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安政の大獄の背景の認識が不安です。

ペリー来航がきっかけとなり
西洋の文化を取り入れようとする幕府(井伊直弼)と
西洋反対派の外様大名が対立し、
幕府に反発した人たちを処罰したこと。

この認識で正しいですか?

A 回答 (4件)

違います。


幕府の政策である「御政道」を批判することは大罪で、基本的に死罪です。
しかし、開国について幕府は致命的なミスを犯しました。それまで御政道は将軍と幕閣だけが決めていたのですが、有力大名から意見聴取をしてしまったのです。
当然、それぞれ私見を述べたのですが、これがパンドラの箱を開けてしまい、御政道に意見する風潮を生み出してしまい、草莽の学者たちまでも好き勝手な事を言い出したのです。
その混乱を治めるために大老に就任した井伊直弼は、それまでの幕法に従って、御政道を批判した「不定の輩」を捕縛して厳罰に処したのです。
これが安政の大獄。
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> 幕府が朝廷の許可なく通商条約を結んだ


こんなトンチキなこと本気で信じてるのいるの?
「鎖国」する時に幕府は朝廷の許可を得た?
江戸幕府は、鎌倉幕府以来の「将軍家の家政機関」という建前を押し通し続けて、幕政に関わるのは将軍家直臣の譜代大名、旗本だけで、親類大名、従っているだけの外様大名は完全に幕政から締め出されてきたのです。
幕政批判=将軍批判として徹底的に取り締まって弾圧するのが江戸幕府の基本方針であり、掟を破って御政道を批判した狂人徳川斉昭が隠居蟄居で済んだのは大甘の判断。江戸時代前半だったら、水戸家は取り潰しでしたよ。
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将軍跡継ぎ問題で対立があったのですが


井伊直弼が大老に就任すると、一橋派を押し切り、
慶福を将軍のあと継ぎに定めました。

その一方で。
幕府はアメリカとの通商条約の交渉の際、
天皇の許可を得ないまま、
井伊は独断的に日米修好通商条約に調印しました。

幕府が朝廷の許可なく通商条約を結んだことから、
天皇を中心に国をまとめようとする
「尊王(そんのう)論」や
外国の勢力を排除しようとする「攘夷(じょうい)論」
が高まっていきました。

また、条約調印やあと継ぎ問題での井伊直弼の強硬な姿勢に対し、
一橋派をはじめ諸藩士や公家の中から、
幕府を非難する動きが高まりました。

井伊直弼は、こうした動きをおさえるために、
反対派の公家や大名らを処罰しました。

これが安政の大獄です。
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有り体に申せば、政権参加を強く求める志位や枝野の存在を


憂慮した二階俊博が自民党の勢力安定を維持・強固なものと
する為に党内右派を扇動、自衛隊の特殊部隊を使って共産党
と立憲民主党の主要患部を大量虐殺したと言う事件ですわ。
同様の事は、つい先日、北朝鮮でも行われましたわ。
ホントですわ!!
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