「予言(=奇跡)であることは信じない」けれど「偶然だと思う」のが一般的に有る心理ですよね。

心理学そのものでは無く、「読み」の才能の問題かもしれませんが、こうした普通の人の心理と自分の役割について、どのようにお考えなのでしょうか。

「利用されているだけだ」と感じませんか。

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A 回答 (9件)

ご質問者様のお知りになりたいことに沿う自信はありませんが…。



ご質問の主旨は「哲学」でもあり「心理学」でもあります。それをユングは「共時性」といいました。

以下本から抜粋して説明します。

「意味のある偶然の一致」をユングは重要視して、これを因果律によらぬ一種の規律と考え、非因果的な原則として、同時性の原理なるものを考えた。つまり自然現象には因果律によって把握できるものと、因果律によっては解明できないが、意味のある現象が同時に生じるような場合とがあり、後者を把握するものとして、同時性(シンクロニシティー)ということを考えたのである」

著者(河合隼雄先生)の個人的な経験も付記されてますが

「これは心理療法という、人間の心の現象を取り扱う仕事に従事していると、他のひとたちよりも数多く、このような現象に出会うとも考えられる」

「同時性の原理に従って事象をみるときは、何が何の原因であるか、という点にではなく、何と何が共に起こり、それはどのような意味によって結合しているかという点が重視されてくる」。

また「あまりにも因果律を科学的に解明しようとすると深層心理学でいう「自己(セルフ)」の接触を妨害する危険性があり人間疎外につながりかねない危険(・・・)」

とうたっていますが、また別のことになりますので割愛します。

話は戻って、ここからは私見になりますが、本では「意味」にルビが振ってあります。「その意味」はNEKOhaTORA さんのおっしゃる「主観」を別の見方ではないでしょうか。

「共時性」の根拠も理論整然としている(科学的)思いますが、一見してあまりにも×2複雑な絡み合った糸を解きほぐす作業になると思います。その理由が解き明かせない現在「必然」ということになるのではないでしょうか。
いやそれは「こじつけ」ではなく、本当に「実感」として感じざるを得ないからではないでしょうか。それは運命論者でも運命を信じない人でもふと感じることもあるかもしれない事実ですし。

NEKOhaTORAさんのその「利用される」というのはもしかしたら「偶然・必然」に意味の重要性を感じないのだとしたら単に「現象に使われている」というも意味ではないかと勝手に汲んでおりますが(^_^;。

私は「偶然⇔必然」=「運命」という式でいますので、やっぱり逆らえないな・・・と感じます。なので結局特定の宗教ではない「神」という仮定にいきつくわけです。(私は宗教そのものを語るのは嫌いです。神を語るというとき独り言になりますが)。
たとえ運命を自分の客観性で持って操作できるとしたら人類に戦争は起きてないでしょう。でも「ああ辛いな、苦しいな」と感じる日常に(また喜びにも)、ポジティブなネガティブな「生かされている」という「実感」を感じます。これは「課題」であるわけで、やはりグルグル回りまわって「神の存在」や仏教でいう「縁」、もう少し先をいくと「輪廻転生」などの思想に依拠するわけです(少なくとも私は)。

でもこの不可抗力の中に抗したがたい人の「意思」があるわけで、私はニヒリストでイヤな奴ですが(笑)、その力を見聞したりすると「ニンゲンていいなあ」と思います。たぶん「My神様」は唯一それを望んでいるのでは?と思います。誰だったかある哲学者さんは「意志の力」と言いましたが勝手に解釈するとそのようなことではないかと考えます。

形而上学的なことの仕組みが明かされれば科学的なことも、またこういう問題も解決するのでしょうけれど、人類はまだまだその段階に達してない。これはもう永遠のテーマでしょうね。きっと「神」が自ら自分の神秘のベールを上げて、そちら側からお姿を見せてくださらなければならないのでしょうが、「神」が人々からの関心を求めている以上それも「課題」なのでしょう。

つまりご質問者様の思うところも「課題」なのだと思います。哲学は思想的な隙間の部分を埋め合わせる作業ですが、関心がなくとも潜在的に感じざるを得ないであろうそうしたテーマを文字起しする人が顕在的な「哲学者」なわけですが、そういう意味では私は誰でも「哲学者」だと思っています。

NEKOhaTORAさんは「>偶然と考えるか、必然と考えるかかで物事の意味が変わってきますよね。」とおっしゃってますが、たしかにそうだと思います。たとえば「前向き」か「後ろ向き」的な性格にもよるとも思いますが、物事の捉え方=性格の一部も運命のひとつだと思ってます。
性格は変えることが難しいと言われているのはある程度運命のベクトルの重みのようなものを加担させるからではないかと思います。
しかし
また「>「善悪がなければ、あくまでも偶然」」とおっしってますが、うーん、これはどうでしょうか。そもそも善悪すらも時代や文化にとって変化する流動的なものです。例えばあるキリスト教の教えの一つとして、「男性は外周り、女性は内周り」が当然(つまり男性は仕事をし、女性は家事を分担するべき)という「教え」があると聞いたとき「えーっ!」と思いました。今のこの時代の日本で、です。「教え」ってある程度強制力があるので「善悪」を含めているのかもしれませんが、女の私にとっては小規模ながらも「悪」です(笑)。でもNEKOhaTORAさんにとっては「悪」かもしれない。仮にの話ですけれどその違いが「家庭内戦争」を起こす原因になるわけですが(笑)。
でも「偶然⇔必然」ということは時代や文化変わりない普遍ですよね。

そうして善悪というのは意味があとからくるものと思うのですが、意味を前提とする、というか人が何かに対して意味をつける以上、意味が押し出した何か一つの現象が、他の誰かにとっての現象に波及効果を及ぼし、それも誰かにとっての「意味」を求められるのでしょう。だとしたら「偶然・必然」も「善悪」は主観的なことで形としては「効果」「恩恵」「非情」になりうるわけです。「偶然・必然」の現象そのものは人の意志をまったくスルーしているしているイメージがありますね。

でもやはり意味をどうとらえるかが大切であると思います。「偶然」「必然」は現象が起きてしまえばもう抜け殻のようなものではないかと。

私は「二律背反教」という勝手に作った宗教の心棒者ですが(笑)、二項対立がひとつの法則だとしたら一部の概念である「偶然」の反対には「必然的に」(^^;「必然」が位置するしかないし、現に国語辞典にもあるし、現に体感するし。・・・
もし学問で解明できるのだとしても私的には解明してほしくないと思います。不条理を「これは必然」として癒されなくなってしまうかもしれないし頑張れないと思います。これらの概念については半ば神聖化しているので(笑)

以上長文失礼しました。

この回答への補足

こういう事は、本能的~倫理的に”女性の方が正しい”ということになるんでしょうか。 それが、男(=不条理)は気に入らない?

どうも「運命であることは信じない」けれど「偶然だと思う」のが私に有る心理の様です。 だから知りたいと望んだわけであって自分が神の様になりたいと考えた訳ではないなずなんですがね。 その辺は色々な人がいますよね。

「意味のある偶然の一致」についてですが、私が思い出した事は「なぜ果樹ができ、花が咲くか」という事です。 やはり「解明して欲しくない」という事なんでしょうか。

補足日時:2005/04/23 07:08
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「意味のある偶然の一致」は私の人生に重大な損害を与えたといいましょうか、「勝手な思い込み」をもたらした事あります。 現在でも悔やみ切れない問題なのです。 それと元々、私は行いがいい加減な者でしたから、いい加減な考えで書いた部分はさすがに誤っている、様ですね。

まあ、そんな事もありまして、偶然という言葉の意味について人と違った解釈をしやすい様です。 それでも、ここまで皆様に回答をいただいて整理がついてきました。 私の勝手な定義ですが。
偶然:
必然以外の空間で、一部(未検証あるいは検証不可の仮説で)必然と交わるが、後世に必然と考えられる部分(人間知能の限界)を含む未知の無限に近い空間領域
という感じです。
何か違っていたら御指摘下さい。
>「偶然」「必然」は現象が起きてしまえばもう抜け殻のようなものではないかと。
<私はなぜかデジャブ(というより予感かも)に悩まされるのです。 悪運が尽きたというか警戒心の強い小心者になった気がします。

ところで、もしおわかりでしたらもうひとつお教え下さい。 「自然淘汰(現在・現実の現象という意味で)は偶然」とお考えでしょうか。 根本的に抜け殻の様な考えなのでしょうか?
すると運命とは
例えば、生物がサイコロを振った結果は、最初から決定している。 という意味になるのでしょうか。 私は生物は存続を賭けてサイコロを振り続け、無限に偶然(組み合わせによる)の機会を得て残ろうとする(実際は有限だが)、と考えているのですが。

お礼日時:2005/04/21 23:25

予言は予想であり、奇跡とは違うと思います。


(データに基いて判断する(占いも過去の色いろなデータや占う相手と会話しながら情報を得て占っています。それから、奇跡とは化学的に理論的に、説明出来ないできごとです。)

必然はこの世に必要なものであり、無駄な者は何一つ無いものです。

偶然とは、色いろな出来事が重なった場合起こることです。

「利用されているだけ」と考えるか、相手の役(全てにおいて)に立っていると考えるか、の違いですね。

人を愛し尽くしている時、損得抜きで対応するのか、
利用されているのでは?と疑心暗鬼で対応されるかの違いです。

自分の役割について、自分が死ぬと悔いが残らない人生をおくることが出来たと思える人生を過ごせば、人それぞれでいいのではないですか。

交通事故で急に亡くなる可能性を考えれば、日々の生き方に悔いがなければ、いいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね。 もしかしたら迷うことではなかったのかもしれません。

お礼日時:2005/04/24 08:46

ANo.7 です。



お礼ありがとうございました。またまたご期待に沿えるかどうか分かりませんが頑張ってみます。

「>自然淘汰(現在・現実の現象という意味で)は偶然」とお考えでしょうか。」

自然淘汰というのも「偶然⇔必然」であると考えます。
生物はずっと進化を繰り返してきましたけれど、より高次の段階に昇っていきつつその過程では生きる上で不要なものを捨てていきますし、昆虫の擬態に見られるように防衛する本能も発達します。
たとえばビックバンや人の起源は「偶然」のものですが、「過程」や「淘汰」は「必然」と思います。

人工的な手が侵入しなくとも、生命体として淘汰されたのならば自然に絶滅する運命もあるわけですが、存在してきたことは自体も食物連鎖に当然属しているわけですから他の生物を生かすために働いてきたといえます。

なかでも人間は高度な能力を持つ生き物ですから「欲」とか「知性」とかで別の部分の段階を上げていきます。ここらへんはマズローの欲求段階説のことですね。精神の向上欲求は素晴らしいものですがその分肉体の方の進化を後退させているのではないかと勝手に考えていますが(^^;。

「>生物がサイコロを振った結果は、最初から決定している。 という意味になるのでしょうか。 
私は生物は存続を賭けてサイコロを振り続け、無限に偶然(組み合わせによる)の機会を得て残ろうとする(実際は有限だが)、と考えているのですが」

確かにそうともいえましょう。その偶然を勝ち取った存在だけが生き残れるのではないでしょうか。

考えてみれば私がこうして生きているという事実はすごいことだと感じます。自殺以外の(いやある意味自殺も同様だが)例えば事故によって死を迎えるということは不可抗力的な偶然ですが、自分の意志で操作できないところに運命があるわけです。
現に毎日沢山の人が死を迎えていますが、それでも生きているのはそうした死にゆく者達に生かされているわけですよね。改めて考えると凄いことだと思います。
なので改めて考えないと「明日」というのは当然くるという補償はないわけです。惰性的になりがちな「日常」さえも偶然によって与えられている。それを「苦痛」と考えるか「恩恵」と感じるかはそれぞれの「生死観」によって違いますが、でもいつか生物は死を迎えるのは「必然」ですから生命として「淘汰」の時を迎えます。
だからすごく「淘汰」って厳しい自然現象なんですよね。「ふるい分け」ですから・・・。「ニンゲン」もそうなんでしょうね・・・(^^;。

「>コインの表裏を賭けると1/2ですよね。 実際にどちらかが出た時は偶然ですよね。 1/10000・・・・・・でも同じ偶然なんですよね。」

私は物理的数学的なことはまったく苦手なのですが「確率」って決まっているものですよね?コインとかサイコロのように。何度振っても転がしてもそれは希釈され続けることで「偶然」に近づくのではないか?と思います。あくまでもイメージですが。でもその法則がそこにすでにあるわけですよね。

「デジャヴ」についてなのですが、よく見られるのですか?この「既視感」というのは一説によると「すでに見てきたことの想起」だそうです。意識が知らず知らず近い未来に行って見たことを思い出すことです。逆に予知能力かもしれません。夢で見ることもあるそうです。私もたまに見ますが、不思議な感覚ですよね。

偶然の定義については私もNEKOhaTORAさんとまったく同様です。
うーん、やっぱり難しいご質問ですね。私にとってもやはり「永遠のテーマ」といったところでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。 難解な所があって、お礼書きができずにおりました。

私はもしかしたらとんでもない勘違いをしているのかもしれないと思います。 遺伝的な運命というものが在り、偶然などというものが入り込む余地のない決定論的な人生があって、生から死まで必然があるだけなのかもしれない。
自分の自由意志による選択や、偶然の機会などというものは、実際は予め決められた”確立”したゲーム上で選択させられた行動であって自分は操られているだけであり、偶然の組み合わせ行動を”無意識に”行ってきただけなのかもしれません。 種の存続のためと言いいましょうか。 それが固体にとって幸せとなるか否かは脳内エンドルフィン種で決められている訳ですし。
遺伝によって決定された必然は固体人生の大半を占めてしまっていて、私は実際の出来事の後づけ解釈と知識による予定行動の予測観察をしていただけなのかもしれません。 

偶然とは動物が夢を見る自由から発生した幻想の空間でしかないのでしょうか。

お礼日時:2005/04/24 01:35

まず、質問者さんの考えの大前提を訂正しておきます。



心理学者は、人の心を読んだりしません。
質問者さんの想像するような「心理分析」なんてものは存在しませんし、
むしろ、まじめな心理学者であればあるほど、
人の心は読めないものだということを自覚しています。
もし「人の気持ちが読める」「相手の考えがわかる」
というようなことを言っている心理学者がいたら、
その人は心理学者を名乗る詐欺師だと思って間違いありません。

では、心理学者の役割は何かといえば、
「人間の心のメカニズムを科学的に解明すること」です。
そして、カウンセリングなどの心理療法を行う臨床心理学者の役割は、
「心理学の知識を用いて病気を治すこと」です。
いずれにせよ、心理学者は占い師ではなく、科学者なのです。
科学者なので、
人間の行動や思考パターンについて、
一般論的な知識を持っていますが、
目の前にいる人の「気持ち」「考えていること」などは、
そう簡単にわかりません。
カウンセリングのプロである臨床心理士であっても、
何回も面接し、色々な心理テストを実施し、
場合によっては医学的な検査結果を見て、
初めて相手の状態がわかるのです。
しかも、それでわかるのは表面的な症状だけ。
相手が何を考えているかなんて、
本人に言ってもらわなければわかりません。

そして、
ここからがご質問へのお答えになるのだと思いますが、
自分の身に起こること、
あるいは他者の身に起こること、
これらが偶然なのか必然なのか。
それは、わかりません。
また、偶然とは何か、必然とは何か。
これに対する答えも、
辞書的な定義以上のものはありません。
心理学者としてお答えできるのは、それだけ。

もしかしたら、
この世のすべての出来事は、
神の定めた必然によってコントロールされているのかもしれません。
しかし、そのことを証明するすべはありません。
もしかしたら、この世は、
神によって作られた必然によって成り立っているのかもしれません。
そして心理学は、
神が「人間の心」として定めた必然的な法則を、
一生懸命見出そうとしているのかもしれません。
あるいは、
物理学も、化学も、生物学も、医学も、
神の定めた必然を読み取ろうとしているのかもしれません。
ただし、心理学者を含む科学者にとって、
そんなことはどうでもいいのです。
この世の法則を決めたのが神であろうが悪魔であろうが、
あるいは神とも悪魔とも違う何かであろうが、
そんなことはどうでもよく、
実際に世の中に存在する「事実」を観察し、それを理解し、
そこに法則があるなら、その法則を見つけること。
これが科学者の役割です。

・・・ちなみに、
占いなどが「当たっている」ように感じてしまう、
という現象については、
心理学でもさまざまな研究がなされています。
「バーナム効果」もしくは「確証バイアス」
などの用語を調べれば、
その意味がわかるでしょう。
人間って、意外とだまされやすいのです。

この回答への補足

偶然=無意味としたのは、当事者以外の者からみて(自分とは)関係無いと判断した場合です。

補足日時:2005/04/21 18:33
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

科学者として、試料サンプルに対応する場合の条件下で「偶然・必然」の設定は行いますよね。 当然、検証・確認をするだけでお仕舞いということは無いと思うんですよ。 ”程度を測る”とでも言いましょうか。
偶然に気がつけば、却って”発見”になりますよね。 経験上、実際は「1つ利口になった」程度ですが。
要するに「科学実験や観察での”偶然”て不思議な問題で後々、有意義」になりますよね。

ですが、それは条件設定下での問題。

条件設定が明確で無い(つまり心理学の事でないかもしれない)場合での、一般人のいう”偶然”は無意味と同意語に使用している気がするのですが、やはりそれは心理学上の経験から見ても”一般人と同じ”という事ですね。

お礼日時:2005/04/21 18:22

>人間は偶然の機会を求めながら、さまよって”必然”で不安解消するんでしょうか。


僕自身の場合、偶然も必然も求めません。偶然の機会を求めるのではなく、未知へ飛び込み、そこにある現実で生きるだけです。いたってシンプルです。当然、生きることには不安はつきものですが、それを必然だとか偶然だとか、僕にとってはどっちでもかまいません。それを議論すれば永遠に平行線だと思うからです。

>そんな法則ありました?
残念ながら知りません。もしあるのなら、僕も是非知りたいですね。

問題解決されましたか?もしまだなら、問題をひとつに絞っていただければ、回答しやすいと思います。

この回答への補足

書き込み、ありがとう。

補足日時:2005/04/21 00:40
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この回答へのお礼

すいません。

質問は「偶然って何ですか(続)」です。

お礼日時:2005/04/21 00:39

No.2のvagabond_0710です。


確かに占いをやって自分の性格を当てられて不思議に感じることがあります。僕は占いも心理学の知識もない一般人ですが、ある程度人間にはパターンがあると思います。例えば人種が違ってもみんな人間です。そういう普遍性があって、進化の過程で肌の色が違ったり背の高さが違うように、ある程度のパターンに性格もあてはめることができる。ただ、まったく同じはありえなくて、いろんな複雑なパターンの組み合わせでひとつの人格ができていると思ってます。

>日常性に必然とか有為性は望んでいない
基本的に人間は未知や神秘を望みます。わかりきった毎日だと精神的に不衛生です。しかし未知だからこそ、知りたいというときもある。そういうときは占いなどに頼ってしまうのではないでしょうか。

>心理学を熱心に学んで、研修をした人達は、自分の役割についてどう考えているのかな
心理学もふくめ、学問とはあくまで客観的に体系化したものです。人から聞く話だと、心理学を学んだからといって人の心理がわかるようになるわけじゃない。逆に人の心理なんて全然わからないものなんだなということがわかったと言っていました。

>”必然性を読む人”は反感を買うけど結局「利用(考慮・参考に)されている」と思う
これは、いわば直観的に人の心理を当ててしまうということですか?僕も結構ありますよ。ただ僕がここで言いたいことは、相手が参考にしようが、僕のことを利用しようが相手の勝手だと僕は思っています。さんざん僕に文句を言ってきても流します。それだけ熱くなるってことは当たってる証拠じゃんと心の中でニヤリです。(笑)
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この回答へのお礼

アドバイスありがとう。

質問は偶然についてなのですが、人間は偶然の機会を求めながら、さまよって”必然”で不安解消するんでしょうか。 そんな法則ありました?

お礼日時:2005/04/21 00:12

学問とは、心理学に係らず、過去を紐解くことから始まるのです。



ある事象に対して、なぜそうなるのか? なぜ、そうなのかを考え、導き出す作業なのです。

たとえば、NEKOhaTORAさんが考えているような『超能力:スーパーセンス』的な話は、実は、「後出し」じゃんけんや、意味のすり替えのようなことで当たったり、外れたりという操作が可能なのです。そのような、不確実な要素を学問の中に取り入れることはありえません。

仮に、そのようなセンスがあるとしても、そのことにより、無作為に影響を与えることは大変に危険であり、受け手にとっては、大変な負担となります。
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この回答へのお礼

アドバイスありがと。
前半・中半はすり替え操作で、後半は逆意味に”も”なりますね。 

お礼日時:2005/04/21 00:08

すいません、質問内容がわからないので補足要求します。


「予言を信じないけど、偶然だ」と言う人の心理を知りたいということですか?

>自分の役割
自分の役割って、何に対してどういう役割でしょう?

>「利用されているだけだ」と感じませんか。
何に対してどのように利用されていると思われますか?

この回答への補足

すいません。 自分の考えがハッキリしていない状態で投稿しました。
何かしら”占いと心理学”は(私のように)知らない人達には、似た様な効果があって、
・まあそんな事も”言えば言えるでしょう”的な心理説明
もあるけど
・”ドンピシャ”だなあ、見ず知らずなのに”どうして分かるのか”と思える場合もありますよね。
でも対象を占う(心理分析)する人達には何か”必然性”があるんですよね。
きっと心理学って、一般人には”偶然としか思えない”けれど勉強した人達には”必然であって当然”対象は、自分で証言(証明)してる、と考えるんですよね。

でも一般人は”偶然の機会(自己選択)を求めて町へ出かけたり”する。 そういう日常性に必然とか有為性は望んでいないと思うんですよ。
「勝手に人の心理分析とかやる!」と反発されますよね

そんな中で、心理学を熱心に学んで、研修をした人達は、自分の役割についてどう考えているのかな(一般的な売り文句でなく)と思ったわけです。

それと、”必然性を読む人”は反感を買うけど結局「利用(考慮・参考に)されている」と思うのです。 こうした事を含めて、実際はどうなのか不思議な気がしました。

つまり私は”心理学”を知らないのです。

補足日時:2005/04/20 18:03
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学問的な事は解りませんが、1つの出来事が発生する過程で、


3つの偶然が、目に留まったら、「必然的に出来事が発生した」と
言うことがありませんか。(3つに限らず)

野球のイチロー選手を例にすると、
・足が速い
・速い球にでも対応できる動体視力
・安打数(ヒット数)が多い
とくれば、後はヒットの数が野球で1番に残るのは
誰もが予言できたはずだね。

いろんな出来事が1つの出来事を形成する時どの出来事が、
起因しているか判断が付けば予言できるよね、天気予報だって、
宇宙の衛星軌道上に観測衛星を乗せて観測データを判断し天気を
予報している。(衛星で観測できるのは奇跡だと思いませんか)

いろんな出来事や、いろんな技術の積み重ねでなっていますね。

話は変わって、自分の役割とは何でしょうね、
社会生活をしている蟻や蜂などに見ることで、何か分かるかもしれません。
2対8の法則(にはちの法則)が有るのは知っていますか、
社会生活をしている人間にもあてはまりますよ。

何かに利用されているかもしれませんね、
でも、TVなどで今生きてる人何十億の人間も過去の人も、
1人の女の人(人間の始まり)にたどり着くと、
言っていました(遺伝子の分析から)。
そしたら、何からの・・・。
宇宙がビックバンが・・それ以前?

でも、自己と無意識とが在るので、それで、何かを感じるのかも知れませんね。
(無意識層=[何か]、という意味で)
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

確か、天体観測により季節(時期)を読み取る”国家事業”は昔から盛んで人々に良く知れれている事業でしたよね。 暦をとうするか、とか。

偶然は生と死、繰り返しは遺伝子の働き、生死という偶然の繰り返しが、今の現実を創っていると思うんです。 無意味から有意味が発生するという考えが、私には不思議なのです。 「繰り返す」事が解れば現在でいう科学的(必然性)という事でしょう。
ビッグバンの事はわかりません。 偶然でそんなことが起こるんですか?

お礼日時:2005/04/21 00:25

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それとも何かの精神病なのでしょうか?

どなたか教えてください。

ここ数年頻繁に予知夢を見ます。

夢の中の記憶はすぐに消えてしまいがちですが、私の見る夢はとても鮮明で現実に近いような感覚があります。 
例えば、1ヶ月前に見た夢は予知夢なのかわわかりませんが夢の中で金縛りにあった夢を見ました、そのときの体が動かないというか、何かに縛られて動かないという感覚もはっきり覚えています。

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2~4(5,6も)は屋上以外SRC造で建物の強度は1号機の上部とは比較にならないほど高かったはずで、水素爆発だけなら鉄骨の骨組みは残ってもいいはずです。
ですが、3号機の壊れ方はどうもおかしいです。爆風で飛んだなら鉄骨などすべて外側に向かって倒れるはずなのになんと内側にアメのようにぐにゃりと曲がっているところがあります。
水素の燃焼(爆発)はほんの一瞬なのであの大きな鉄骨を溶かして曲げるほどの発熱はないでしょう。現に4号機は大枠の鉄骨はそのまま残っています。

質問者様がお考えのように使用済み燃料プール入れていた使用済み核燃料になにかあったのでしょう。ほとんど報道されていませんが、福島第一原発全機のプールはどれもいっぱいで積み替え(リラッキングというそうです)を繰り返しギュウギュウ詰めになっています。使用済み核燃料は炭や薪の燃えカスと違ってまだたくさんのエネルギーを持っています。燃料棒を近づけておいたら原子炉内と何もかわりません。何かのきっかけで臨界が起こっても不思議ではないでしょう。

1)核爆発を信じる。です

水素爆発であれば1号機のように軽い外壁は外側に吹き飛ばされてしまい、骨組みがほぼそのままのこされています。(1号機は2~4号機と原子炉建屋の構造が違っていて、吹き飛んだ上部は鉄骨に鋼板サイディングの鉄骨造で強度はない)

2~4(5,6も)は屋上以外SRC造で建物の強度は1号機の上部とは比較にならないほど高かったはずで、水素爆発だけなら鉄骨の骨組みは残ってもいいはずです。
ですが、3号機の壊れ方はどうもおかしいです。爆風で飛んだなら鉄骨などすべて外側...続きを読む

Q偶然の結果に理由を求めてしまう心理を表す用語を教えて下さい

例えば何かバチ当たりな行動(例えば鳥居におしっこをかける等)をした人が居たとして、その後たまたま悪い事が起きた時、自分で勝手に先ほどの行動と関連づけ「もしかしたらバチがあたったのかも」と思ってしまう心理を表す用語はありますか?

当方、心理学に関しては全くの素人です。
よろしくおねがいいたします。

※もちろん「実際にバチが当たったから」という回答は無しです。悪いことが起こったのは全くの偶然です。

Aベストアンサー

身の周りの出来事や人(自己を含む)の行為の原因を探ることを「原因帰属」と呼び,
それを通して対象や行為者の属性を推測することを「特性帰属」,
対象や行為者の責任を判断をすることを「責任帰属」と呼んでいます。
そしてこれらをまとめて「帰属過程」(attribution process)と呼び,
説明の枠組みとして「帰属理論」(attribution theory)が提唱されています。
もっとも帰属理論は単一の理論体系ではなく,
1950年代から今日までに提唱された多数の理論を含むものです。

ご質問にあるような
客観的に因果関係が認められない複数の出来事を
あたかも因果関係があるかのように結びつけて認識してしまう事例は
「誤帰属」ないし「錯誤帰属」(misattribution)と呼ばれます。
「シャクターの情動理論」だとか「吊り橋実験」だとかいったキーワードでウェブ検索すると
有名な研究事例が見つかるはずです。

ちなみに
#1さんのおっしゃる帰納的推論には
帰属過程の一面が含まれると言っていいでしょう。

もうひとつ。
「公正世界(just world)」仮説というものがあります。
「この世は案外公正にできており,良いことをすれば良いことが,
悪いことをすれば悪いことがいずれ身に振りかかる」という思い込みが
時代や文化を超えて多くの人々に共有されていると指摘されています。
たとえば犯罪被害者がときに非難や差別を受けてしまうという理不尽な現象も
公正世界仮説を前提とすれば説明がつきます。
また帰属理論の視点からすると,
人間の帰属過程に内在する根深い歪みの表れと見ることができるでしょう。

身の周りの出来事や人(自己を含む)の行為の原因を探ることを「原因帰属」と呼び,
それを通して対象や行為者の属性を推測することを「特性帰属」,
対象や行為者の責任を判断をすることを「責任帰属」と呼んでいます。
そしてこれらをまとめて「帰属過程」(attribution process)と呼び,
説明の枠組みとして「帰属理論」(attribution theory)が提唱されています。
もっとも帰属理論は単一の理論体系ではなく,
1950年代から今日までに提唱された多数の理論を含むものです。

ご質問にあるような
客...続きを読む

Q予知夢らしき事は人に言わない方が良いのでしょうか?

自分は予知夢を良く見ます。(恐らく普通の人よりかは)
で、ここで質問なんですが予知夢らしき事の内容は他人には言わない方が良いのでしょうか? 自分は、現実になって欲しい夢を見たんですが、他人に話すと叶わなくなってしまいますか?(今までの経験上あの夢は叶いそうです。)
過去に見た予知夢の内容は誰にも教えた事はありません。

この夢で見た内容は自分の人生に大きく影響するかもしれないので、意地悪やいい加減な回答は、やめて下さい。

Aベストアンサー

予知夢を良く見るということは、これまでに何度も夢で見たことが現実になったということですよね。
そして、過去の予知夢の話は誰にも教えていない。

となれば、今まで通り誰にも話さない方が良いと思いますよ。
科学的な根拠のある話ではありませんので、貴方の経験則で判断される以外に無いと思います。
人生に大きく影響するかもしれないなら尚更です。
貴方にしか分からない話なのですから、他人の無責任な意見に耳を貸す必要はありません。

Q「怒るのは相手が好きだから」「怒らないのは無関心」

「怒るのは相手が好きだから」
「怒らないのは無関心だから」という回答をよく見ますが

他人にタバコの煙を吹きかけられて怒らない人はいるのですか?

自分の恋人を取られたとか
私物を壊されたとか
嘘を吐かれると怒る人は多いと思いますが
それは相手に自分の自尊心を傷つけられた代償として怒るんですか?

煙を吹きかけてくる他人に、好意や興味や信頼はあったんですか?

Aベストアンサー

こんにちは。
「好きの反対は無関心」というのは、これは「マザー・テレサ」のお言葉であり、取り敢えず心理学とは直接の関係はありません。以前、心理系の刑事ドラマでこのネタを使ってしまいましたので、みんな心理学だと思っちゃったみたいですね。
怒りとは、「問題解決のための能動的回避行動」と理解されます。何らかの不快や不利益が発生しますと、先ず心の中に「嫌悪感」が発生します。怒りといいますのはこれに対する「精神的適応」です。そして、結果的にはこれが、例えば相手に謝罪させるとか、発言を撤回させる、あるいは恋人を取り戻すといった、何らかの解決行動を選択するための強い動機となります。

関心があるというのは相手に対してではなく、問題解決に関心があるということです。これがマザー・テレサの哲学と心理学的解釈の違いであります。嫌悪感が先になくなってくれればそれで済みますが、自分にとっての問題解決に関心があるうちは怒りも消えません。では、問題が解決できないとき、あるいは解決の手段が与えられない場合、脳内では自動的に「泣く」「諦める」といった適応が施されます。
人様の顔にタバコを吹きかけるなんてのは誠に以ってけしからん話です。ですが、それが見ず知らずの他人で、もう何処にいるのかも分らなければ手の打ち様がありません。ではこのような場合、しばしば怒りは「憎しみ」という感情に分岐し、関心の対象が問題解決から復讐に変ります。ですが、仮に首尾良く復讐が達成されたとしましても、それで精神的な適応が得られるという保証は恐らく何処にもないです。何故ならば、復讐というのは問題解決の手段ではないからです。このため、怒りは発散できますが、憎しみからは開放される以外に道がないのです。
では果たして、質問者さんのこの書き込みは「復讐心」ではないですか。気を悪くしないで下さい。普通のひとがマザー・テレサになれるわけがありません。それが人間の心理であり、これが当たり前の人情であります。

「諦められた」と断言できるならば嫌悪感は消え去ったということです。ですが、問題解決に関心が失せれば怒りは消えますが、それで嫌悪感もなくなってくれるとは限りません。ならばこのような場合、心の中には嫌悪感だけが取り残されてしまうことになります。
喧嘩をするというのは、お互いが何とかしようとしているということです。ならば、何を言っても無駄だから諦めたというのは、これは問題の解決を放棄したということです。ですが、これが積み重なりますと、心の中に嫌悪感だけが溜まってゆくことになります。会話もなく、喧嘩もしくなった熟練の夫婦が突然離婚に走るのはこのようなときだそうです。お互いが不満をぶちまけるのはちょっと大人気ない気もします。ですがそう考えますと、夫婦喧嘩をしているうちはまだ安心ということですね。

こんにちは。
「好きの反対は無関心」というのは、これは「マザー・テレサ」のお言葉であり、取り敢えず心理学とは直接の関係はありません。以前、心理系の刑事ドラマでこのネタを使ってしまいましたので、みんな心理学だと思っちゃったみたいですね。
怒りとは、「問題解決のための能動的回避行動」と理解されます。何らかの不快や不利益が発生しますと、先ず心の中に「嫌悪感」が発生します。怒りといいますのはこれに対する「精神的適応」です。そして、結果的にはこれが、例えば相手に謝罪させるとか、発言を...続きを読む

QVガンダムと核爆発の疑問

Vガンダムではモビルスーツを破壊する毎に核爆発が起きます。
以前のシリーズでは何で核爆発が起きないの?

Aベストアンサー

Vガンダムでのモビルスーツの爆発が核爆発なのは[富野監督がそうしようと思ったから]です。


ファーストガンダムのTV版や劇場版の公開時には「MSの爆発が核爆発」という設定はありませんでした。

その後にサンライズやバンダイがガンダム世界の設定を再構成する事になって、
「MSの動力は核反応炉なのだから、MSの動力が破壊された場合には一種の核爆発が起きなければいけない。」
という事になり「MSの爆発は核爆発」が採用されました。
そしてこの設定は「ファーストガンダムの劇中でも実はそうだった。」とさかのぼって反映させる事になりました。

そのためZ以降のガンダムは「MSの爆発は核爆発」という設定の下で制作されています。

ただこの設定を厳密に採用すると戦場跡には放射能があふれているという事になり、
戦場跡の描写が難解になったり、
「登場人物達が戦場跡に立つ場合に、必ずノーマルスーツを着用してバイザーも下げてはいけない。」
という事になってしまう等、演出の足かせになってしまいます。

そのためZ以降の作品も「わかりやすさ」や「絵のかっこよさ」を優先して、
「MSの爆発は核爆発」という公式設定をあえて軽視して制作されています。


ただVガンダムのように、富野監督が「テーマに環境問題も取り入れたいから、核爆発の設定を重視する。」と思った場合や、
第08MS小隊のように「既存の設定を重視する。」場合にはこの設定が前面に出てきます。

Vガンダムでのモビルスーツの爆発が核爆発なのは[富野監督がそうしようと思ったから]です。


ファーストガンダムのTV版や劇場版の公開時には「MSの爆発が核爆発」という設定はありませんでした。

その後にサンライズやバンダイがガンダム世界の設定を再構成する事になって、
「MSの動力は核反応炉なのだから、MSの動力が破壊された場合には一種の核爆発が起きなければいけない。」
という事になり「MSの爆発は核爆発」が採用されました。
そしてこの設定は「ファーストガンダムの劇中でも...続きを読む

Q心霊現象を信じる人の心理

タイトルの通りなのですが何故簡単に信じられるのでしょうか。
世界中で正式には誰も認めていないし「心霊現象」と言われる事が素人考えでも他に解釈がいっぱい有るのにです。
教養の有る人でも、恐らくこのカテの方々でも、例えば「心霊写真」。
変なものが写ったとしてそれを即心霊写真だと騒ぐのはどんな真理なのでしょうか。
それを否定すると不機嫌にすらなります。
この人たちの心理を是非教えて戴きたい思います。

Aベストアンサー

私は、論理的な思考による判断より、非日常という刺激を求める気持ちの方が勝るからだと思います。

人間は、大きくなった大脳によってパターン認識や想像力が発達して、その副作用として見えないものが見えたり、理解できない現象の空隙をありえない推論で埋めたりする生き物です。この能力は誰にでもあるので、全員が神秘的体験してても不思議ではありません。

しかし、そこから論理思考回路が作動して、この不思議な体験は、実際は、発光・屈折・反射などの自然現象に違いないとか、脳内物質のなんらかの作用による幻聴・幻覚・幻想だろう、などと推理・実証していく人もいるでしょう。
反面、論理思考回路は作動せず、非日常という刺激を愛する行動に出る人もいます。また、郷愁や感傷の甘い誘惑へ向かう人もいるかと思います。

ディズニーランドが娯楽として保証するのは非日常性ですし、宇宙戦争が保証するのは恐怖という娯楽です。
論理思考などといった面倒なことをして、退屈な結論に着地するより、たやすく手に入る「神秘」へ気持ちが向かうのも無理はないことでしょう。なんせ、ノーコストで信じるだけで手に入る快感なのですから。

私は、論理的な思考による判断より、非日常という刺激を求める気持ちの方が勝るからだと思います。

人間は、大きくなった大脳によってパターン認識や想像力が発達して、その副作用として見えないものが見えたり、理解できない現象の空隙をありえない推論で埋めたりする生き物です。この能力は誰にでもあるので、全員が神秘的体験してても不思議ではありません。

しかし、そこから論理思考回路が作動して、この不思議な体験は、実際は、発光・屈折・反射などの自然現象に違いないとか、脳内物質のなんらかの...続きを読む

Q核爆発?

福島第一原発の3号機の爆発は核爆発だったと私はみています。理由はいろいろあるのですが、かなり専門的な内容なので省きます。

核爆発だったというのは反原発の連中が大袈裟に騒いでいるだけだろうという見方もあるみたいなのですが、どう思いますか?

実際にはどうだったのかが立証されるのは多分10年後くらいだと思います。

あなたこのことに対して以下の選択肢のなかのどれを選びますか。

1)よく考えた結果やはり核爆発だったと思う。10年くらいもすれば真実が判明してくるだろう。
2)原発は核爆発は起きないというこれまでの説を信じているので核爆発ではないと思う。
3)原発反対の連中が仕組んだ罠に違いないから決して信じないことにしている。
4)東電は実は核爆発だと分かっているのに騒ぎが大きくなるのを恐れて隠している。
5)わからないから論争にくわわらないようにしている。
6)そのほか

Aベストアンサー

私は、4)だと思います。
これまでの東電のやり方を見れば想像がつきます。私は素人なので科学的な根拠があるわけではないのですが、少なくとも今までの東電の説明を聞いていると、うそとごまかしの繰り返しでまったく誠意が感じられません。自社の責任逃れのために、その場しのぎの回答をしているだけです。そのいい例が東電の説明で「想定外」という言葉をよく使うことです。どこが「想定外」なのか、津波の大きさにしても、想定できる根拠が十分あったにもかかわらず自己判断で安易で安価な方向に進めた結果ではないのでしょうか。確かに原発は、会社側にたってみればこれほどいいものはないでしょう。原料が豊富にあって安く買える、効率は水力、火力、その他の発電に比べれば抜群に良いのだから、東電にしてみれば原発は続けたいという魂胆は見え見えです。したがって今回の事故の被害を過小して伝えて人々に原発反対の気運を高めたくない。そのために農家の方、畜産農家の方、漁業の方、一般住民を犠牲にしてまで原発に固執する東電だからこそ人々が一番恐れる核爆発が起こってそれを必死で隠していると疑われても当然です。

私は、4)だと思います。
これまでの東電のやり方を見れば想像がつきます。私は素人なので科学的な根拠があるわけではないのですが、少なくとも今までの東電の説明を聞いていると、うそとごまかしの繰り返しでまったく誠意が感じられません。自社の責任逃れのために、その場しのぎの回答をしているだけです。そのいい例が東電の説明で「想定外」という言葉をよく使うことです。どこが「想定外」なのか、津波の大きさにしても、想定できる根拠が十分あったにもかかわらず自己判断で安易で安価な方向に進めた結果で...続きを読む

Q占いを信じる心理

昨年、仕事に行き詰まり、勧められるがままに占いをしてきました。

まあ、当たってると言えば当たってるし、その時は完全に信じてました。

今になって思えば、自分から当たってると思うように都合のいい解釈をしている気がします。運気の時期とかは、特にそうだと思います。

こういう風に考える行為って心理学的にどの様なものになるのでしょうか?

Aベストアンサー

いろいろな角度から言えるかもしれませんが、合理化という防衛機制が働くから、という見方もできるように思います。
高いところにあって採れない葡萄を、「あれは、すっぱい葡萄に違いない」と自分を納得させる狐のお話。
占い師から何か言われて、それが正しいかどうかわからない場合でも、自分に都合が良い方向で解釈してしまう。
「せっかく見てもらったのだから、信じないと損」という無意識が介在することもあると思います。

因みに、葡萄がすっぱいか甘いかの確率は50%と考えて良いので、占いが当たるとは限りませんが、絶対当たらないわけでもない。
結果論にすぎない(だから誰が占ってもそれほど差は無い)のですが、「当たらない場合」はなんらかの理屈を補足的に言ってくるはずです。


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