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ウィトゲンシュタインの哲学を理解できる方、彼の哲学のエッセンスを教えていただけないでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • ありがとうございます!

    …しかし教えていただいて申し訳ないですが、何ともヘンチクリンな哲学の印象ですね〜

    なんでウィトゲンシュタインの哲学が、哲学界の人々から「スゴい哲学だ!」と認められたんでしょうね??

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/04/07 13:49
  • 分かりやすいご解説をいただき、ありがとうございます!

    …しかしこれまた教えていただいて申し訳ないんですが、「言語でどこまで表現できるのか?」というのは物書きの人は特に意識してることのはずで…

    かの大作家、村上春樹さんも「言葉という不完全なもので心の内を表現するのは難しい(が、作家はそれに挑戦し続けないといけない)」という趣旨のことを何度となく書いてると思います。

    何もウィトゲンシュタインに言われなくとも…と当時の評論家たちは思わなかったんですかね?

    素人考えだと、ウィトゲンシュタインの哲学は面白い、ユニークではあるけど、スゴい哲学かどうかは微妙じゃないの?という気がしてしまいます。おそらくはウィトゲンシュタインの言語分析が鮮やかすぎた、とかそういうことなんでしょうけどね〜それこそ、原著に当たらないと分からないことでしょうね(汗)

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/04/10 12:15

A 回答 (3件)

ウィトゲンシュタインは、過去の哲学者たちが言語で哲学してきたことに対し、その手法である言語そのものに注視したのだと思います。



料理をするときに、材料やレシピ、出来上がった料理の味や見た目に注目するのではなく、それらを実現する包丁に注目したようなもので、哲学史において大きな転換点になっています。

人間の言葉の精度や質が上がれば思考内容も当然向上するので、彼の仕事、着眼点は評価されているのだと思います。自分たちが何(言語)を扱っているのかを知ることは、大変重要なことだからです。

「語り得ぬものについては沈黙せねばならない」 

とは、形而上の存在を暗に認めつつも、それを明示し事象に対応させる手段を持ち得ていない、存在を存在のままに示す言葉を我々は未だ知らないと言う事を意味する台詞であり、当時の哲学の限界(神の証明や存在そのものを示すことなどの不可能性)を言語的なものに起因すると表明したことが、解りやすくて良かったのだと思います。

哲学者にとって、形而上のものに到達するのは彼岸であり、それを口説することは啓示や預言にも似た彼らにとっての最も重要な目的であると思います。形而上の世界に至り、そこから知識を持ち帰ってくることは、全くもって古代からの哲学者の仕事の本旨だからです。

それが出来ない理由を一つ明確に示すことが、ウィトゲンシュタインのした大きな仕事なのではないでしょうか。

目的ではなくこれまでは手段であった言語に注目し、それを主役に見たことが、転回と呼ばれている所以だと思います。

言語が言語の内包する意味そのものを指し示していることについて、それ以上説明することが出来ない、説明すればするほど、核心の周辺を巡るばかりで、核心に至らない。
核心そのものはそのものが言語として示されているその時点で、もう意味は示し終えている。

と言う事だと思います。

追記
言語ゲームについて。これは言葉遊び、戯言という意味では無いと思います。ゲームとはルールに基づいているものです。様々に言論や会話が展開される場の背景たるそのルール(法)こそが言語の本質であると言う事だと思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2023/04/12 10:58

前回回答末、少し言い換えたいと思います。



ルールの運用こそが言語の本質であると言う事だと思います。
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ウィトゲンシュタインは


前期と後期で内容が違ってきます。

まずは前期。
考えるのは言語で考える。
その言語は事実とセットになっている。
だから、この世界は言語で出来ていると言うことが出来る。

しかし、神などは存在するかは解らないから、
神のようなモノは言語とセットになっていない。

だからといって、神がいない、というわけではない。
言語で語られないモノは 沈黙しなければならないというだけ。

と、いう問題提起をして哲学から引退。



その後、これは間違っていたとする。
これが後期ウィトゲンシュタイン。

言語と事実には
セットになっているのもある、それを科学的言語と名付けた。
しかし、日常言語はセットになっていない。
結構です、は否定の場合も肯定の場合もある。
その言語が何を意味しているかを当てっこするんだから
これはゲームである。言語ゲーム。

このようにして
ウィトゲンシュタインは、言葉や言語の使い方を正しく理解することで、
哲学的問題を解決しようとしました。
この回答への補足あり
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