dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

「(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)人は他人をほとんど(あまり)見ていない」 と
「(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)人は他人がほとんど(あまり)見えていない」
はどちらが正しく、どちらが自然でしょうか?
また、それぞれどういう意味になるでしょうか?

※ヘンテコな回答をする方は回答しないでください。

A 回答 (1件)

> (人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)


A「人は他人をほとんど(あまり)見ていない」
B「人は他人がほとんど(あまり)見えていない」

正しいか否かはわかりません。 
Aの方が、理解しやすいです。

Bの場合、{他人がほとんど(あまり)見えていない}ことは、当人が何かを表現するか、当人の行動から推定することになるでしょう。電車や街中で見かける10人、20人の各人の発言や行動をチェックするのは容易ではないです。 

Aの場合は、{他人をほとんど(あまり)見ていない}ことは、電車や街中で見かける10人、20人の目線の向きを見るだけで、おおよその推定が可能です。

電車の中でスマホをいじっている人が多いのをみて、一次的に見てとれるのは、「他人をほとんど(あまり)見ていないヒトが圧倒的に多い」ということです。 これを二次的に、「他人をほとんど(あまり)見ていないのだから、他人が見えていないはずで、見えていないヒトが圧倒的に多い」と繋げることも可能ではあると思いますが、少し行き過ぎの感じがします。

「見えている」は、「見ている」よりも、(気にしている・意識している・内容などを把握している)という"気持や意識"の感じが強い使用法が多いように感じます。 「他人が見えてない」などという場合は、視覚・映像的なことではなく、気持や配慮に関する用法が多いとすると、「特定の誰か」or「ある状況にある特定の属性のヒト達」を主題にした文ということになるケースが多いと考えられます。 《最近の人は》のように対象を絞った表現であれば、(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で){周囲や他人への配慮をほとんどしない}⇒「他人がほとんど(あまり)見えていない」と表現することもギリギリあるかと思いますが、理解しにくいことだと、私は感じます。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!