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高卒よ。
私は高校までの教育は知識を覚えるのがメインでつまらなかったです。
以前、ここで質問したら今の大学ではディベートはないって、言われました。

じゃ、大学は何を学べるんでしょうか?
まさか専攻してる学科の知識をひたすら覚えるだけですか?
考える教育や、真理の探究、研究とかしないのでしょうか?

教養も学ぶのは分かりますが、考える勉強も大事だと思うのですが?

A 回答 (5件)

確かに高校まではほぼ記憶する作業つまり学習をしていました。

その背景にある理屈や原理は,熱心な先生でなければ言及すらしませんからね。
 さて,大学も工学部のようなところでは,高校のようにクラスがあって時間割の8割が指定されています。個々の学科ごとに対象とする現象や問題が異なるからクラス分けされ,その学科を卒業する学生が最低どんなことを身に付けるべきかを設定した上で,教員たちが数年かけてカリキュラム(時間割のようなもの)を設計して,それに沿った教育をして学生はそれを勉強します。高校までの教育と大きく違うのは,大学の教員が研究をして得た成果や経験を通して講義をしていること。つまり大学は教育機関ですけど,教員はまず研究ができないと大学にはいられないわけ。毎年1編以上の論文を出版しながら,それを元にした教育をしているのが大学です。
 カリキュラムは講義の内容と順番を決めたものですが,この講義も高校までとは違います。一方的な情報提供しかしません。学生が理解できようとできまいと,そんなことは大学教員は一切気にしません。理解するのは学生の仕事。学生が学習ではなく勉強(とても辛い作業)を通して,教員の講義を自分の言葉に変換して脳みそに使える知識として格納する作業をしないといけない。だから,文科省は,座学1科目(90分講義)に対して,毎週学生は自宅で4時間くらいの学習を必須としています。だから,我々教員は,自宅学習4時間くらいの課題や宿題を出すわけだ。社会学なら,数冊の本を一週間で読んで,翌週にそれについての自分の考えをまとめた小論文を提出する。工学部なら,講義では扱ってない応用問題を出して,講義室で得た知識を使って実際の現場の課題に似たような問題の答を求めさせる,あるいはそのためのプログラミングをさせるといった具合です。
 ディベートねぇ・・・。ディベートの司会ができる先生は,どの大学にもほとんどいません。そういう教育や勉強をしてきていないから。そもそも,直木賞作家の山口瞳氏が随筆に書いているように,ディベートは単なる詭弁だと思っているインテリも多い。大学で学生にディベートさせるには,まずその基礎の情報をたくさん脳みそが持っている必要があります。知識もない学生がいくらディベートのような自発的発言での議論をしても何の成果も出ないし,意味も無いから。工学部なら,3年生の後期までの講義は,その専門分野の基礎科目です。それを踏まえた上でしかディベートは不可能。ディベートではなく,単なる質疑応答にも応える能力は身に付いていません。
 もちろん,例えば工学部機械工学科の学生は機械工学に特化した対象を使った数学的アプローチやモデル化とその解決法を学びます。土木工学科は土木構造等に特化して学びます。では,土木卒は造船企業には就職できないかというとそういうものではない。機械卒で治水の仕事だってできる。なぜかというと,大学ではアプロ―トやモデル化を学ぶから。対象は機械と土木構造のように全く違う(要求される性能も設計法も)けど,その根本にある理屈は同じなわけ。大学は,だから高校までのように,個々の情報を何の脈絡もなく単純に記憶するのではなく,個々の問題をどうしたら解決できるのかを学ぶから,対象がちょっとくらい違っても応用できるだけの能力を大学卒の人達は持っている(と期待されている)わけ。そこに高卒の人達との差異が出てきて,大卒者の強みはそこにしかないと言ってもいいくらい。
 工学部だと必ず卒論が4年生の仕事としてある。これは,配属された研究室で,その研究室にいる先生がいまやっている研究の一部を解決するための研究スタッフになって研究支援をする作業。それを通して2月までに論文を書くが,それを卒論と呼ぶわけ。研究型大学の工学部の先生たちは,卒論の結果を学会論文集に投稿したり,英文化した国際誌に投稿したりできるだけのレベルの問題にしています。4年生は,初めて,まだ誰も答を出していない問題を解く努力をさせられる。そのときに,講義室で習ったアプローチやモデル化を使うわけだ。ただ,そのテーマはその研究室のテーマのごく一部だから,4年生が研究者にはなれない。修士に進学して2年後に書く修論は必ず学会論文集に受理されるレベルを目指すが,だからといって修士修了者が研究者だとか専門家だとかに捉えられることはないのは,そのテーマが非常に限定的だから。でも,学部で習ったアプローチをどうやって現実の問題・課題にあてはめるかの経験をしているので,就職後に現場で解決法がまだ無い問題・課題の解決をする能力がついていると期待されているわけ。大学の教育というのはそういうものよ。
 教養科目。それは人としての幅を広げるために必須。就職後に,ある日突然,「すまんがアフリカの〇国でこのプロジェクトを2年担当してくれ」となったとき,公用語のフランス語についての基本的なことを知っているのと知らないのとでは,現地での扱いが全く違う可能性はある。コミュニケーションが(言葉が閊えるとかそういう低レベルのことではなく文化の理解という意味で)できない。メーカーなどの理系的な企業も,理系だから文系の勉強はまるでダメという学生は採用しない。どんな部署であっても,初めての人(自社だろうと他社だろうと)と共同で仕事をするとき,仕事の話以外で自由に意思疎通ができないと,信頼を得られないかもしれない。そういう仕事以外の話というのを,我々は教養と呼んでいるわけ。
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大学は、自分が学びたいことを学びに行くところです。


文部科学省の「学習指導要領」などは存在しません。

なお、高校までの学習も、かなりの部分「自分で考える」必要があると思いますが。それは学校から与えられるものではなく、自分がやるべきものです。
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大学には学部があり、学部によって学べることは違います。


ディベートだけが学問ではありません。
それどころか、専門知識もない人のディベートなんぞは単なる口喧嘩の如きもので学問とはいえません。
そもそも、さまざまな研究の成果が日々報道されますし、最近であればノーベル賞のニュースもあります。そういう研究ができるような人を養成するのは大学に重要な役目の一つであり、ディベートの大家の養成なんぞ目指してはいません。

>まさか専攻してる学科の知識をひたすら覚えるだけですか?
知識を蓄えるのは必要最低限の話です。それがゴールだと思っているならとんでもなく浅はかです。それはスタートです。

>考える教育や、真理の探究、研究とかしないのでしょうか?
余程レベルの低い大学でなければ研究は行います。レベルの低い大学でも教員は研究を行っています。

>教養も学ぶのは分かりますが、考える勉強も大事だと思うのですが?
あなたは、大学に対する認識を改めたほうが良いです。あなたに指摘されるまでもない当然のことです。
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中学は義務教育 高校はそれより少し専門的な事を学びに行くところ 技術に行く人も居るし農業高校に行く人も居ます


そこで学んだ知識をより専門的に深く学びたい人が大学で専門的に研究している教授の元で学ぶのが大学です。一年はばらばらの高校から来た人達の能力を一定にするための基礎学習2年はそれをもとに教師になりたい人は教育実習を受け教員免許を取ったり、専門に研究している教授の教室に行って手伝って知識を得ます
3年は その専門を研究した卒業生が就職した会社にコネを利用して面接してもらい沿いようを得ます先輩が保証人になり大学で学んだ研究を職業に生かすのです4年生は教授の元でこんな研究をしましたという卒業論文を書く時間。内容が優秀だと認められたら卒業できます
したがって大学はクラスもなければ時間割もない
自分で学ぶ教授が開いている教室に行って講義を受けるのです
そこで話を聞きましたという単位を取って卒業するところです
高校時代にカップ麺を食べ歩いた女性がラーメンメーカーに多く就職している大学に入り真空凍結乾燥を学んだりして カップ麺のメーカーに入ってあたらしいカップ麺の開発の仕事をしている
それが大学です
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座学は知識を手っ取り早く学べます。


実験は効率よく結果を出す方法を学べます。
研究は真理の追究をまともにやっていては
授業にでるのはおろかバイトも恋愛もできません。
4年で卒業しようとするといろんなテクニックが学べます。
4年でできることは殆どありません。
高校までと同様、自分で調べて、物事をやり遂げるための
手段なり方法が学べます。
自動車学校だって、卒業しても自信もないし、
危なっかしくてしょうがありません。
大学を出ても、それよりもっとひどい状態で、
卒業になります。
考える勉強は学校へ行くとか行かないとかでなく、
自分でするものです。
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