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ヒューゴ・シュマイザーは戦後にソ連に連れていかれて銃器開発に従事されたとされていますよね。
その間、シュマイザーはカラシニコフとなんらかの接触はあったんですか?技術指導やアドバイスとか。
以前見たカラシニコフの伝記映画ではシュマイザーのシの字も出てこなかった気がします。
どうなんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 何でこんな質問したかというと、ネット見ていたらこんな写真見つけたからです。
    カラシニコフがシュマイザーの写真を抱えてドヤ顔している意味がちょっとわからなくて。

    「シュマイザーとカラシニコフの関係」の補足画像1
      補足日時:2023/03/08 22:00

A 回答 (2件)

カラシニコフは短機関銃の設計者として身を立てたかったので、「心の師」みたいに思っていたのではないでしょうか。


AK-47は、精度面ではSKSと真逆な発想ですので、シモノフに従事しつつ、尊敬しつつも、心の師はヒューゴ・シュマイザーだったのかもしれません。

とはいえ、あの時代の銃器は、SKS、AK-47も、M-1、Stg44から得たアイディア、影響があります。日本の64式も、言っては何ですがSKSですしね。89式はAR-18でしたけど。
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戦中、戦後、カラシニコフは軍曹でしたから、敵国の設計者と接触できる身分ではなかったでしょう。

共産党員にもなっていませんでしたし。

シモノフには従事したようです。またスダエフとも知り合っています。このクラスの人達であれば、接触はあったと思います。
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