをつけることばかり考えとらんで、自ら創造的に述べるということができんのかね?
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質問者も同時進行でチャレンジ中です。
より《懇切丁寧、且つ論理的に解説》するための参考にさせていただきたいのです。
今回は、《自ら創造的に述べる》内容で、非常に良かったですぞ。(笑)
ただ、お示ししたように矛盾点や論理の脆弱性が際立っており、説明にはなっておらない、と言わざるを得ません。
ご検討の上、再チャレンジしていただければ有難い。
#8お礼欄からの続きです。
その前提で「山へ柴刈りに行っている」という述部の主格が必要になるわけですが、それを「が」を使って「おじいさん」と指定している構図。
「は」でなく「が」を使うのは、
《「が」は A を主格として指定し、同時に述語「 B だ」を連用修飾する語「A が」 を形成する。》
という本質的意義にもとづいているためです。
もうひとつの判断として、
「A が B 」という構文において、
《主格 A は、聞き手にとって未知情報でなければならない。》
という規則を思い起こす方法もあります。
「山へ柴刈りに行っている」は既知ですが、誰が行ったかは未知なので「おじいさんが」となる。
6.
>桃の中から元気な男の子【 が 】飛び出しました。
の「元気な男の子」は個別的概念です。
:
わかりますが、
・戦時中は兵士にするため男の子が重宝された。
などの場合は個別的概念じゃありませんよね?
「男の子というもの」という意味なので。
《その普遍性はもはや個別的な規定を超えた存在としてとらえられるのであり、類としての普遍性が対象とされているのである。》という記述にもとづけば普遍性と捉えざるを得ないかと。
この辺も納得のいく説明が必要とされるところでしょう。
米つきバッタみたいにいちいち反応している暇があったら、
#11であなたのおっしゃったことについて、いくつかわからない点がありますので、教えてもらえませんか?
《纏めたメモが行方不明》のまま見つかってないのでしょうか?
それで答えられないのですか?
あれこれ御託を並べている暇があるなら、
#20お礼欄に対するお答えをいただけませんか?
忘れておいでですか?
それとも逃げてる?(笑)
おやおや、#23についても応答しておられませんな?
お忘れですか?
どうなっておりますかな?