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「に」について
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13202233.html
の関連で質問させていただきます。

工事中の内容から一部を抜粋して以下に記しますので、ご面倒でなければご感想をお聞かせいただければ幸いです。
日本語学習者の方に少しでもわかりやすい説明を目指しておりますが、みなさんのご意見を参考にさせてください。
お気づきの点がございましたら、どんなことでも結構ですのでお知らせ頂ければ助かります。

5.「に」と「から」の違い
(起点という類似要素)

「から」について
構文:「 A から B 」
本質的意義: 起点を表わす。
 
[ 5-ア. 先生から本をもらった ]
先生は、本が(私へと)移動した起点である。
「本をもらった」ことについて、先生という起点から私へと本が向かう方向性が意識されている。

[ 5-イ. 先生に本をもらった ]
先生が、移動した本の起点であるのは「から」と同じだが、「に」が示しているのは「移動した本の起点」ではないという点が重要だ。
先生はあくまで「もらった」という動作の空間的静止点である。
ここで冒頭の、

《動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定し、連用修飾句を作るのに用いる。》

という学国語釈を再度確認する必要があるかもしれない。
「に」は【動作・作用の】静止点を指定するのである。
「もらった」という動作の行われている場所が先生であること 【だけ 】 を伝えたい構文。単に「先生という活動地点」を知らしめるだけで「に」の役目は終了している。
「もらった」という動作にとって先生は起点ではなく、その動作が発生した空間的静止点なのである。
「もらった」は静的動作として捉えられている。
若干、ややこしいと思われるので、

[ 5-ウ. 先生にチョコレートをあげた ]

という文について考えてみよう。
先生は、移動したチョコレートの着点のはずだ。
しかし、ここで着目しなければならないのは、「に」が示しているのは「チョコレートの着点」ではないという点だ。
先生はあくまで「あげた」という【動作の着点】すなわち空間的静止点なのである。
「あげた」の場合は着点(到達点)だが、「もらった」の場合に限っては起点であるなどという論理は筋が通らない、ということに気づかなくてはならない。

A 回答 (11件中11~11件)

>>本質的意義: 起点を表わす。



相変わらず、根本的な勘違いを披歴していますね!

<助詞>は客体である点などを表す語ではありません。
話者の主観の直接の表現です。

>>[ 5-ア. 先生から本をもらった ]
先生は、本が(私へと)移動した起点である。

いいえ。
「先生」を起点として認識し位置づけているということです。

>>[ 5-イ. 先生に本をもらった ]
先生が、移動した本の起点であるのは「から」と同じだが、「に」が示しているのは「移動した本の起点」ではないという点が重要だ。
先生はあくまで「もらった」という動作の空間的静止点である。

いいえ。
「から」の場合も、先生はあくまで動作の空間的静止点であるのは変わりません。対象自体の在り方と話者の捉え方は異なります。

>>「に」は【動作・作用の】静止点を指定するのである。

語は指定などしないと何度言ったら理解できるのですか!!

惚け茄子!!!

>>
[ 5-ウ. 先生にチョコレートをあげた ]

という文について考えてみよう。
先生は、移動したチョコレートの着点のはずだ。
しかし、ここで着目しなければならないのは、「に」が示しているのは「チョコレートの着点」ではないという点だ。

何を寝言をほざいているのですか??

「チョコレートの着点」ではない ⇔ 【動作の着点】すなわち空間的静止点なのである

阿呆か!!!!

ハチャメチャな屁理屈で日本語学習者の方に大いなる混乱を引き起こす愚は避けましょう!!

<助詞>が点を表すなどという妄言を抜け出る必要があります!!!

辞とは何かがわからんのか!!!
「[ 5-イ. 先生に本をもらった ]」の回答画像1
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