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1. 生が苦(ドゥッカ)だ・思うようにならない。とは どういうことか?

2. たとえば人間には《根本的な生存欲》があって・あるから これが無明≒煩悩≒渇愛となって どうしても目覚めることを妨げているといった見方(宮元啓一)があります。《苦》というのは そういう意味なのだと。

3. ところが もし道をゆづってそこまでを認めたとしても そのときには 目覚めが けっきょくゴータマの編み出した方法によるしか無いのだということを言っており そのことをわれわれが認めたことにほかならない。のではないか。どういうことか?


4. つまり ひとびとよ この世に生きるには 誰もに苦という病いが俟っている。それを治す薬は わたしが処方する目覚めの方式によるよりほかに無い。と言ったことになる。

5. つまり ふだん生が苦だと思わない人が 何かのきっかけで生は苦だと思ったとき ゴータマなる医師のもとに行ったら そのとおりだ 生は苦だ それを治すには そもそも全体として根本的に生という苦をみとめることから始めるのだ。と言われた。


6. これは ただのマッチポンプ商法にほかならないのではないか。蝦蟇の油売りである。まさに 天上天下唯我独尊なる論理のグローバリズムである。

7. どういうことか?


8. ゴータマ病院に入ったら ゴータマ医師の診断が絶対であり その処方箋のみが有効だと言われ それに従うよりほかに道はないということになっている。からである。そこを出るか それとも 患者になり実際には患者・兼・弟子と呼ばれる医師見習いになって一生を過ごすかである。

9. けれども その《唯一の目覚めの方法》は ついに明らかにならなかった。

10. 足場だけを組んで 家本体は築けなかった。幻想(大化城)は 人びとのあたまの中に築けているかも知れない。



11. 《生は苦だ》は その苦からの解脱についてゴータマの示す中身の無いさとりをただ一つの道とするほかに処方箋はない。――と読み取るしかないと考えますが ほかに解釈はありますか?

12. それとも 生が苦であるなどという命題は 捨てればいいのさとなりましょうか?

質問者からの補足コメント

  • 13. 《生が苦である》という命題をあかしする文章です。生苦からの解脱をうたっています。

    ▲ スッタニパータ:82 ~~~
    http://hosai02.la.coocan.jp/dammapada-01/suttani …

    バラモン・バーラドヴァーシャは、師(ブッダ)のもとで出家し、完全な戒律を受けた。・・・

     「生まれることは尽きた。
      清らかな行いはすでに完成した。
      なすべきことをなしおえた。
      もはや再びこのような生存を受けることはない。」

    とさとった。そうしてバーラドヴァーシャさんは聖者の一人となった。
    ~~~

    ☆ いったい何が言いたいんですかね。ブディズムというバスは 果たして どこ行きなんでしょうか?

      補足日時:2022/11/21 04:28
  • №26

    ★★ 
    決定打?
    正解が無い質問なのに決定打があるの?

    ☆ あるんぢゃ。あるというゴータマのタテマヘを無視しちゃいけないと言ったのだから:
    ★★ あなたの考えと合致するかし無いか・・
    ☆ などと いつまでダサいことをほざ〇のか? ほろ〇なさい。ゆるす。永遠の火のなかにゆ〇なさい。

      補足日時:2022/11/22 19:56

A 回答 (41件中11~20件)

あの世はない方が良いと個人的には思うが、分からない。



あの世がないと此の世が乱れるのは確か。

脳科学が進みすぎると、現世利益主義が蔓延し、此の世が乱れる・・・。
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この回答へのお礼

あの世 なんて わたしゃ 能天気で考えたことないです。

お礼日時:2022/11/23 07:35

此の世が乱れれば、益々、心は狂おしくなる。











殉教する者は来世、救われるものとする。

それも、あるし、

神道であれば、

天皇陛下のために命を賭け、落命することは、


武士道の誉であるとする。

英霊になるのである。


端から此の世に救いはない。

ならば、来世か。

此の世からは来世は映しがたい。

来世を求める心はごく自然な人間の感情だが、極楽がどういう世界なのか、私は知らない。


ならば、天国か。


そこは、厳粛な世界で、甘えを赦すことはない、世界である。

塵一つ落ちていない、世界。そこが天国ではあるが。

天国を此の世で見れば、

此の世の地獄も又、視ることになる。

ナチス(ヒトラー)が描いた世界、正しく、此の世の地獄絵図であったであろう。


平和への罪。

私の原罪でもある。

必要最低限度の天国。それは、日本が平和を恒久的に約束させる以外、何の天国があろうか。

第二次世界大戦の主人公
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41256883
「ゴータマ・ブッダが生は苦だと言ったのは 」の回答画像32
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この回答へのお礼

井戸端会議が なくなっちゃったからね。


直接民主制ではないし。


一般意志をかかげるったってねぇ。


万国のアース役よ 団結せよ。と言っても とどかないしねぇ。

お礼日時:2022/11/23 05:16

苦諦



苦諦(くたい、梵: duḥkha satya, ドゥッカ・サティヤ、巴: dukkha sacca, ドゥッカ・サッチャ)とは、迷いの生存が苦であるという真理。 苦しみの真理。 人生が苦であるということは、仏陀の人生観の根本であると同時に、これこそ人間の生存自身のもつ必然的姿とされる。
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この回答へのお礼

あぁ。生苦とは:

A▲ 迷いの生存が苦である
B▲ 人生が苦である
C▲ 人間の生存自身のもつ必然的姿

☆ B は ほかの三つの老・病・死の苦をふくみますね。

C は どうも A の《迷いの》を前提としているようです。迷いゆえの《必然性》のことを言うらしい。

だったら:
▲ 迷い〔の生存〕
☆ とは何か? これを明らかにせずばなるまい となります。


それは
▲ 五陰盛苦
☆ を説いた見解にかかわっているのでしょうか。

五蘊――ひとの自然本性たる身と心――について 世界はそれのみだと規定しさとるべきだと説く。

もしそうしないなら その五蘊なるヒトの仮りの姿を何か神性をあらわすアートマンだと見なして苦に囚われることになると。

五蘊は 自然本性として捉えるなら 少なくとも価値から言って中立だとみなせばよいのではないですかね。

わざわざ苦あるいは悪の巣であるといった見方に傾くのは どうですかね。

自分の――さとりの――処方箋を売り出すには 世界はみな苦だと言ったほうが コスパがよいかも。ペテン師のペテン師たるゆえん。

お礼日時:2022/11/23 05:05

自分を含めて、自分以外の森羅万象を心が投影するから、此の世は苦の集大成である。

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この回答へのお礼

ん? 《心が投影する》のは 《自分以外の森羅万象を》 ですか?

その結果――つまり《自分以外の森羅万象》が 心に投影されて その投影されたものを《此の世》として――:
★ 此の世は苦の集大成である。
☆ と帰結されるのですか?

初めの句:
★ 自分を含めて、
☆ は どう捉えるべきか。

???

お礼日時:2022/11/23 04:49

訂正・付記。



苦聖諦ーその苦の定義に不足がありました。

「望んで得られない」ことも苦とされています。
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ゴータマ・ブッダが生は苦だと言ったのは どういう意味ですか?



→ゴータマ・ブッダの立場だから、【生は苦】だといえるのだと思います。

最高の世界・最高の状態、全ての苦しみを乗り越え滅尽した世界・状態、それを体得した者にとっては、それ以下の世界、状態の生は苦でしかないのだと思います。

ちなみに、12縁起の法(検索してね)のプロセスでは「苦ありて生あり」と出てくる内容もあり、【生】の次に【苦】が続きますから、そのことかもしれません。

また、四聖諦【4つの聖なる真理】(検索してね)の中の苦聖諦【苦しみの聖なる真理】では、苦の定義として【生、病、老、死、愛する者との別れ、敵意の人達との付き合い、私達を構成する五つの集積】が苦しみだと出てきます。

それらの記述に出てくる【生】は【生きる・人生】の意味ではなく、【出生・誕生】の意味です。

少しでも参考になるなら幸いです。

ゴータマ・ブッダの最高の神通力・智恵、最高の経験、苦しみの滅尽を得たこと、それによって語れる言葉や行為を素晴らしいと思います✨

興味深くみんなに利益のある質問に感謝します❤️
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 興味深くみんなに利益のある質問に感謝します❤️
☆ かさねてありがとうございます。ただし 質問者の見解は 真逆ですので その点 おそれいります。

★ →ゴータマ・ブッダの立場だから、【生は苦】だといえるのだと思います。
☆ ちょうどですが 直前(№27)のやり取りで わたしの応答をつづりました。参照いただければさいわいです。


★ 最高の世界・最高の状態、全ての苦しみを乗り越え滅尽した世界・状態、それを体得した者にとっては、それ以下の世界、状態の生は苦でしかないのだと思います。
☆ ううーん。補足コメントの[13]をご覧ください。

聖者の一人となったバーラドヴァーシャさんは 《もはや再びこのような――苦である――生存を受けることはない》のだそうです。

それは――つまり 輪廻転生をまぬかれたなら それはそれでいいんですが―― 考えてみれば 《苦からの解脱》がさとりだったんでは? つまり さとりを得たなら 娑婆世界の苦などは ものともせず 衆生済度につとめる・・・のではないのですか?


★ ちなみに、12縁起の法のプロセスでは「苦ありて生あり」と出てくる内容もあり、【生】の次に【苦】が続きますから、そのことかもしれません。
☆ たしかに十二因縁には 順観と逆観とがありますね。逆観が 《解脱のあと 衆生済度にあたる》ことですね。


★ また、四聖諦【4つの聖なる真理】の中の苦聖諦【苦しみの聖なる真理】・・・に出てくる【生】は【生きる・人生】の意味ではなく、【出生・誕生】の意味です。
☆ じつは №23&24で そういった《赤子のオギャーオギャーと泣くことが 苦だ》という捉え方が寄せられています。

どうでしょうか。いくぶんそういった見方ができなくもない感じがありますが どうでしょうかね。


★ ゴータマ・ブッダの最高の神通力・智恵、最高の経験、苦しみの滅尽を得たこと、それによって語れる言葉や行為を素晴らしいと思います✨
☆ 諸法無我(無‐アートマン(霊我))を言って 当時勢力を張っていたブラフマニズムに抵抗しました。

それは 例のひどい身分制度ですね それに真っ向から対抗した。

そのヒューマニズムには感心しますが。

お礼日時:2022/11/23 04:43

ごおんじょうく【五陰盛苦】



人間のからだや心を形成する五つの要素から生じる苦痛や苦悩のこと。

注記仏教のことば。「五陰」は「五蘊ごうん」と同じで、色しき(物体)・受じゅ(感覚)・想そう(表象)・行ぎょう(意志)・識しき(認識)のこと。迷いの世界として存在するすべては苦であるということ。仏教でいう、八苦(八種の苦しみ)の一つ。「五陰」を「ごいん」、「盛苦」を「せいく」と読み誤らない。
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この回答へのお礼

▲ 色受想行識:ヒトとしては 身(色・受)と心(想・行(意志)・識)

  感性の原野:色(感覚器官としての身体)・受(感覚作用)
  思考の緑野:想(知覚・表象:悟性)・識(認識:理性)・行(意志)

☆ すなわち 身と心とから成る自然本性のこと。経験的相対的で有限なるヒトの存在。



ここに ブラフマニズムのように 宇宙の主宰神たるブラフマンに呼応する人間の神性たるアートマン(霊我)を プラスアルファとして加えると それは 非思考の庭(信仰の動態)となる。

ゴータマ・ブッダは アン‐アートマン(無‐霊我)と言った。つまり 無神論である。(アン‐は アン‐インストールのアン)。




☆ となると 五蘊は 空(シューニャター)と成る。

色即是空。つまり 受即是空 想即是空・・・と五蘊のすべてについて言う。

もっとも般若心経では そのあとただちに 空即是色 空即是想・・・というふうにも命題がつづく。

つまりそれは: 五蘊(人間)は 仮りの像(空)であり 空に過ぎないが その空は そのまま色や想や受やなどの現象としては 現実であると。



☆ ゴータマ・ブッダは さとった(!?):

▲ (ヰキぺ:五蘊) ~~~
釈迦は「私」の観察によって、変化し続ける五蘊以外には発見できないこと、

すなわち無我の発見に至っている。

世間の人々は五蘊を自己とみなすために、限りない苦に囚われ続けるのである。

 Saṅkhittena pañcupādānakkhandhā dukkhā.
 略説するに五蘊取蘊は苦なり。
          —初転法輪

~~~~~~~~~

☆ 五蘊プラスアルファとしてのアートマンを含んだ人間を 五蘊(身と心)のみとして見なすなら 苦がもたらされると言う。

ゴータマさんが そう捉えた(=無‐アートマン)のだから ヒトであることは 苦だと帰結した。


世界最大のペテン師である。

ゴータマ・マジックは 二千有余年有力であった。

ゴータマ・イカレポンチが まだ残っている。

お礼日時:2022/11/23 04:23

無視してくれと言ってる人を、


無視出来ないその理由は何ですか?
あなたも分からないから質問してるんでしょ?
何で、自分の考えを押し付けるのよ。笑

バカじゃね?
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決定打?


正解が無い質問なのに決定打があるの?

ああ、あなたの考えと合致するかし無いか・・
だから初めから言ってますよね。
「僕の回答は無視して下さい」と・・
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この回答へのお礼

それは 違う。

ゴータマ・シッダールタが梵天勧請を受けて転法輪に就いたからには その《この上なくとうとい智慧のさとり》について説明し切るんだという方針を持ったのです。

涅槃に入る前には 次のように言ったらしい。

▲ (ゴータマのタテマヘ) ~~~
わが修行僧である我が弟子どもが 
賢明にしてよく身をととのえ 
ことがらを確かに知っていて 
学識があり 法をたもち 
法に従って行ない 
正しい実践をなし 
適切な行ないをなし 
みづから知ったことおよび師から教えられたことをたもって 
解脱し 説明し 知らしめ 確立し 開明し 分析し 闡明し 

異論が起こったときには 道理によってそれをよく説き伏せて 
教えを反駁し得ないものとして説くようにならないならば 

その間は わたしはニルワーナに入りはしないであろう。
(中村元訳『ブッダ最後の旅――大パリニッバーナ経――』1980 p.69 )
~~~~~



★ 「僕の回答は無視して下さい」
☆ だと? ええかげんなことを言うな。すみやかにほろ〇なさい。わたしがゆるす。

お礼日時:2022/11/22 19:39

生まれ堕ちた時、本人は泣き、周りは笑ってる


死んだ時は本人が笑って、周りは泣いている。
そうでなきゃ、計算が合わないよね。笑
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この回答へのお礼

この・もう一件回答があると思って 前回は 《微妙ですね》で終わっていましたが。

同じようなお応えになるのですが。

生老病死の四苦。

死苦は いまおっしゃるように 《周りは泣いていて》悲しく 苦ですね。

生苦は? なんとも言えないような感じなんですが。・・・



☆ ざんねんながら 決定打としてはよわいような・・・。

お礼日時:2022/11/22 18:51

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