1. 大和言葉では 《まことと思う》といった意味合いでしょうか。
2. その対象をいま別にしうるなら 《無条件で無根拠にてわが心に受け容れること》と定義します。
3. 問題は これが 《思考停止》ではないということです。《条件は無い 根拠も無い》と思考しているのです。
4. それにふさわしい信じるの対象とは 何か?
5. 《非知》です。《知り得るか知り得ないか それが知り得ないナゾ incomprehensible incomprehensibility 》を言います。
6. 《知り得ないと証明された未知としての不可知》とは 別です。《未知・不可知》は 諸々の条件を認識し思考する対象ですから。
7. 《オシへ あるいは アイドルたる教祖》も 信じる対象ではありません。オシへの示す意味内容だとかその人物という形ある存在は 有条件ですから 信じるではなく考える(つまり 批判してただしく知る)対象です。
8. 《神》という言葉か? これは《非知》本体をしめすシルシですから その言葉を信じるわけには行かない。
9. ブラフマンとかブッダとかあるいはキリストといった神の名を 信じるのだろうか? やはりシルシを無条件に受け容れても仕方がない。
10. では ひとは何を信じるのか?
No.29
- 回答日時:
'94年で新卒の慶大森研究室の研究生が就職が決まっていなかった。
一度、入社を果たした企業であれば、三年は最低在籍していないと、次の企業は先ずない。それがバブル経済崩壊後の就職率の実情で、リーマンショックへと更に就職氷河期へと、就職率の低迷は更に煽られる。繰り返すようが、機械を製造する大企業、コマツは、闇商売として、神仏の子を作り上げ、自分の社の利益として還元していたのだ。
その顕著な例が私だ。
それは私の出生月日、また、2000年にミレニアムに至る、生年月日と祖母と母と私の出生月日を研究しつくしたコマツは、端から、私を基督化させ、みずからの社は暴利を貪ろうとする、算段が整っていたのですよ。
No.28
- 回答日時:
気の毒だと思うが。
軍隊だって。軍隊経験がまるでない学卒は将校の地位から始まるのが軍隊の規律だよね。
まして、山田氏という軍曹が私という将校を教育させようとする試み其の物が悲劇的かを故意にコマツは演じたのか、それとも、ミステイクにせよ。
何の賠償もしない、コマツの社としての姿勢って、異常だとは思えませんかね?
私は企業人生を全て、棒に振ったのですよね。
不可抗力だったのでしょうか。違うと思いますよ。
コマツの詐術で、確信的ですよ。
狙いは私のキリスト化で、十字架刑のその後の天変地異を確信的に狙った。
その最も顕著になったのが、東日本大震災で、コマツは前年比の4倍強の経常利益を上げて、社の倒産リスクから完全に立ち直ったのです。
恐らく93年次のコマツ社長は作為的で、新人らを社の人身御供にしたのです。
はっきり言って。永瀬氏は東大工卒。豊田氏は東大法卒で、私は慶大工卒。
使い捨てライターですね。
コマツにはハーバード大卒、マサセッチュー工科大卒、ケンブリッジ大卒も多々いるのです。
幾ら、東大が国内でナンバーワンの大学といってもですね。世界相手では、第二十位前後の大学のランキングですよ。
その頭脳集団からすれば、東大なんて、価値のない、使い捨てライター並みの扱いをされるのは、コマツの社風そのものが如実に語っているし、その代表格が山田荘一氏ですよ。
No.27
- 回答日時:
山田氏の性格を創ったのはコマツの現場でしょうね。
私から言わせれば、智に角が立てば、暴言・暴行で相手を叩き潰すタイプ。
敵・味方の使い分けがはっきりしている、単細胞タイプだね。
山田氏は私(部下)がまるで何を考えているのか読めないことが氏の過度のストレスに繋がった可能性が高い。
それはある意味、目に見えたことで、敢えて、氏の部下となるよう、社命が降ったのは、コマツの悪意があったと私が推測しても邪推ではないとおもえますよ。
コマツの同期入社を果たした、高橋氏ですら、鬱病が末路ですからね。
パワハラ・セクハラは企業の文化としての位置づけで、自分が何を働いているのか、全く、自問自答する姿勢すら見受けられない。
そのような集団組織が現場の現実であることを小山工場の総務課が把握していない筈がないのだよ。
端から、首にするため、社として、新人の数合わせとして採用されたに過ぎない、地方に飛ばされた哀れな新人。
釜鳥君だと思った。高専卒で、同期入社で、私より入社番号が一つ早く、粟津工場に配属が決まったらしいけれど。
ものの、数か月で、コマツを逃げ出したと聞いたよ。
時(’93)入社の内定にかんして、
ご子息・ご令嬢の「人権」を必ず、お守り申し上げます。
が本社の人事部長の内定に関する、両親への社内文書の実情です。
要するに何をやっても、約束事は反故にする企業。大言壮語はお得意だが。中身はこういう企業。これがコマツの正体だよ。
【お笑い】 小松製作所 社内政治の実情
先ず、人間として、進化していない社員だらけ。
確か。
オスのゴリラは体重が200キログラムくらいあるそうだが。メスのゴリラは90キログラムくらいだそうだ。
話をして分かる相手ではなく、手や足が先行するのが現場の人間で、幾ら、知能程度がそれでもないと過信しても、ゴリラの雄の腕力で殴られれば、重傷は負うと思う。
No.26
- 回答日時:
山田氏とは長い付き合いではない。
凡そ三か月。コマツの忠犬だね。
だから、氏の人間観察はコマツの社風を如実に語っているのだと思うけれどね。
知が働くより、暴言や手足が出るタイプ。
典型的なコマツ人だよ。勿論、コマツのたたき上げ組としてね。
No.23
- 回答日時:
私の聴いている聲の主が私の脳内の話ではなく、外界から聞こえているのであれば、天使の聲だとしか。
私に主導権があるのではなく、天使に主導権があり、私は従属しているだけです。
その従属を認めるのであれば、私はイエス・キリストですね。
ガブリエルがイエスの天使で。
その上にミカエルがいる筈ですよ。
《あなたは これこれの人物だ》というような伝えが天使からもたらされたなら だからどうするといった事柄がともなわれているものと わたしは 思います。
そうでないとすると わたしも 分かりません。理解力がおよびません。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
似たような質問が見つかりました
- 哲学 《信じる》とは何か?――人びとは 哲学する気がないらしい 2 2022/10/14 19:34
- 哲学 普遍神について理解が おそらく 得られたと思うけれど そうは誰も言わない。なぜか? 5 2022/09/24 04:19
- 哲学 神論のエセンスは これだ 198 2022/10/25 04:36
- 哲学 神論のエセンスは これだ 5 2022/07/19 04:39
- 哲学 《普遍神》が なぜ理解が得られないか? 12 2023/03/08 08:50
- 哲学 カルト宗教の批判は 成り立ちませんか? 129 2022/10/26 05:12
- 哲学 神とは――世界が世界と和解するために―― 4 2022/08/12 13:40
- 哲学 カルトに憤りを込めて:一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教への絶対批判 4 2022/09/06 14:38
- 哲学 一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教への絶対批判 7 2023/03/13 04:59
- 哲学 一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教への絶対批判 1 2023/04/18 13:41
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
『悪魔の詩』について。言論の...
-
言葉が通じない人は境界知能だ...
-
人は、「騙す」より「騙される...
-
幸せになってほしいとは
-
「~ではない」と「~でない」...
-
天上天下唯我独尊というのは、...
-
残り物に福があるとは本当ですか?
-
愛情を、越えた愛とは?
-
貴方の好きな言葉は(座右の銘...
-
「事実」と「真実」の違いは何...
-
定義が難しいとは?
-
情緒の変化
-
「知らねーよ」 という言葉
-
ご理解のとおりです=その通りで...
-
① 人生をやり直すことができる...
-
性における恥じらいや征服感に...
-
無口にも2種類あると思われる。...
-
何故人間は100貰った賞賛の言葉...
-
デブな方を見ると不快に思って...
-
女性は別れ際に男性に握手する...
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
「~ではない」と「~でない」...
-
幸せになってほしいとは
-
「知らねーよ」 という言葉
-
ご理解のとおりです=その通りで...
-
天上天下唯我独尊というのは、...
-
残り物に福があるとは本当ですか?
-
もしも言葉がなかったら
-
言葉が通じない人は境界知能だ...
-
定義が難しいとは?
-
愛情を、越えた愛とは?
-
同情と「思いやり」の違い
-
人は、「騙す」より「騙される...
-
わかりきったウソを吐かなくて...
-
漬かるのであればブータン的に...
-
尊敬しますは差別用語ですか?
-
哲学
-
闇を覗くものはまた、闇からも...
-
信ずることにより物事は「自明...
-
「人間の能力が平等なら、こん...
-
「地獄への道は・・・」という言葉
おすすめ情報
11. 赤子の母親に対する態度などは どう捉えますか?
わたしは 聖なる甘えと呼んだことがありますが ともかくまったくの無防備で頼るしかないですね。
ただし まだ意志行為としては振る舞っていません。
そのような《聖なる甘え》といった心的態度は 《信じる》と 対照させると どうなりますか?