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徳川時代に訪日した朝鮮通信使の金仁謙さんの訪日レポート『日東壮遊歌』を読むと岐阜県大垣市の大垣城で宿泊した記述が出てきます。
大垣市は金生山があって江戸時代から左官用の石灰や大理石の産出作業が盛んだったそうですが、
日東壮遊歌では大垣市で宿泊した記述のみで、金生山に関しては記述がありませんでした。
朝鮮通信使は金生山見学はしなかったのでしょうか?他にも記録ありますかね?

A 回答 (1件)

往:1/29京都→大津


  1/30大津→近江八幡→彦根
  2/1 彦根→醒井→今須→大垣
  2/2 大垣
  2/3 大垣→墨俣→名古屋
復:3/30名古屋→墨俣→大垣
  4/1 大垣→今須→彦根
  4/2 彦根→近江八幡→守山
  4/3 守山→大津→京都
日程も距離も考えても、金生山の見学はないでしょう。
関心事の対象からも、金生山の見学意図は生じないでしょう。
通信使の一行の行路はあらかじめ役人が命じて用意万端整え、川に橋を通信し一行のために渡し、家屋脇には雑草もないように、家屋で見苦しいものは整備させという体制ですから、役人も金生山などは考えてないでしょう。
https://gifurekisi.web.fc2.com/rekisi/no6.htm
往路で大垣に2月2日に逗留したのは木曽川の橋が大雨で流されたためで、その日も一行をたづね来る来客の応対で忙殺されるほどの大変さです。 ぼやっと近隣を見学出来るようなことは、こういう不測の事態での逗留の場合でもないです。 舟の橋にはとても興味をもったようですね。
名古屋に着いてから、「徐福の祠がこの地にあるというが、いけないのは残念」と書くくらいに、行動範囲は限定的です。 
朝鮮から来る方々が、日本の地理や地方の様子、名所などをあらかじめ知る手段も方法もないでしょう。金生山も、石も、そもそも知らないし、詩の中に出てくるようなものでなければ、興味もないでしょう。
往路では、望湖亭に往くことになっていたようですが、雨で登れず、今須に直行しています。 あらかじめ決められたコースの中で、ちょっとトイレタイムとか、体調不調で休息とか、この景色や眺めが良いとか、臨時のことは出来ていたようですが、コースから1里以上も離れたところに往くことは出来ないでしょう。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrd …
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