宮本武蔵といえば、巌流島の決闘に遅刻して、佐々木小次郎が冷静さを欠いたところで……という話をよく聞きます。

私の中では「決闘」というと、
「互いにあらかじめ約束をして、正々堂々真剣勝負!」
というイメージです。
遅刻はルール違反で正々堂々ではないと思います。

でも「すばらしい戦術だ」と評価が高いですよね?
多対多の国や地域をかけた戦い、或いは自分の主君を守るための戦いならば、戦術としてはありだと思うのですが、一対一の武士の決闘に戦術を用いるのは卑怯にはならないんでしょうか?
それとも、決闘の定義を私が勘違いしているのでしょうか?

宮本武蔵の一生には詳しくないので、このシーンだけ取り上げて「卑怯なんじゃ?」と言うのはおかしいかもしれませんが、昔から気になっていることなので、誰か教えてください!

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (9件)

宮本武蔵は「兵法家」であって「剣士」ではないというのがポイントです(有名な「五輪書」も剣ではなく兵法について書かれている)。

剣士ならあくまで剣の優劣にこだわりますが、兵法家ならば刀だけでなく、あらゆる武器、あらゆる作戦を使って勝利することにこだわらなくてはいけません。

戦場においてはおびただしい剣の達人が、剣技も知らない足軽に倒されています。1対1なんて奇麗事は通用せず、相手が「強い」と見れば、数人で取り囲んで、槍で刀の範囲外から襲いかかり、鉄砲だってなんだって使います。

腕が立つということはすなわち、平時でも戦場でも狙われやすく、死にやすいということであり、それを、智謀を尽くして避けるのが「兵法家」の腕なわけです。

加えて、「兵法家」と称する以上は敗北=自分の兵法が間違っている、ということになりますから、たった一度の敗北で、名を上げたり、どこかに仕官することも難しくなります。ですから、いかなる手段を使っても勝って、生き残らなくてはいけなかったわけです。

つまり生涯不敗と言われた武蔵は、普通なら負けて当たり前、もしくは勝敗が不明の状況をひっくり返す、という技術にきわめて優れていたわけです。

そう考えれば、巌流島の決闘は、「剣士」小次郎 対「兵法家」武蔵の対決だったわけで、剣の技量では劣るもしくは互角(と考えられていた)佐々木小次郎に対して、心理戦を挑み勝利した宮本武蔵のことを褒めるのは妥当と考えられます。

ただし、その賞賛はあくまで「兵法家」の武蔵に対して向けられたものであり、「剣士」の武蔵に対するものではなかったということです(剣士として評価されたのは吉川英治の影響が大きいと思います)。

ただ、こうしたことを抜きにしても武蔵が超一流の剣士であったことは間違いなく、それに加えてあらゆる状況で生き残るサバイバル技術を持っていたからこそ後世に名が残ったのでしょう。
剣だけでなく、心理戦も超一流となればこれはむしろ褒めるのが当然ではないでしょうか。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
剣の勝負というとストレートなイメージがありました。あくまでも全力で真っ向勝負!という…。
だから心理戦=卑怯という図式になってしまいます。
兵法家として見れば、確かに武蔵はすごいと思います。
これまでの皆さんの解答を見て、武士の決闘にも兵法が認められていたのはわかりましたが、個人的には武士と兵法は無縁であったほしかったなぁなんて、ちょっと残念に思ってしまいます。

お礼日時:2005/04/19 12:07

宮本武蔵ですが、8番の方が指摘されるように脚色の部分も多く、ライバルの佐々木小次郎の年齢も宮本伊織が決闘の45年後に建てた武蔵の顕彰碑から17歳と読みとれ、これでは小次郎の師匠の富田勢源の活躍した年代に合わず、27歳の間違い・・・70歳の老剣士・・・実在しない人物という説まである状況です。


いずれにせよ武蔵に限らずこの時代の剣士は大道芸のようなもので、派手な衣装や異様な風体で人の関心をひき、決闘により名前を売り、あわよくば高禄で召抱えられたいと全国を歩き回っていました。
建前は剣の研鑚ですが、本音は名前を売ることで、勝つ見込みのある決闘しかせず、遅刻やすっぽかしもあったと思います。
武蔵も決闘の前に事前調査をやり、勝てる見込みがあり、人の注目を浴びる決闘を選んだようです。
同じことは「空手ばか一代」という梶原一騎原作の漫画でも力道山が空手の大山に
「我々プロのレスラーはお金が入る試合か世間が注目する試合しかやらない。僕(力道山)とやりたければお金を出すかTV局をスポンサーにして欲しい」と言い放つ場面がありますが、江戸時代の力道山が武蔵と考えてよいと思います。
プロレスは筋書きのある決闘と言われますから、あれを想像してください。
もし私が小次郎なら
「武蔵は試合を恐れて逃げた。不戦勝である。」とさっさと勝ち名乗りを上げて立ち去ります。
武蔵もそうさせないために弟子たちを配置したり準備はしたと予想されるので、単なる剣の試合と読んだ小次郎と勝つための準備をして挑んだ武蔵の戦いであり、その勝者が武蔵、卑怯と言われる筋合いではありません。
小次郎も武蔵が時刻に遅れる常習者との認識はあったのですから定刻を過ぎた時点で「勝ち逃げ」という選択もあったわけですから、敗戦は自己責任。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
大道芸人のようなものですか……武士のイメージがだんだん落ちていきます(あくまでも、私の中でイメージされた武士像が、です。ちょっと夢見すぎだったので)。
私の感覚でいくと、もし小次郎が勝ち逃げ方式をとった場合、卑怯だと思ったことでしょう。
要するに、私の考える武士像は現実とかけ離れていたのだなということが、わかりました。ショックです。

お礼日時:2005/04/19 12:21

>宮本武蔵といえば、巌流島の決闘に遅刻して、佐々木小次郎が冷静さを欠いたところで……という話をよく聞きます。



吉川英治の小説ではそうなっておりますね。

宮本武蔵は、没後間もなくして伝記(二天記。但し創作性が高い)や歌舞伎・講釈の題材として好んで採りあげられました。したがって、江戸、明治を通じて庶民のスーパーヒーローだったのであり、だからこそ、直木らによる武蔵VS上泉の最強論争が巻き起こり、その結果として、吉川英治が「求道者」宮本武蔵を書くに至ったのです。

しかし、吉川英治の「宮本武蔵」は、創作部分が多く存在し、武蔵遅刻説もその一つではないかと愚考します。なぜならば、五輪書にも、小倉碑文にも、逆に武蔵ファンにとっては都合の悪い資料である「沼田家記」にもそのようなことは書かれていないからです。

巌流佐々木小次郎との戦いは、小倉碑文(武蔵の養子・宮本伊織が建てたもの)に詳しいのですが、その部分を紹介しましょう。

「爰に兵術の達人有り、名は岩流。彼と雌雄を決すを求む。岩流云く、眞劔を以て雌雄を決すを請ふと。武蔵對へて云く、汝は白刃を揮ひて其の妙を尽くせ、吾は木戟を提げて此の秘を顕はさんと。堅く漆約を結ぶ。長門と豊前の際、海中に嶋有り。舟嶋と謂ふ。兩雄、同時に相會す。岩流、三尺の白刄を手にして來たり、命を顧みず術を尽くす。武藏、木刄の一撃を以て之を殺す。電光、猶遅し。故に俗、舟嶋を改めて岩流嶋と謂ふ。」

戦略・戦術として遅刻策を採ったのであれば、堂々と記載するはずですが、ご覧のとおり、どこにも遅刻した事実の記載はありません。

また、「武蔵との戦いに敗れはしたものの蘇生した小次郎のとどめをさしたのは武蔵の弟子達だ」とする沼田家記にも、武蔵が遅刻したとは書かれておりません。

思うに、これも吉川英治の創作でしょう。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
創作説ははじめて聞きました。ビックリです。
三国志と三国志演義が入り混じっちゃってるのと同じような現象ですね……。

お礼日時:2005/04/19 12:14

「決闘」の定義と言うよりも、「武士」の定義が異なる、と考えてみてはいかがでしょうか。



私たちの持つ「武士」のイメージは、忠義に厚く、主君のためには死をも恐れぬといったものですが、これは、戦さの無い平和な江戸時代に作られた武士像です。「文武両道」という言葉がありますが、戦国時代の武士は、文字通りこの「武」を売り物にしていた軍人であり、一方江戸時代の武士は、行政に携わる役人としての性格が強く、「文」の部分がより重要視されていました。

「忠義に厚く、主君のためには死をも恐れぬ」、極めて観念的であると思いませんか?本来軍人とは合理的であらねばならず、「負ける戦さ」は絶対にしてはいけないものです。これを戦国時代の「武士道」とするならば、江戸時代の武士道は、「教養としての武士道」(極めて儒教的に色づけされた)と言わざるをえません。

私たちが持つ「武士道」のイメージ(おそらく回答者さんも)はあくまで「教養としての武士道」であり、戦国時代の「武士道」を身につけている武蔵にその基準をあてはめるのは、少し無理があるでしょう。戦国時代の武士には、「主君を七度変わらねば武士ではない」といった言葉や、朝鮮出兵の際には、捕虜となった日本の武将が朝鮮側について、日本軍と戦った、という逸話もあります。「忠信報国」、「正々堂々」といった思想とはまったく異なる次元に彼らはいたのだと解釈すべきなのではないでしょうか。

以上、私的な意見でした☆
    • good
    • 2
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
なるほど!武士の定義が違うとみれば、納得がいきます。
私が思い描く武士はisukeさんの言う、江戸時代の武士像の方なのかもしれません。

お礼日時:2005/04/19 12:11

こんばんは。


↓「乱世の英雄」(海音寺潮五郎、レビューがないのが残念・・・)に武蔵などの武芸者の面白い話がいろいろ出ています。
戦略で勝つのが卑怯じゃない、どころか「勝てそうにないな」と思ったら果し合い前にドロンするのさえ恥じゃなかったようですよ(武蔵は弟子に勧めてる)。むしろ、武芸者として当然の心得だったとか。
今聞けば「武士の風上にも置けぬ!」みたいな話ですが、考えてみれば、武芸を極めようと思ったら、途中で無理して死んでしまっては何にもなりませんもんね。

参考URL:http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=09446276
    • good
    • 1
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
途中で死んでも全力で戦えればOKなのが武士かと思ってました。ちょっと甘かったみたいです。

お礼日時:2005/04/19 12:03

あくまでも仮説ですがこの勝負で武蔵の遅刻には巌流島へ近づくのに舟を利用しましたが、付近の潮流を読み間違えて遅刻した可能性もあります。



またもし正確に潮流を読んで遅刻をしたのならその準備の良いのは戦術として賞賛されても非難される事はないと思います。
真剣勝負は命のやり取りで戦いと同等ですから戦術をこらすのは当然許されたのだと思います。

武蔵は他の試合でも色々工夫して臨んだそうですから当然の事だったのではないでしょうか?
それにこの勝負には色々説があり小次郎側にも弟子達が万一に備えて隠れていたという話、武蔵側の弟子達が多数で小次郎を討ったなどと言うのもあり、真相は藪の中かもしれません。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
下の方達へのお礼とダブってしまいますが、武士の一対一の決闘には綺麗ごとを夢見ていたのでショックです。
例え武士だろうと一対一だろうと、命をかけた戦いでの兵法は広く認められていたんですね……。

お礼日時:2005/04/18 18:49

宮本武蔵というのは、吉川英治が小説「宮本武蔵」を出版するまで、マイナーな剣士に過ぎませんでした。


直木三十五らとの「宮本武蔵」論争が起こり、反論する形で執筆したのは有名な話です。
吉川英治の「宮本武蔵」が大反響を呼び、剣豪といえば「宮本武蔵」というぐらい有名になりました。
しかし、出る杭は打たれるべく、やはり宮本武蔵について否定的な作家が多いのも事実です。
「吉岡兄弟との決闘の時も遅刻した」「佐々木小次郎は老人だった」などなど。

ただ、最終的に宮本武蔵は仕官出来ませんでしたが勝負に勝ち続け長寿を全うしたこと、
自身は出世しませんでしたが養子が大出世を遂げたことなどから、剣豪だったと思います。

質問の「卑怯」かどうかについてですが、遅刻も兵法だと思います。
織田信長は桶狭間の戦いで奇襲攻撃を行い、当時最も天下獲りに近かった今川義元を討ち取りました。
これも一種の武士同士の決闘であり、正々堂々とは言い難いですが兵法です。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
私は昔、多対多の戦いで小細工するのは卑怯だと思ってました。でも孫子などを読んで、自分達の損害を最小に抑えるためには、兵法が重要なのだと知りました。
それは武士同士の一対一の決闘でも同じなのですね。
うーん、やっぱり、ちょっとショックです。
真に正々堂々と戦った武士はいないのでしょうか…。

お礼日時:2005/04/18 18:38

この時代の決闘は仕官のための自分の宣伝活動の意味合いが強く、結果を出すことが最優先されます。


(とはいえ、無制限に卑怯な手を使うと世の中の評判が下がり就職先から敬遠されますが)

「正々堂々」というのは決闘に生き残って初めて口にできるわけで、
現代のスポーツの試合のように「次に頑張ればいい」というのはありません。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
私の中では決闘・武士というと、潔いイメージがあったのですが、現実は厳しいのですね。

お礼日時:2005/04/18 18:32

回答ではないです・・・(^^;



>宮本武蔵といえば、巌流島の決闘に遅刻して、佐々木小次郎が冷静さを欠いたところで……という話をよく聞きます。

武蔵の弟子(?)が物陰に隠れていて、集団リンチで殺害した可能性があるという話を聞いたことがあります。
卑怯ですけど、結局、正々堂々って言っても、世の中正論だけじゃいけないって事ですかね・・・?
    • good
    • 1
この回答へのお礼

情報ありがとうございます。
武士の世界もすっきりとカッコイイものではなかったんですね……。想像と違いすぎて驚いてます。

お礼日時:2005/04/18 18:20

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aに関連する記事

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qキムタクが宮本武蔵

人気グループ「SMAP」の木村拓哉さんが、来年3月にテレビ朝日系で放送される
2夜連続のスペシャルドラマ「宮本武蔵」で希代の剣豪・宮本武蔵を演じることが、明らかになった。
木村さんが時代劇に出演するのは、2006年の映画「武士の一分」(山田洋次監督)以来、8年ぶり。
また、同局のドラマに出演するのは、1995年のスペシャルドラマ「君は時のかなたへ」以来、19年ぶりになる。

剣道経験者の木村さんは「小さいころから“刀を振る”という経験をしてきたので、
宮本武蔵という存在はいやでも意識してしまう人物。武蔵に抱いていた謎を
ひとつひとつ解明していけることも楽しみにしています」とコメント。

「これまでも数多くの先輩方が宮本武蔵を演じられてきましたが、
僕もワンカット、ワンカット妥協のない『OK』をいただいて、最終的に
自分の“武蔵”になればいいなと思っています」と意気込んでいる。

同局の開局55周年記念ドラマとなる今作は、吉川英治さんの代表作
「宮本武蔵」を原作に、強いだけでなく、弱さやもろさも抱える愛すべき
人間として武蔵を描き、従来の時代劇とは異なりCGやワイヤアクションを
取り入れるなど、“新たな武蔵”を表現していくという。ライバル・佐々木小次郎と
雌雄を決する巌流島の戦いや、吉岡一門との死闘、一乗寺下り松の70人斬りなどといった
見せ場も用意するほか、お通との悲恋も描かれる。

http://mainichi.jp/mantan/news/20131225dyo00m200037000c.html

私は キムタクに武蔵は合わないような気がします。 武蔵なら 内野聖陽あたりが はまり役だと思うんですが、
みなさんは どう思いますか?

人気グループ「SMAP」の木村拓哉さんが、来年3月にテレビ朝日系で放送される
2夜連続のスペシャルドラマ「宮本武蔵」で希代の剣豪・宮本武蔵を演じることが、明らかになった。
木村さんが時代劇に出演するのは、2006年の映画「武士の一分」(山田洋次監督)以来、8年ぶり。
また、同局のドラマに出演するのは、1995年のスペシャルドラマ「君は時のかなたへ」以来、19年ぶりになる。

剣道経験者の木村さんは「小さいころから“刀を振る”という経験をしてきたので、
宮本武蔵という存在はいやでも意識してしまう人物...続きを読む

Aベストアンサー

結局視聴率をある程度は取らないとならないし、開局55周年ともなると失敗できないと言う思いもあるので
この様な起用になったのでしょう。
宮本武蔵と言えば最近のイメージでは『市川海老蔵』が居ますので、木村拓哉はイメージじゃない。
あえて、あえて言うなら、宮本武蔵よりは佐々木小次郎の方なら・・・・ね。

Q宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘について

宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で決闘したのは歴史的事実だと思います。その際武蔵が二時間も遅れたり、小次郎が鞘を捨てたことをなじりお前は負けると言ったのは当時の記録にあることですか?とてもみみっちいーと思います。私は武蔵にはそんなことは言ってほしくないのですが

Aベストアンサー

その記録は、『武公伝』(1755年に完成)に武蔵が島に渡るときの船の漕ぎ手であったとする小倉商人の村屋勘八郎なる人物が、正徳2年(1712年)に語ったものと記されているそうです。ただし、そんな話はこの『武公伝』だけに書かれているようで真偽のほどはわかりません。

Q「宮本武蔵という生き方」とは

「宮本武蔵という人物」、「宮本武蔵という剣豪」なら分かるのですが、

「宮本武蔵という生き方」とはどういう意味でしょう。宮本武蔵は’’生き方’’なのでしょうか。

Aベストアンサー

内容を知らないで、とやかく話をしてもしょうがないのですが、ただ、「宮本武蔵」というのは、現在では虚像になってしまっていると思います。いいかえれば、『宮本武蔵』いう生き方というパターンが出来ているように思わせます。

江戸時代の初期の話としても、事実、「独行道」とか「五輪書」と名前はついていますが、そこから汲み取られるものというものは、あまり剣や殺戮とは縁遠いからこそ、それが現代にウケているのだろうと思います。

そのパターンというのは、現実主義であって、神仏を頼らないとか、過去を後悔しない前向きな姿勢とか、研究心を忘れず、状況分析におい優位性を見出すことを主とするとか、勝負そのものよりも、徹頭徹尾、泥臭くても生き残ることを基本とするとか、総じて、名を売るための方法を良く心得ているなどが思いつきます。

しかしながら、吉川英治氏が描いた「宮本武蔵」像のように、現実には、芸術の域まで高め、最終的に、形而上学的観点までは到底及ばないのではないかと思うのです。実際の人物は、どの程度のものだったかは、彼の書画から辿るしかないけれども、現代において、そこまで辿ろうとする人はいません。

これは、吉川の作品には出てくる、同時代生きた、沢庵和尚にしても、柳生石舟斎にしも、一流の人物だったことは間違いないが、残念ながら、吉川英治氏が書いた以上には宮本武蔵は一級人だったは言えなかったのかもしれません。映画であれ、テレビドラマであれ、さまざまなタレントさんが、宮本武蔵を演じました。この登場人物は、それぞれの日本人像をステロタイプ化しているのかもしれません。そして、誰しもが、宮本武蔵になろうとは思わない現代があります。

内容を知らないで、とやかく話をしてもしょうがないのですが、ただ、「宮本武蔵」というのは、現在では虚像になってしまっていると思います。いいかえれば、『宮本武蔵』いう生き方というパターンが出来ているように思わせます。

江戸時代の初期の話としても、事実、「独行道」とか「五輪書」と名前はついていますが、そこから汲み取られるものというものは、あまり剣や殺戮とは縁遠いからこそ、それが現代にウケているのだろうと思います。

そのパターンというのは、現実主義であって、神仏を頼らないとか、過...続きを読む

Q平地での戦いで用いられる主な戦術 騎馬での戦いで用いられる戦術 攻城の

平地での戦いで用いられる主な戦術 騎馬での戦いで用いられる戦術 攻城の際に使われる戦術 籠城の際に用いられる戦術 水軍で用いられる戦術などを教えてください
時代は古代から中世です
またこのような事を説明してるサイトや本を教えてください

Aベストアンサー

最近NHKでやっている、「名将の采配」が参考になるかも?

参考URL:http://www.nhk.or.jp/program/saihai/

Q【歴史・宮本武蔵の五輪書は】宮本武蔵が死ぬ1週間前に書き残されたってもう確定事項なのでしょうか?

【歴史・宮本武蔵の五輪書は】宮本武蔵が死ぬ1週間前に書き残されたってもう確定事項なのでしょうか?

どこに五輪書が宮本武蔵が死ぬ1週間前に書き残されたと記載があるのですか?

そもそも宮本武蔵は架空の人物のはず。

なぜ実在していたかのようになっていて、架空の人物なのになぜか五輪書が残されている。

どういうことなんでしょう。

宮本武蔵は複数の伝説の人を引っ付けて作られた妄想の人であると教えて貰いましたが、空想の人物は実在する五輪書を残し、しかも現存しているとなると宮本武蔵が架空の人物であるとされる通説もおかしいと感じる。

質問【宮本武蔵は複数の人物を引っ付けて作った小説なのに伝記が存在している謎を教えてください。】

Aベストアンサー

はじめまして、お尋ねされていることについて回答させていただきます。

>宮本武蔵が死ぬ1週間前に書き残されたってもう確定事項なのでしょうか

そんな説は初めて聞きましたよ。「寛永20年(1643年)から死の直前の正保2年(1645年)にかけて、熊本県熊本市近郊の金峰山にある霊巌洞で執筆された」というのが定説です。(「五輪の書」wikiによる)

>そもそも宮本武蔵は架空の人物のはず。なぜ実在していたかのようになっていて、架空の人物なのになぜか五輪書が残されている。
>どういうことなんでしょう。

架空の人物などという説は初めて聞きました。宮本武蔵自筆の書も残っていますし、同時代の細川家の書物も残っています。架空などという人は、歴史学会では相手にされないでしょう。トンデモ論ですよ。

>宮本武蔵は複数の伝説の人を引っ付けて作られた妄想の人であると教えて貰いました

こんなことをそのまま信じてはだめですよ。地球が平であるというぐらい根拠のない無責任な話です。「宮本武蔵が架空の人物であるとされる通説」なんてありません。宮本武蔵は実在したのが通説です。実在を否定する証拠など聞いたことがありません。

>宮本武蔵は複数の人物を引っ付けて作った小説なのに伝記が存在している謎を教えてください。

宮本武蔵は実在の人物です。伝記がのこっているのは謎でもなんでもありません。

はじめまして、お尋ねされていることについて回答させていただきます。

>宮本武蔵が死ぬ1週間前に書き残されたってもう確定事項なのでしょうか

そんな説は初めて聞きましたよ。「寛永20年(1643年)から死の直前の正保2年(1645年)にかけて、熊本県熊本市近郊の金峰山にある霊巌洞で執筆された」というのが定説です。(「五輪の書」wikiによる)

>そもそも宮本武蔵は架空の人物のはず。なぜ実在していたかのようになっていて、架空の人物なのになぜか五輪書が残されている。
>どういうことなんでしょう。

...続きを読む

Q巌流島の決闘について

このとき佐々木小次郎は実は70歳を越える老人だったと友人からききました。これは事実なのでしょうか?また、武蔵は弟子にも参加させたということらしいのですが、これも事実なのでしょうか?

Aベストアンサー

吉川英治の小説「宮本武蔵」が、史実と殆ど関係ないことは事実です。
司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」が史実と殆ど関係ないことと同じですす。
つまり吉川英治の空想の「宮本武蔵」なので、佐々木小次郎を70歳に設定することも、19歳に設定することも可能です。

【佐々木小次郎(ささきこじろう)】
?~1612。越前国宇坂の出身。
佐々木岸流とも言う。
細川忠興に仕えたと言われる。
巌流(岸流、岩流)の開祖。
物干竿と称する三尺余りの長剣を用い、必殺技は燕返し(または虎切り)。
宮本武蔵との舟島の決闘に敗れて死亡。
一応、富田勢源の弟子と言う事になっているが、そうすると巌流島での決闘時には70歳前後の老人と言う事になる。
実際、かつての講談では小次郎は白髪の剣の達人だった。
吉川英治『宮本武蔵』によって、小次郎は長身・長髪の美青年というイメージが定着し、性格的にも武蔵の”求道者”の対極として”驕慢な天才””奔放不遜”という扱いになった。
なお、吉川英治は小次郎を鐘巻自斎の弟子、つまり富田勢源の孫弟子という形にしている。


武蔵の弟子達が編纂した『二天記』には巌流島での決闘時の年齢は18歳であったと記されているが、生前の勢源と出会うには、決闘時に最低でも50歳以上、直弟子であれば相当の老人と考えられ、『二天記』の誤記とする専門家が多い。


五味康祐は「真説佐々木小次郎」の中で、佐々木小次郎が厳流島で宮本武蔵と試合をした時、69歳の老人であったと書いています。
さらに戦いに敗れた佐々木小次郎のことを「70才の老齢の所為という弁明は成リ立たないし、口碑上では小次郎は慢心の男と見なされ、非常の妖剣使いにされ、武蔵を引立てるに相応しい年齢に引戻され、遂には倨倣の人物に仕立てられる。敗者の運命である」と書いています。


巌流島の決闘も、実は、舟で渡ったのは、武蔵ではなくて、小次郎の方だったことが、当地の船頭さんの家に代々語り伝えられているそうです。

吉川英治の小説「宮本武蔵」が、史実と殆ど関係ないことは事実です。
司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」が史実と殆ど関係ないことと同じですす。
つまり吉川英治の空想の「宮本武蔵」なので、佐々木小次郎を70歳に設定することも、19歳に設定することも可能です。

【佐々木小次郎(ささきこじろう)】
?~1612。越前国宇坂の出身。
佐々木岸流とも言う。
細川忠興に仕えたと言われる。
巌流(岸流、岩流)の開祖。
物干竿と称する三尺余りの長剣を用い、必殺技は燕返し(または虎切り)。
宮本武蔵...続きを読む

Q宮本武蔵は武道の達人だけでなく、書道や絵画の達人でもあった。というのは本当ですか? 宮本武蔵の絵や

宮本武蔵は武道の達人だけでなく、書道や絵画の達人でもあった。というのは本当ですか?

宮本武蔵の絵や書を見てみたいです。

残ってますか?

あと宮本武蔵の武道の流派はどこですか?

海外では宮本武蔵は日本のレオナルドダビンチだと言われています。

何でも出来たという意味です。

Aベストアンサー

琴棋書画は、武士のたしなみ。

 江戸時代は、朱子学(中国)の教えで成り立っていますから、当然と言えば当然。

※武士以外の9割は、文字も読めなかったわけですから。

Q武蔵が巌流島で使った木刀は現存してるのですか?

宮本武蔵が佐々木小次郎との試合で使用した木刀ですが、現物はどうなったのでしょうか? ご存知の人がおられましたら教えてください。
武蔵が五輪書を書いた「霊巌洞」に残されていたという話を聞いたことがあるのですが…。

また通説では、巌流島の木刀は舟の櫂を削って作られたとされていますが、その真偽について、ご存知でしたら教えてください。(ある本では、舟の櫂を削って作ったのではないと書かれてありました。)

Aベストアンサー

岡山県英田郡大原町宮本村の宮本武蔵生誕の地といわれる平田家に残されています。
ただし、武藏の生国は複数あり、ここがそうだったかということはわかりません。

また伝来の木刀が、本物かどうかは、わかりませんが・・・
そのようにいわれて伝承されています。

そもそも、巌流島の闘いというものの真偽すら怪しいのですから、その木刀が本物かどうか、ということ自体がナンセンスでしょう。その意味では、この平田家の「木刀」はまさに本物と言えるでしょう。
実物を見ましたが、余り大きな物ではありませんし、船中で櫂で作ったというにしては小振りです。

Qテレビ朝日開局55周年記念 宮本武蔵 ネタバレ

テレビ朝日開局55周年記念 2夜連続ドラマスペシャル 「宮本武蔵」について質問があります。

当方は現在、吉川英治の小説「宮本武蔵」を読んでいます。昨夜放送されました、テレビ朝日開局55周年記念2夜連続ドラマスペシャル「宮本武蔵」を録画しており、冒頭部分だけ見ましたら、内容が吉川英治作の宮本武蔵と全く同じものでした(吉岡道場を訪れた際の宮本武蔵のセリフから)。まだ小説の宮本武蔵をすべて読み終えていないため、ドラマを見てしまうことによって小説版のその後の展開が分かってしまことを避けたいのですが、やはり今回のドラマの内容は小説をもとに作られており、ドラマを見てしまえば小説のオチやあらすじなどだいたいわかってしまうのでしょうか?

ネタバレにならないように回答していただければ幸いです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

吉川英治さんの、朝日新聞に掲載された新聞小説
が原作ですから、影響はあると思います。

Q「巌流島の武蔵と小次郎について」誰かっ!!

 中1の女子です。
私の学校には、「海峡学」という他の学校にはない、この学校独特の授業があります。
「海峡学」でえ何をするのかというと、自分たちなりに下関の疑問について挙げてみて、それにつういて調べ レポートにし、発表するというものです。

 そこでいま私は、グループ調べで「巌流島について」しらべています。
そのなかでも、私の担当は「武蔵と小次郎の巌流島での戦いまでの関係」について調べています。

 明日提出なのになかなか良いサイトがなくとても困っています。
「武蔵と小次郎の巌流島までの戦いまでの関係」についてくわしく述べている良いサイトがあればあしえていただけないでしょうか?

 不十分な点もあると思いますが、よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

海峡学。。。。なんだか素敵な学校ですね。

まずこちら。巌流島決闘は実はよくわからない。というもの。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~tetsu2003/ganryujima01.htm

ここはそこそこ詳しそう。
http://homepage3.nifty.com/ganryu/

経緯についてはこちら。
http://homepage3.nifty.com/ganryu/numata.htm


人気Q&Aランキング

おすすめ情報