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こんにちは。
私は趣味で小説を書いているのですが、ふと気になったので質問させてください。

帝と東宮を除く皇子・皇女はどこで暮らしているのでしょうか?
中務卿宮など役職を与えられている方は自分の邸で暮らしていると思うのですが、それ以外の方はどこで暮らしているのでしょうか?

漠然とした質問ですが、よろしくお願いします。
また宮中についての詳しいサイトがありましたら教えてください。

A 回答 (3件)

例えば


醍醐天皇皇女勤子・雅子両内親王は実母源周子の邸宅西宮に兄弟の源高明とともにすみ、夫の藤原師輔をむかえています。
一方同じ醍醐天皇皇女で皇后穏子の娘であった康子内親王は母后とともに梨壺にすみ、両親崩御後も弟の村上天皇の時代にもそのまますみ続け師輔を迎えています。
 
穏子は村上天皇の実母としてかなりの勢力を持っており、その穏子の唯一の娘として内裏内に住み続けていたと思います。また、穏子崩御後も一品宮・准三宮として後宮の主としていたので例外なのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
あまり例がないにせよ、皇女がいわゆる後宮で暮らすということはありえるのですね。
とても参考になりました。
また具体的に人名を挙げていただいたおかげで文献を調べるのに役に立ちました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/04/16 21:28

親王、内親王の待遇についてはさまざまなのですが、例えば皇女などは斎院・斎宮などに任命されることが多いので、賀茂や伊勢に赴いて潔斎し神に仕えることとなります。

また法親王はその名のとおり出家した親王であるので、寺院で過ごすこととなります。

資料を見ていると、やはり多くは母の里第で生活することが多いようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
斎宮や法親王は私も文献で読んだことがあります。
親王(内親王)宣下を受けただけの方はやはり母親の実家で暮らすみたいですね。
もっとも、そのような方は珍しいようですが…。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/04/17 17:18

年齢にもよるのでは?成人前は宮中、母親の元で養育される。


成人後は臣籍に下されるか(源氏とか)あるいは宮家として一家を構えるか。ただしこの場合もそのまま何代か経つとやはり源氏とか平氏とかになったりします。当然ながら成人後に宮中で暮らすのは天皇本人と東宮、それにその家族ぐらいではないでしょうか。あとは邸を与えられるんだと思います。源氏物語あたりからの憶測で史料を確かめてませんので自身は全くありませんが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
皇子(男宮)が元服前に後見人のもとで暮らす、または宮中の母親のもとで暮らすというのは聞いたことがあります。
ただ皇女(女宮)についての記述があまりなく…私の探し方が悪いだけなのでしょうが、裳着後はどこで暮らしているのかが分からなくて…。
先帝の皇女とかだと母親と一緒に内裏の外の邸で暮らしていると思うのですが、今上帝の皇女の場合はどうなるのでしょうか?
物語などを読んでいても登場するのは先帝の皇女だったり、今上帝の皇女であっても裳着と同時に降嫁だったりというストーリーが多いので、降嫁しない場合の皇女の暮らす場所というのが分からないんです。
お礼なのにお礼らしくなくて申し訳ありませんが、もしよければ回答を寄せていただければと思います。

お礼日時:2005/04/16 18:08

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Q平安時代の東宮について

平安時代の東宮(になる)の定義みたいなのはあるのでしょうか?

普通源氏物語等では天皇(主上)の子供(男皇子)がなってますよね。子供がいない場合や子供が女皇女しかいない場合はどうしたのでしょうか?
いない場合天皇の弟や妹でもなれたのでしょうか?

素人なのでできるだけわかりやすく説明してくだされば嬉しいです。
参考文献・サイト等も是非是非教えていただきたいのでよろしくお願いします。

Aベストアンサー

中学生の頃から「源氏物語」が好きで、そのものの勉強では飽き足らず、結果、背景となる平安時代・摂関政治を短大(歴史関係学科)で専門にしていた者です。

> 平安時代の東宮(になる)の定義みたいなのはあるのでしょうか?

ご質問文から推察して、ご質問者様がおっしゃっている「平安時代」というのは、平安時代の中でも、ちょうど私が専門とした「摂関時代」、「外戚政治が行われた時代」のことを言っていらっしゃると考えましたので、そちらからご回答を差し上げます。

それならば、特に「定義」はないと思います。
強いてあげるとすれば「母親が藤原氏の娘であること」になるでしょうか。そうでなければ、外祖父の立場ゆえの摂政・関白就任ができなくなりますから。

> 天皇(主上)に子供(男皇子)がいない場合、天皇の弟や妹でもなれたのでしょうか?

という点については、天皇(主上)に子供(男皇子)がいても、天皇の弟やそれ以外の血縁者が立太子(立坊)し、東宮になっている例も多いです。
ただ、この時代には女帝がいませんし、女東宮(にょとうぐう)が立太子(立坊)した形跡もありませんので、その必要に迫られたとき、それが可能だったかどうかは分かりません。

実例ですが、一条天皇(皇后は藤原道隆の娘・定子、中宮は藤原道長の娘・彰子)には、皇后にも中宮にも皇子がいますが、いずれも「"一条天皇の東宮”にはなっていません」。
一条天皇の東宮は、父方・母方のいずれからみても従兄弟にあたる居貞(おきさだ)親王で、この方が一条天皇の次に皇位に就く三条天皇です。
一条天皇の皇子(生母は中宮彰子)が皇位に就くのは三条天皇の次(後一条天皇)です。
ですから、三条天皇の東宮も、三条天皇の子供(男皇子)ではありません。


>普通源氏物語等では天皇(主上)の子供(男皇子)がなってますよね。

どのように源氏物語を読まれたのか不明ですが、源氏物語では、「普通」なっていません。

今上帝の東宮は、確かにその子供(男皇子。母親は光源氏の娘・明石中宮)ですが…。
歴代を追っていきますと、先帝(紫の上の父親である式部卿宮や藤壺中宮の父親)と桐壺帝は親子ではありませんし(兄弟と推察されているが)、桐壺帝の東宮も当初は弟(六条御息所の夫)でした。
のちの朱雀帝が桐壺帝の東宮に立ったのは、この前東宮(前坊)が亡くなってからのことです。
その朱雀帝の東宮は、桐壺帝の第十皇子(のちの冷泉帝)ですから、これも子供(男皇子)ではなく弟です。
さらに冷泉帝の東宮(のちの今上帝)は、朱雀帝の皇子ですから冷泉帝にとっては従弟です。

平安時代に限定されているものばかりではありませんが、下記サイトも参考になる点があるかと思います。

http://watercrown.vis.ne.jp/japan/kouzoku/

http://www8.plala.or.jp/gochamazetei/leport-1.htm

http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/column.html

中学生の頃から「源氏物語」が好きで、そのものの勉強では飽き足らず、結果、背景となる平安時代・摂関政治を短大(歴史関係学科)で専門にしていた者です。

> 平安時代の東宮(になる)の定義みたいなのはあるのでしょうか?

ご質問文から推察して、ご質問者様がおっしゃっている「平安時代」というのは、平安時代の中でも、ちょうど私が専門とした「摂関時代」、「外戚政治が行われた時代」のことを言っていらっしゃると考えましたので、そちらからご回答を差し上げます。

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Q平安時代における内親王の結婚について

こんばんは。早速質問させていただきます。

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解らなくて困っています。
回答宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

なれたんじゃないでしょうか。

正子内親王(淳和天皇皇后)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B

昌子内親王(冷泉天皇中宮)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8C%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B

禎子内親王(後朱雀天皇皇后)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8E%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B

章子内親王(後冷泉天皇中宮)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A0%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B

馨子内親王(後三条天皇中宮)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%A8%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B

篤子内親王(堀河天皇中宮)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A4%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B

姝子内親王(二条天皇中宮)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%82%85%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B

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章子内親王(後冷泉天皇中宮)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A0%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B

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Q平安時代、入内した女性の親の身分

こんにちは。
平安時代、天皇の元に入内した女性はたくさんいます。
入内の件で教えていただきたいことがあります。

政略的要素があったと思いますが、どの程度の身分の人々が、娘を入内させたのでしょう。低い身分ではどのくらいから、高い身分ではどのくらいまで、なのでしょうか。

ご存じのかた、どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

入内と言うからにはあくまでも中宮、女御などの地位での入内です。
もちろん摂関家などからの妨害もありますが、入内には女房をそろえたり多額の費用がかかるので有力者でなければ入内させるのは無理です。
また入内の儀式にかかる費用も多額で負担できません。
そのために平安以後の時代には極まれなときを除いては中宮や女御はおらず、もともとは女官である典侍、内侍などが実質的な天皇の配偶者でした。


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